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2-2 東京 [精神と言葉]

弟は感情表現や動きが「普通」とは少し違うまま、それが弟になっている。
弟は強い薬を飲んでいるので、その副作用で手が震え顎が震える。手の震えを止めるために、抗パーキンソン病薬を飲んでいる。
何かおかしい。
だけど、私は専門家ではないし、それを訴えるほどのちゃんとした知識をもっているわけではない。

世間ではそういう「変な」動きをする人には近づかず、目を合わせないと言う暗黙のルールができている。だから、ある意味、弟のような人間は都会では生きやすいのかな? と私の誕生日に家族で行った、東新宿(歌舞伎町や大久保駅に近い所)のファミレスでふと思った。
その店は人気店とのこと。けっこういつも満席だということだった。だけれど私たちが行った時はランチタイムをかなり過ぎていたので、店内は空いていた。
このファミレスで出会った、今の若い人はすごかった。モバイルゲームをやって一人でべらべら、私にも聞こえる一人言をずっと言っていたし、10代か20歳そこそこの女の子と男の子のやりとりが耳に入ってきて、強烈でびっくりした。けんかだと思ったらけんかじゃなかった! 女の子が男の子を罵る言葉が狂っていた。人間として立ち直れないような言葉を次々に連発して男の子を完全にへこませたと思ったら、ぷいっと席を立ってしまい、しばらくしてからまた何食わぬ顔で帰って来て、それで二人は関係を保っているようだった。 
彼らにとっては、区切られた座席は一人でいる場所と同じなのだ。
自分も他人の目を気にせず、他人も自分を気にせぬ空間。人に見えているのに! 聞こえているのに!
店員さんはたぶん、そういうことは全く見ないようにしている。それじゃなきゃやって行けないだろうし、自分の金を稼ぐのが最優先。それは仕事に対して私も思っていることだからわかる。
客の言葉の中の注文の部分についてだけ反応して、自分のするべき仕事だけをしているんだな、と思った。 
母はこのファミレスが好きだと言っていた。周りを気にするような人ではないけど、なにか実感で居やすさがわかるのかなと思った。

居やすさ=癒すさ? こじつけだけど…(~~;)。

外苑前などのレストランではちょっと違う。
店員さんはけっこうこちらをジロジロ見る。お客さんでも、なんか私たち家族の様子が変だと思うと、振り返って観察したり、ときどきこっちを見る。今までゆっくり本んを読んでいた人も、居心地が悪くなったのかそそくさと席を立って出て行ったりする。
弟の手の震えは尋常ではなくてテーブルも揺らすことがあるし、大量の水を飲むため水のおかわりばかりしている。立ち上がって水を取りに行く様子も、まあ、なんというか、普通ではない。
母や弟がそれをちっとも気にしないだけだ。
私は自分がスパイかなんかなのか? って思うほど、辺りの気配に気を配っていて、自分でもびっくりする。その店員さんや周りの人、こちらをじろじろ見る人をまっすぐ睨み付けるようなことはしないけれど(私の元友達はこれができた)、なんか周りをすごく観察していて、いつもと違うことに気が付きやすい。
これは、やっぱり私のビョーキのせいで、こういう周りの状況と自分とを常に関連づけると「被害妄想」になるのだと思う。でも、実際、私は自分たちと周りの動きを関連付けている。ただ、そのことをわざわざ人に言わないというだけだ。それを言ったら、変だと思われるってことがわかっているからか~? 別に思われたって構わないんだけど? あまり楽しくなりそうもない話題だから、人に言わなかっただけのことかもしれない。だけど、人に言わないようにしているわけでもない。何かの関連で話すことがあれば、抵抗なく話せる。時と場合、話す相手を認識できているってだけの話なのだ。
私だって、動きの怪しい人、雰囲気の違う人を見たら身構え、傍に寄らないだろう。それは単に自分の身を守るということだと思う。余計なことに関わりたくはない。あたりまえのことだ。
自分の身内だからつきあえるのだ。それだから気が付くことができたのだ。

偏見を持つということは、元々は自然界に暮らす動物が自分の身を守るために身に着けた脳の機能の一つなのだと思う。周囲の情報を察知し、安全かどうかを常に考えて(というより感じて?)行動することで自分の身を守る必要があったからだろう。
その機能は情報が入ってくる脳の入り口にあるらしい。現在、人は自然の異変や自分を食べようとする敵の脅威にいつも晒されて生活するということはなくなったので、脳はすぐに戦闘態勢に入る必要(身構えるということ? 弱い動物は逃げるということ)はなくなった。だけど、平和になり生活が近代化するにつれて、その脅威が何で、何を避ければいいのかがわかりにくくなっちゃったのかな、と思う。
今は人対人、人間関係のふるい分けやら、情報のふるい分けにこのフィルターは発揮されているみたいだ。
上野公園でドバトを見ていたらわかるけど、ドバト達は撒き餌を食べながら常にけん制し合っている。少しでも弱い鳩がいたら胸を膨らませて自分の近くから追い払おうとしていて、自分がちょっとでも餌を多く食べるために威張って頑張っている。それは生きるということの本質のような気がする。ドバトの考えと行動は常に自分が生き残ることそのものに向けられているのだ。
ドバトは自分のことを客観的に見る必要なんかないし、そこまで脳が発達していないから、そんな自分を恥ずかしいとは思わない。飼いならされた鳩ならここまでトゲトゲしないだろう。あれがドバトの尊厳なのだ。

秋葉原はもっとすごい。
行動っていうか、もう、見た目に「変」な人はいっぱいいる。すごい年が離れてるけど、明らかに親子じゃないだろうカップルとか…。私には女の子の親の目線があるし、アメリカ映画の激しいストーリをたくさん見ていて、猟奇的なショッキングなエンタティメントも好んで読んでいた。だから、想像力が膨らんじゃって、すごい気になっちゃう。
(これが、自分の調子によっては楽しくて気にならない時もあったのだから不思議)
かわいいメイドさんの格好をして客引きをしている若い女の子のことが気になってしまう。最近「お散歩しませんか」って誘うお仕事とか、耳かきをするというような、個室や人がいない所で怪しい人と二人きりになるようなお仕事はなくなったみたいだけど、でも怪しい大人との接点は常にあるのだ。この女の子達と、今芸能界でトップを走るアイドルグループの違いはどこにあるのだろう。私にはその違いまではわからない。
秋葉原は個性がぶっ飛んでて、自分の好きなことに偏っている人たちが安心して自分を出せる場所って感じがする。

平日の朝、新宿区役所に行く時、歌舞伎町で見た白人の女の子2人もすごかったな。アニメのコスプレをしていたのだけど、身体はすっかり大人な感じでかわいさがなかった。だいいち、たとえ歌舞伎町でも新宿の平日の朝にマッチしてなかったから目を引いた。たぶん、彼女たちには新宿もアキバもただの日本なのかな。お酒に酔っているのか? フラフラな感じで、これからホテルに帰るのかな~~。と思った。
日本人は日本人だけに通じる、言葉にはできない暗黙のルールみたいなものを持っているのかなと思った。日時と場所と恰好とかをちゃんと区別していて、つまり、TPOをわきまえてるってだけなのかもしれないけれど。東京ってそれぞれの場所の分化の仕方がすごいな、って思った。
きっとどこの国にもどの場所にもそのルールはある。
ただ、私は日本人で今自分の周りしか見えていないから、見えていることしかわからないってだけの話だ。
旅行が好きな人は、その場所場所の違いを楽しめる人なのだろう。
それが楽しめるかどうかは、自分の所持金、好奇心と精神のバランスによるのかな。
私の場合、老後の心配があるので一度にお金をたくさん使うことに不安がある。だからフィンランド人の友人が誕生日に「フィンランドにおいで」と誘ってくれた時、全然行く気になれなくて、何とか理由をつけて頑として行こうとしなかった。旅行の話題にもあまり乗れなかった。だから、彼女は私のこと「旅行恐怖症」って言っていた。それをちゃんと説明するような英語力は私にはないから、それでかまわなかった。
人の感覚の違いって国を超えているとさらにすごくおもしろくて笑える。
東京は日本人であってもその場所場所で異文化体験ができる貴重な町なのかもしれない。

先日、秋葉原で友達と会った時、その友人との会話でまた改めて気が付いたことがあった。
彼女は、隣に座ったカップルの様子が気になっていたみたいだ。
そのカップルが席を立った後に私に話しかけた。
「ねえねえ、今のカップル見ていた?」
私は、ちっとも気にしていなかった。
「ずっと二人で座っていたけど、お互いにケイタイやっていて、何も話すでもなくて、違う物をそれぞれにたのんで、食べて、それで帰っていったよ。おもしろいね」
う~ん。
彼女は大学という教育現場で若い人をよく見ているから、そういう話を聞くのがすごくおもしろい。私は彼女との話に集中していて、隣のことなんかあまり見ていなかったのだ。だけど、なんとなくその様子には気が付いていた。そして、それは私には特におもしろいことでも変わったことでもなかったのだ。
すごい、友達との感覚が違う、そのこと自体がすごくおもしろかった。




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2-1 ジレンマ [精神と言葉]

弟には精神障害があるので、障害者認定2級と認定されている。
障害者手帳を見せれば、タクシーに乗る時に割引が受けられたり、劇場や博物館などの施設に入る時には、同伴者も含めて無料で入ることができたりする。
でも、障害基礎年金というものを受けていなかった。
国は、「義務」という言葉を盾にして、国民という個人から取れる物はどんどん取って行く。だけど、国民という権利を生かして国から何かをしてもらおうとすると、それはわかりにくかったり、してもらうのにえらいエネルギーが必要だったりすることが多い。

現在、弟は企業の「障害者枠」で働いているので、同僚はほとんどが障害者だ。だから障害者として国からやってもらえることについて、話を聞く機会が多い。
何かの話のきっかけで弟は自分がその年金を受けていないということに気が付いて、医者に聞いたり、区役所に行ったりして、自分できるだけのことをやってきた。
だけど、受けられなかった。
福祉関係の仕事をやっている友達が、おかしい、受けられるはずだと言ってくれたのだけれど、とにかく、弟が始め「精神分裂病」と認定された日に年金を払い出していなかったことがネックとなっており、ここを動かせないので、どうやっても障害者年金を受給できないのだということがわかった。

障害者年金には
障害者基礎年金と障害者厚生年金の2種類がある。
厚生年金を支払い始めた後に、障害者認定を受ければ障害者厚生年金を受給することができる。弟が認定を受けた時には、まだ厚生年金を支払っていなかったので、これは受けることができない。
障害者基礎年金は、国民年金に加入している間に初診日があれば受けることができる。
現在、20歳になると国民は強制的に年金に加入させられることになっている。
でも、以前は任意加入だったので、加入していないまま来てしまった人が多くいるようで、弟もそのうちの一人だった。
そういう人に対しては「特別障害給付金制度」が適用されることになっている。
それについての説明は以下の通り
『国民年金に任意加入していなかったことにより、障害基礎年金等を受給していない障害者の方について、国民年金制度の発展過程において生じた特別な事情にかんがみ、福祉的措置として「特別障害給付金制度」が創設されました。』
『昭和61年3月以前に国民年金任意加入対象であった被用者等の配偶者であって、当時、任意加入していなかった期間内に初診日あり、現在、障害基礎年金の1級、2級相当の障害の状態にある方が対象となります。ただし、65歳に達する日の前日までに当該障害状態に該当された方に限られます』
ということで、弟はこの適用措置にも当たらないのだ。
厚生年金に加入するまでの約2年間、国民年金が不払いだったからだ。
20歳になった時、父はすぐに弟のために年金手帳を取って来てくれたそうだ。でも、お金は払ってはくれなかったとのこと。だけどその不払い分を今払い直しすることはできない。遡って払い直しできる期間は限られている。
弟の病名がはっきりした時、父は障害者認定を取る手続きをしてくれた。せめて、その後、弟が働くようになってから認定手続きをしてくれたら良かったのに。それなら何の問題もなかったのに。父にはそこまでの知識がなかったので、今さら何を言ってもしょうがない。元々こういう制度はわかりにくいようにできているのだ。
私自身、弟の話を聞き、ネットで相談できる専門家を見つけてやりとりし、納得するまでに数日を要した。

ご存じのとおり、現在、「精神分裂病」という病名は無くなった。
それについては
『日本精神神経学会は2002年8月、1937年から使われてきた「精神分裂病」という病名を「統合失調症」に変更することに決めた。』
となっている。その背景は詳しくはわからないが、精神医療の発達に伴って変更されたものだと考えられる。つまり、弟の病名が確定されていた時には、まだわかっていなかったことがだんだんわかってきていて、この病名がふさわしくなくなったのだ、ということなのだろう。
ならば、この時点で弟の病名が新たに認定された、ということにはできないのだろうか。
それも医者に掛け合ったが、取り合ってもらえなかった。

現在、私は弟の病名自体を疑っている。いくつか本を読んでみると、どうも現在考えられている「統合失調症」と弟の現在の症状は違っている。だから医者を選んで診療を受ければ、もしかしたら、弟は統合失調症と診断されないという可能性がある。
でも、弟は、統合失調症と診断されているから障害者認定を受けていて障害者枠で働いているので、ここを覆すわけにはいかないのだ。
それに、弟は人からの強い言葉や拒否感を受けると精神的に折れやすく、また複数のことを一度に考える時にストレスを感じてしまうようで、解決しなければならない複数の問題が切実だったり、自分ではどうしようもできないものだったりすると混乱を起こしやすい。つまり、まだ統合失調を起こしやすいのだ。統合失調を起こしやすい時期から起こしてしまうまでを急性期と考えると、たぶん、現在の精神医療では、急性期と慢性期の考え方が違ってきているのではないかという気がする。そしてそれは病院や医者の判断によってかなり違うようなのだ。慢性期において、薬の服用は効果を示さないとはっきり書籍に書いておられる先生もいる。

数日前、この病気と長年付き合っている高校の友達から1日に3回も電話があった。
姪御さんの様子がおかしくなってきたということで、心底心配していた。それは自分が昔、気がおかしくなっていった時のことを思い出すからなのだと思う。心底、姪御さんのことを心配しいているからなのだと思う。
「ノイローゼになりそうなの」と言っている彼女の言葉は、私の心に直に響いた。
それは、私が去年、急性の統合失調を起こした時の感じと同じなのだろうと思った。
彼女は7種類もの薬を飲んでいるのに、まだ統合失調を起こしやすい。
日常飲んでいるこれらの薬に、いったい何の効果があるのだろうか。
だけどそれを本人に言うわけにはいかない。彼女が今、その時、安心して、その日ゆっくり眠って次の日を迎えられることを祈るしかない。

統合失調という病名はなんだか胡散臭い。その状態は「PTSD」というものに限りなく近い気がする。
若い頃のある時期に脳を使い過ぎて、急性統合失調を起こした場合、その時の記憶、経験自体が「トラウマ」になりその状態に陥りたくないという焦りが、混乱を悪化させるように思える。

その日、「良かった。落ち着いたわ」と言ってくれた彼女の言葉が、どんなに私を励ましてくれたか知れない。
彼女はまた、こうも言った「家はそういう家系なのね~」と。
そんなの家だって同じだよ。と思った。確かにこの病気は「家族的」な要素が多いような感じがしている。だけど、それは「遺伝子」の問題ではなく、その個人が生まれてから自立するまでの家庭との関わりと社会に適応していくまでの経過に関係があるような気がする。

発病した時、弟は国立の大きい病院にかかった。この時の主治医は亡くなり、その後を引き継いだ先生が今の弟の主治医だ。その先生が個人病院を始められたので、現在はそこで治療を受けている。病院を変わった時を初診日にしてもらえないかとも思ったのだけど、これもだめだった。
ここら辺の判断は、医師個人個人の考え方によるところが大きいようだ。
残念だけど、この主治医が、なんだか強迫神経症に近い感じで、個人的な失敗に当たるようなことを追及されるのを恐れているような感じだし、私もそこまでこの人を追及する気にはなれないのだ。

まあ、昔々、2年間日本国民ではなかったから、年金の恩恵は受けられないということでとりあえずはあきらめるしかないかな、と思っている。年金を払っている期間の長さなんか関係ない。国の判断なんてそんなものなんだろう。
もう、40年近くも同じ先生に診てもらっているので、今さら、いろいろ変えるのも大変だし、病人が自分を信じることができないと現状を抜けるのは難しそうなので、あとは信頼できる医者を探すか、法律がよくわかる人に相談してみようかとも考たりしているけど、でもうどうでもいいかな、という思いもある。
今、一番大事なことは、これから年を取るに従って起こってくる脳の老化と、現在弟が服用している薬の強さのバランスのこと。そのバランスのくずれが、これからの弟の生活を大きく阻害しないように、私が今できる最善のことをしたいということだけ。

考えれば考えるほど抜けらない感じ。結局、メビウスの輪の片側をずっと歩き続けて行って、表側には行けないっていう感じ。エッシャーの作品にそんなのがあったよな~と思い出だす。
でも、信じられないほど私は楽天的になっていて、どこかに何か抜け道があるはずだ、とどこかで思っていて、まあ、そのうち見つかるかもってな感じで、ちっともあきらめていないのだ。だから少しずつは前に進みたいと思っている。
まったく踏んだり蹴ったりだなあと思う。だけど、今のところ、暗い気持ちに落ち込みそうもないのが不思議です。


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6.まとめ [精神と言葉]

最近起こった、STAP細胞を巡る一連のできごとは、同じ科学畑、同じような国の研究機関に働く一個人として、非常に残念でならない。
特に、まだ若くてキラキラしていて、自分のことを信じて、自分の研究で導き出されたことが真実だと信じて、舞台の矢面に立たされた女性。彼女が自分を信じる力が本物だったからこそ、周りを動かす力になり得たのだろうと想像できる。
そこに嘘があったら、公の場であんなに堂々と自分の説を主張できるわけがない。

また、その女性の力を信じて、研究する場を与えた立派な研究者の自死は残念過ぎる。昔ライオン丸みたいな人が「自己責任」ってキーワードを流行らせたけれど、個人では請け負いきれない問題を個人に押し付けようとする感じ、皆で寄ってたかって人を突っつく様子ってなんか、情けなくて悲しかった。
ご冥福をお祈りします。

私は今回命を落とされたような、理解ある研究者に触れ、教えられ、場を与えられて育ててもらったと思う。
矢面に立たされた彼女が学校や研究所など、いろいろな場所の「フィルター」にひっかからず表面に出てきてしまったのは、単に「偶然」の連続だっただけだと思う。そのこと自体がたまたま不幸な結果になっただけなのだと思う。
彼女を通してきた数々のフィルターが甘いと言えばそれまでだが、そんなことどこの世界でも起こり得ることだ。
完璧なチェック体制なんてあり得ないし、組織のリーダーや広告塔になる人の政策の失敗、失言、勉強不足が明らかだったとしても、いまだに組織のリーダーや広告塔としていられる世界もあるのだ。
単に、科学というものが新しい事実を発見しようとする学問だったから、「間違い」が暴かれやすかったに過ぎなかったのだろう。特に先端部分の研究ではいろいろな検証の目が働き、「エセ」が通用しにくい世界なのだと思う。でもそれこそが大事なところだ。
そして、その間違いが指摘され、再検討される仕組みがあることが最も大切だと思う。
どんな結果であれ、最後にはちゃんとフィルターが働いたのだから。
今回の事件で、誰のどこがいけないというような特定の個人への罪着せの議論がいかに無意味でくだらないことかということと、同じような失敗を繰り返さないようにするために個人が向く「方向」、取る「姿勢」を学ぶことはできたと思う。

自死については、アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」の中で、「開いている窓の前で立ち止まるな」という言い方で表現されている。
開いている窓の前で立ち止まると、外の景色の方が魅力的に見える時があって、そこを越えようとする衝動の強さと、越えられる条件、たとえばたまたまその時一人であること、または、それまで一緒にいた人の言動が何かの暗喩を与え追い詰める結果になってしまったり、もしかして、単に何か音が鳴るとか…?、風が吹くとか?? そういうものに意味を見つけてしまったりして、行動に移す一瞬を与えてしまうものなのではないのかと想像している。
だけど、窓は開くもので、いつも閉まっているものではない。
開いているから見えるものがあり、わかるものもあるのだと思う。
この小説は見方によっては人物設定が奇抜な感じがするし、次々に起こる事件がこれまた奇抜で非日常的な感じがするから、読む人によっては不快に思えるかもしれない。だから人にすすめすることはできないけど、ある家族を通して、家族というつながりの中で絡まって起こる理不尽な不幸、偶発的な事故によってもたらされる理不尽な不幸、他人が絡んで起こる理不尽な不幸、社会に所属しなければならないことで起こる理不尽な不幸、各個人の心の中で起こる理不尽な不幸をどのように捉えて、自分で納得、解決して誰のせいにも何のせいにもせずに、幸せと言う形で心に定着させていくのかというヒントを与えてくれる。
物語の中に出てくる、ジュニアという人が、ボロボロになって泣いているフラニーを励ます言葉は、そのまま私の心に届いていて、いつでも私を励ましてくれる。そのセリフの中には嘘がないと感じる。その言葉を信じることができる。信じられる言葉は、心を強く折れにくくしてくれる。

「窓」との連想で、「キツネと私の12か月」という映画を思い出す。
この映画は人と自然のかかわりを描いたもので、半分ドキュメンタリーみたいな感じがする。自然の景観や、動物たち植物たちが美しく魅力的に撮影されている。
ある日、野生のキツネと出会った少女が、キツネに触ってみたい、仲良くなりたいという一心で、少女なりに工夫して餌付けを始める。野生動物にとっては「食べる」ことは生をつなぐ切実な問題だ。キツネは警戒しながらもだんだん少女を信用しようとしていく。その間のやりとりはすごくリアルだし、少女の好奇心と行動も本当のように見える。
キツネとの信頼関係ができたと思った少女は、だんだん、キツネを自分の思うままにしたいと思うようになる。首にバンダナを巻き、紐をつけようとして、思うようにいかないと苛立ちを覚える。キツネに逃げられるとその失敗を反省して、また待つことから始める。
そして、少女はやっとキツネを自分の家に招き入れることができた。それは「所有したい」という人間の欲がそうさせるのだろうけれど、少女にはまだそこまでの意識はない。ただ一生懸命なだけだ。
家に招き入れられたキツネはパニックになる。不安になり逃げようと焦り、あちこち走り回る。少女は驚き、どうしようもできない。
(脱線:キツネのパニック=これがつまり「狂気」だと思う。狂気はもともと持っているものではなくて、追い詰められて生まれるものなのだと思う。その狂気はある時までは表面に出ないまま内面で育っていくのだと思う。)

とうとうキツネは窓に体当たりして、ガラスを破り??(ここ不確か)外に飛び出してしまう。
もし、この少女が守備よくキツネを飼いならすことができたらどうだったろうか。キツネは観念し、時間を経て、少女の所有物になっただろう。
でも、その飼いならされたキツネのことを人間の視線で見てみると、それは「尊厳を放棄した」という状態に似ている。キツネは自分の尊厳を守るために死を選んだように見えるのだ。

生きようとする衝動を得るために快楽を求めたり、欲を追及したり、薬に頼る人もいる。いろいろな啓蒙書から脳の活性化の方法を探ろうとし、トレーニングに励む人もいる。だけど、そこが活性化しすぎると、今度は抑えられる。それは「生きる部分を殺す」感じだ。
そして急性的に狂気が表れてしまうと、思考自体が幼稚に思われるようで、「言葉」自体を信じてもらえなくなる。何か日常の「私」に当てはまらないことがあると、私の中にもともと存在する「狂気」がそうさせているのだと皆が疑っている、あるいは信じている感じで、私自身を信じてくれていないという疎外感が生まれ、自分が正気であることを信じてもらいたいと説明し続けることをあきらめてしまう。

(脱線:以上の文章の中では、「疑っている」「信じている」がほぼ同じ意味になるのでびっくりした。私の中に狂気があるというのは、疑われても信じられても困ることなのだ。それが表面化した時点でもう狂気は内面には残っていないのだと思う。今狂って見えるその時にこそ、正気であることを信じてもらいたいのだ。)

説明をあきらめた後、会話することに意味が見いだせなくなり、言葉自体の意味が失われて、人の言っていることがただの音になってしまったのだ。その時の光景は今思い出してみても不思議でならない。言葉に気持ちを集中しようとしても、まったく意味がわからなかった。本当に空虚だった。
意味が感じられない物にはもともと興味がわかないもんね。脳内バランスがくずれている状態では、それが極端な形で現れるのかもしれない。

統合失調を起こしやすい人には精神の病の素があると考えられていて、急性期には行動や感情がバラバラになってしまう(分裂してしまう)ため、話が通じないように見えるのだろう。だからなだめすかして嘘をついても、とにかく落ち着かせようとするのはしょうがないことだ。医療に解決を求めるしか方法がないと思われている以上、しょうがないことだと思うしかない。

だけど、人間は、遺伝というものに縛られず、生得的なものに縛られず、生まれた後の状況に自分を慣らし=「適応」させて脳を成長させ続けるために、胎児の状態で生まれるという方法を得たはずだ。
その自由な脳を持っているから、動物との違いを探り、驚き、よろこび、興味をもって、人の考えをつないで、時間を経るごとに知識を蓄積してきたはずだ。
産まれたての赤ん坊は、虫に近い感じがする。
お乳を飲もうと、触れる物の方に顔を向けて、口に何か入るとお乳を吸うように口を動かす赤ん坊の動きは反射に近くて、鳥の巣で餌を待つ雛の感じにそっくりだ。
それは、ただそこにあって、生きていて、生き続けようとする衝動があるだけのような感じがする。たぶん、その時点では何も決められていない自由な脳と衝動だけがあるのだろうと想像できる。
遺伝子を個人の「設計図」と考えてみると、その設計図に「男性」「女性」とはっきり書かれているにもかかわらず、成長するに従い自分の実感との齟齬を感じて、実感に従って身体的な性を改造し、戸籍に書かれた性を変更する個人だっているのだ。
これは「障碍」とか「病気」なのか? 単に「個性」という言葉で表現できることのような気もする。

成長するというのは、たぶん、生活を続ける上でのあらゆる行動を学習しながら、生きるということにつながるあらゆる衝動(野生の部分)を飼いならしていくことなのかもしれない。その全体のバランスを取って、うまく生きてゆくには、ただ単に自分を運転している自分を信用するしかないのだろうと思う。が、思考というものがこれを邪魔するのだ。
「考えないようにする」なんて、言葉で言うのは簡単だけど、不可能だ。だって、人間は考えることをして、その考えに従って行動する動物なんだから。
不要な闘争を避けるために、闘争のシンボルである角を発達させてきた、ヘラジカみたいな動物がいるけど、人間の場合は、脳が無駄に発達しすぎてしまっているようだ。

(10/21追加:「何かのシンボルを発達させすぎている」、ということを考えるとバビルサの方が説明に合っているかな。発達しすぎた牙が自分の脳を突き刺すかもしれないというのは…(~_~;) なんとも…。
人間は結局、発達させた脳を使っての思考やら話し合いでは「戦争」や「紛争」を解決できそうもないし、地球のことを考えたら、「人間が増えすぎている」ことが影響しているというのがもう目に見えて表れているのに、「経済を支える」ためにまだ人間の絶対数を増やそうとしているのだ。
フロンガスが人間の見えない所で、オゾン層に穴を開けていたみたいに、今、人間の絶対数が増えているという現実が地球のどこかに穴を開けているのかもしれないのだ。それは、地球に今たまりつつある狂気で、災害とか異常気象いう形で表面に現れるまでは、人間には感知できないのかもしれないし、仮に感知できたとしても、それから実行に移して改善できる時間は残されていないかもしれないのだ。
考える詰める人って、結局、ここで思考の壁にぶち当たるのかも。世紀末やハルマゲドンなどの感覚ってこういう感覚なのだろうと思う。)

今は、経済最・最・最優先の世の中だからどのように富を得るかということは誰でもが知りたいこと、皆が考えることだと思うけれど、目的が「知ること」自体ではなく「金」とか「物」にすり替えられてしまうと、それを得ること自体が脳を喜ばせるようになってしまうのかもしれない。だって、お金や物のほうが目に見えるし、価値を共有しやすいし、たくさんあればわりと何でもできるし、人自体を飼いならすことだって可能な時があるし、目標にしやすいし、自分が生きている間だけ満足していればそれでいいわけなので、わかりやすいのだから、しょうがない。
「経済最優先」って、私には「人間置いてきぼり宣言」という風に聞こえる。経済様は多くの人にとって救世主と信じられているみたいだ。その信仰においてはそれを疑うのはタブーで、まず経済様があるところから世界が始まっているのだ。

物の違いに気が付いて、「わかった」と思う瞬間って、本当にうれしい。その一瞬、世界が輝く感じだ。マンガとかだったら、頭の中で電気がピカって光る感じだよね? その表現で皆に通じているということは、そういう感覚を誰しもが持っているということだよね?
これは、きっと、真っ暗な夜に、最初に人工の光を得た時の喜びの表現なんだと思う。
驚くことは脳を喜ばせてくれるから、また新たに物を知りたいという欲求が生まれ、それを考えるために脳自体を活性化して使わなければならないから、永遠に脳を機能させ得る欲求になるのではないか、という気がする。それだけで済むなら、薬や「ごほうび」はいらない。
だけど、最低限の楽しみをつなぐためには、金はいるんだよ。やっぱり。だから私は働きます。
やれん。
(「やれん」という表現は、町田康さんの表現を拝借しました。ここにきて、なんで急にさん付けにしたいのか? 自分でも意味わかりませ~ん。だけどそういう気分なんです。お許しください)
まったく、やれんっす。

おしまい。




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5.書くこと [精神と言葉]

小学校くらいまでは、ずっと寡黙な子どもだったので、しゃべるのが不得手だった。
言葉を使って自分の考えを伝える手段としては、しゃべるよりも先に、書くことが発達したみたいだ。

小学校の低学年から高校を卒業するまでの間、書くことについては、誉めてもらえることが多かった。
ずっと、私の根底にあって、私を支えてくれたのは、物を書くことだったと思う。
ただしいつも書きたい「こと」があるわけではなく、ただ書きたいという衝動だけがあった。
中学生からは、手紙を書くことが最も好きなことで、現在に至るまで、これが私の一番好きなことなのだけれど、それは、相手を想像すると「書くこと」が生まれてくるからなのだと思う。また、返事をもらえば、「返事を書く」という目的が生まれる。手紙のやりとりで何か聞かれれば、お題を与えられたということで、またそれについて書ける。
私にとってはいつも「お題を与えられる」ということが最も必要なことだったのだ。

最初に就職したのは研究所だったので、実験をしていた。実験も好きだったけれど、それよりもレポートをまとめることの方がダントツ好きだった。手取り足取り、ていねいに書き方を教えてもらった。その当時は鉛筆で、手書きでレポートをまとめていたのだ。時代は変わったな~と思う。

書くことでお金が稼げればいいなとずっと思っていて、物書きになりたいと思っていた。
童話や小説の公募は、いつまでに何枚書くかという締切と、何を書くかというお題を与えてくれた。
けれど、私は本を読むことがそんなに好きではないし、得意でもない。確かな目的があったり、本の内容がおもしろいと思うものでなければ読み進められない。
小説は、小説を書くために読むようになったようなものだ。よく「物語の力」などと世の中では言うし、感覚としてはわかるし、実際その「物語の力」を実感させてくれた作家を見つけることができたし、好きになった物語は今も私を支えてくれている。でも、自分を支え続けてくれているのは常に「現実」であって、物語ではないのだ。きっと本をたくさん読んで、ただ読むという喜びを知っていて、書くことが好きな人が真の作家になれるのだろうと思う。

本当は、書いたことが人に通じなければ意味がないのだろうけれど、人に意味が通じるということがいかに大変なことかということを、今回身を持って経験したのだから、頭壊してまでやることじゃあないなと思った。

私は常に自己満足の域を出ることができず、今でもそうなのだ。
そして、それでいいのだとやっと気が付いた。自分が書いたものを読み直し、自分で意味がわかって文章として成り立っていることが確認できれば、それだけでかなりうれしい。書くためには考えなければならず、常に「書くこと」が目的としてあると、周りをよく観察するようになる。前日との違い、季節の違い、なんでもない違いを発見しただけでかなりうれしい。発見自体が脳を喜ばせてくれる。

パソコンの発達と並行して再就職できたことはすごくラッキーだったと思う。ワープロ機能を使えば、大きな修正小さな修正も思いのままにできるし、項目ごとに書き散らかしておけば、整理も簡単だ。インターネットが発達してからは、わからないことはすぐに調べられる。

ときどき手を使って文字を書きたいと思うことがあるので、それはそれでノートに書いている。何が楽しいのかわからないが、ノートに字が埋まっていくということがこれまた楽しくて、それがたまっていくことが楽しいのだ。それを後で読み直すと、もう、ほとんど意味がわからない時もあるし、考えが今と全然違っていることを発見する。びっくりする。今に続く同じ自分だとは思えないくらい違う。まったく忘れていて、カケラも思い出せないこともある。それがおもしろい。
本の抜書きも大好きだ。
そうやって自分の世界に閉じこもって自己満足に浸っていればいいだけなのだ。
そうやって、うれしい、楽しいと実感する時が脳の喜ぶ時、自分を生かしている時なのだ。
まったく安上がりな人間だ。
だから、あとは死ぬまでに生き続けられるだけのお金と、ただ楽して、楽しい時間が続けばいいと思っていて、その通り楽していて楽しい時間が続いている。
だからこのままやっていけばいいのだ。

来年還暦を迎える。
義母が初めて海外旅行に行ったのは60歳を過ぎてからだと言っていたし、友達のお母さんは改めて刺し子をやり始めたという。グランマ・モーゼスが本格的に絵筆を握ったのが75歳。アーシュラ・クローバー・ル=グウィンは84歳の現在も物語を書き続けている。
そういう話はすごく私を励ましてくれる。まだまだ何かやる時間が残されているのだ。
還暦は生まれた年の干支に再び還る年。新しい人生の始まりがあるのだ。
いい年して、私は調子に乗りやすく、相変わらず自由で子どもなので、新しい人生は慎重にゆっくりやっていきたい。




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4.嫌いな言葉 [精神と言葉]

ときどき、嫌いな言葉がある。
まず、「自分探し」。
自分探しって何? って思ってぞっとする。
同じく、「等身大」って言葉もあんまり好きじゃない。
ニュアンスはわかるのに、言葉自体に好き嫌いがあるというのは、おもしろいことだ。

だけど、私が約60年間生きてきて、思考の中心を占めてきたものは、自分探しだったんだ~、とあきれた。それに、常に等身大。だから、私にとっては、「あたりまえ」と思われることを気取って表す言葉に嫌悪感を抱くのかもしれない。

自分自身の精神分析はとりあえずは、終わった。
それが、意外に単純だったので、びっくりした。
自分の「嫌悪感」の根源には、父の存在があるのだな、とわかった。

父はいつも夢見ている人だった。すごく優しい人だった。すごくいい人だった。
中学生の低学年くらいまでは、確か、父のことが大好きだった。父の作ったお話を聞くのも好きだったし、父が若いころの話しを聞くのも好きだった。
絵描きになりたかったのに、祖父に「それでは生活ができないからあきらめろ」と言われたと言っていて、かわいそうだな、と心から同情していた。

ところが、その後どんどん嫌いになってしまった。
また、父はほら吹き男爵のような人で、誇大妄想のようなことを語り、いつも特許を取ることを考えていて、自分で見つけてきた得体の知れない物を人に勧めたり、親戚の人を自分の事業に引っ張り込んで、迷惑をかけたと思う。事業の失敗で借金も作った。そんなふうにいい加減に見える部分は私の嫌悪感をさらに募らせた。
私ただ夢を見ることをやめて、実際に目で見える物、触れるものに伝わって行こう、と思った。
父の甘さ、優しさも私の嫌悪するところとなり、それは父が亡くなる時まで消えなかった。
父は私のことをかわいいと思い、好意を寄せてくれていたみたいだ。親子の愛情で好意というのもなんだけど…、でもそれがすごく気持ち悪かったので、それ以上の言葉を使いたくない。愛情なんて、きれいごとだけでは表現できない。垂れ流しにされると醜悪でさえある。
娘を大事に思うのなら、なぜ、昔は人の娘であった母を大事にしないのか、といつも腹が立った。母はきれいごとや泣きごとを言わない。借金を返済するために働き始めた時も、そのことについて一言も文句を言ったことがない。働くことに喜びを見つけていつもそれを楽しそうに話してくれた。

私はある時からは、「母の連れ合い」であるということで、父を受け入れてきた。よくいう言葉では「母に免じて」受け入れてきた。子どもが生まれてからは、ひと月に一度は両親で泊まりに来てくれた。そういう時は、いちいち嫌悪感を伴うことはなく、快く来てもらった。旅行にも一緒に行って、楽しい時間を過ごした。
ある日、母から電話があり、母の都合が悪かったのだったかな? とにかく、父が一人で訪問したい、と伝えてきた。たぶん父は私に直接言えなかったのだろう。
私は、父が一人で訪ねて来ることを拒否した。
客観的にみると、まったく、「私って鬼のような奴だな」と自分で思ったけれど、そこを譲る気にはなれなかった。
でも、母の入院中には、母を見舞った後でそばやで父とよく夕飯を食べた。父は果物をむいては母の病室に届け、母の面倒をよくみてくれた。手先が器用で料理が好きで、とてもマメな人だったのだ。
父は私と食事する時、すごくうれしそうだった。私はただ父の話を聞いた。決して嫌な顔はしたことがない。
父は独特の比喩を使い、詭弁を弄する人だったから、父と議論すると話がどんどんずれていって訳がわからなくなってしまう。話がかみ合わないのはわかっていたから、ただ聞くことだけをした。高校までは納得できなくても父の言いつけを守って、バイトもしなかったし、友達と旅行にも出かけなかった。でも、大学生になってからは、父の言い分を聞きはしたが、守りはしなかった。

弟には、いつか私と飲みに行きたいと言っていたみたいだし、私の夫のことを気にいっていなくて、いつか絶対に私が離婚して帰ってくる、と亡くなる前まで信じていたみたいだ。
父は結局、自分の生活に満足することはなく、死ぬ直前まで特許のことを考えて、自分のことだけ考えていて、夢みたいなことばっかり言っていた。
父が亡くなる前は、娘として毎日のように見舞いに行っていて、父が死んで行くのにもつきあった。でも、ちっとも悲しくなかった。ただ、この世から消えて行く命というものが切なくて、少し涙が流れただけだ。

私の中にある夢想にふける部分、脳の器質のようなものも、父から由来しているのだな、と感じる。いろいろ描いたり作ったり、料理したり、書いたりまとめたり、思いついたりする傾向も、全部父から譲り受けたものだと感じる。だけどそれがいったい何になるのか? と思う。それはただ無意味に私の中にあるものだ。

ときどき父が夢に出てくることがある。夢の中でも父は自分のことしか考えていない、甘ったれた人なのだ。ただ、笑ってしゃべらないこともある。でも、そういう人なんだからそれでいい。別に嫌でもなんでもなくて「夢に出て来たな~」って思うだけだ。ただ景色を眺める感じに近い。

最近、父に担当してもらいたい役割を見つけた。私の一生という物語の中での悪役だ。
父一人に私の物語の悪役を引き受けてもらうと、今まで父に由来することで起こったあらゆる不幸も、理不尽な力で起こった不幸も、全部父のせいということで解決がつくのだ。そして、私に関わって不幸になった人がいたとしたら、それも全部父が引き受けてくれるのだ。

夜、ふと、そこに父がいるような感覚を抱く時があったので、父に「よろしくお願いね」と伝えた。父のおかげで、なんだかあっけなく私自身の物語はハッピーエンドで幕を閉じた。だけど、まだ命が続いている。せっかく身軽になったのだから、後は楽しんで適当にやっていこうと思う。

まったくバカみたいだけれど、私がまだ、考え続け書き続けているところをみると、結局私には私自身というものしか残されておらず、どうやらそれだけで、生き続けて行けそうだということだ。どうやら私は、父から「生きている」部分を引き継いだらしい。

今、20歳近く若い女性と接する機会があると、本当に「良い子」が多い。彼女たちは家続的な問題があっても、それを自分の中の毒として抱え込まず、他のことに振り替えて、誰のせいにもせずに「しなやか」に生きている。賢くて仕事ができ、周りとの調和を考えて、仕事で起こった摩擦も自分の中に溜めこまない。精神的に大人なのだなと感じることが多い。
それでも会社で何かあると自分を責め、律して、すごくまじめに悩んでいるのだ。私もずっと「良い子」だったのだな、と思った。ただ、自分の毒の発生理由がわりに単純だったので、特に社会に出てからはどんどん越えやすくなり、生きやすかったのかな、と思った。
幸い、学校生活、社会生活、結婚生活では人間関係に恵まれ、いつも誰かに助けてもらえた。だから子供のまま、自由なままでいられたのだなと思った。
そういう周囲の人が支えてくれるということが「無償の愛」なのだと思う。映画で高らかに歌って、教えてもらうまでもなく、いつも私はこれに守られて支えられてきた。

「あたりまえ」と思っていること、「簡単に割り切れる」ことが人によってあまりにも違うとわかる時、本当にびっくりする。それは自分には持てなかった、他の解決方法を教えてくれる。
恵まれすぎているとそれが思考の壁=限界になるみたいだ。
養老先生が仰っていた「バカの壁」ってこういうことなのかなと思う。人から教えてもらわなければ、いつまでも気がつくことはできなかったのだろうな、と思う。もちろん今だって気が付いてこないことがたくさんあるに決まってる。それが何? ってのは気が付くその時までわからないんだからあたりまえだよね。
その瞬間を楽しみにしようっと。






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3.いい人 [精神と言葉]

「いい人」って、微妙な言葉だと思う。
だって、悪い人というものに会ったことがない。
だから、「いい人」って、まあ、一般とか普通の人って意味なのだろう。
何かもめごとを起こす人や、話の通じない人のことについて「あの人、いい人なんだけどね…」と前置きして噂することがあるから、そういう時は「とりたてて誉めるところがない人」ってことなのかな、って思っている。
たぶん、いい人って「悪意のない人」というのが、いちばんわかりやすい説明なのではなかろうか。

私は40歳を過ぎて働き出した場所で、典型的なパワハラに遭った。
また、パワハラに相当するような、ものすごいエネルギーで人を罵倒できる人に遭った。
「遭った」という風に書くのは、人と会ったというよりは、事故に遭遇したという感じに近いからだ。
その人たちに接したことで、病気になったり会社を辞めたりした人がいたけれど、でも、そのパワハラ人たちが悪い人だったのかというと、そうではなかった。
普通は「いい人」なのだ。また、立派な家庭人でもあるのだろうと想像できた。
ただ、自分の感情をコントロールすることができなくて、時と場所の区別がつけられなくて、相手を選べないってだけなのだ。

最初のパワハラは、私のうっかりミスが続き、手紙の発送相手を取り違えるということがあり、それを叱られただけなのだ。だから、叱責の中身には悪意は感じられなかった。
不特定多数の人の中で、そんな風に自分を爆発させてしまったら…。
私だったら、その後、後味が悪いし、バツが悪すぎて会社に通うのにも恥ずかしいとか、苦痛とかを感じるだろう。
だから、きっとそういうことができる人は、なぜだか知らないけれど、そういう想像をしないのだろう。

社会人1年目の時、私はおっちょこちょいで、自由すぎて、調子に乗っていて、すごくたくさん失敗したし、高価な実験器具を割ってしまったこともある。だけど、叱られたことは一度もなかった。
だから、いい年して、うっかりミスで4~50人くらいいるオフィスの端っこから呼びつけられて、着席のまま罵倒されるなんて初めてのことだった。頭に来たけれど、自分にミスがあった以上、言い訳することもできず、ただ叱られるしかなかった。
この人のやった行為については忘れられないし、その時の私の怒りも解決されないまま、心に残っている。だけど、その怒りのエネルギーは、パワハラという行為自体に対する嫌悪という毒に変換できている。

それ以前、小さい会社に勤めた時、社長から理不尽な理由で給与削減をされたことがあったが、その時は社長に直接文句を言った。結果、給与削減についての謝罪は得られなかったけれど、私が言ったことは伝わったようで、次の月から給与は元に戻り、前月の差引分も加えられていた。
この社長だって、別に悪い人ではなかった。私の話を聞き入れてくれたのだし、いい人ではあった。

私は、「いい人」にはなるべくなりたくないな、と思っている。でも、人にそう思ってもらうことは別にかまわない。それは、無害ということだろうから。
そのまま、気を使わずに単にそこにいられるのなら、「いい人」でかまわない。
私は心の中に毒をたくさん持っている。だけど、それを隠したり捨てたりする気はない。でも、わざわざ出したり、振りまいたりはしたくはない。いつも無害な人でいたい。この毒は或る意味自分を守ってくれているし、時として行動を起こす原動力になることもあるのだ。人を刺したり振りまかなければ毒は出て来ない。毒をふりまく人がいた時、それに対抗するために発揮すればいい。
私はできれば、おもしろい人になりたい。
または、変わった人でもかまわない。

加害者、被害者と言うけれど、法律問題にまで発展しなくても、人との付き合いでは気分を害されたり害したりということはあると思う。迷惑をかけたりかけられたり、ということかな。そういう「違和感」を相手に負わせる方を加害者と考えてみる。
悪意がなかったり経験がなかったり、人と感覚が違う以上、自分がそういう意味での加害者になっている時には気が付かないか気が付きにくい。そこまで相手のことを思い図って付き合うことは不可能だし、相手にそれを求めるのも不可能だと思う。その感覚が合わないのは、単に相性の問題なのだと思う。だから、どこかでは「嫌な人」になっているのだろうと思う。自分が望んでも付き合いを断られたり、拒否されたことはある。続けたいと思っていた関係を続けらなかったこともある。今になって、きっと何かの形で私が「不快」を与えていたのかもしれないな、と思い当る。

その時に気がつけなかった以上、しょうがない。
でも、自分で回避できそうなことは回避していきたいな、と思う。
その結果「嫌な人」になってしまったのなら、それはそれでしょうがないなと思う。


2022/08/26
私は今はいい人になりたいと思ってます。
もともとなんのとりえもない「とりたてて誉めるところのない人」なのだから、せめてただのいい人になりたいです。





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2.怒り [精神と言葉]

怒りについて考えた。
なぜ、私はそんな友達とのやりとりに腹を立ててしまったのだろう。

改めて考えてみるとすごくだらないことだ。
「自分がわかっていると思っていることについて、繰り返し忠告を受けた」ことに他ならない。
子どもの頃、テレビを見たりしている時に「勉強しなさい」って言われて、「今やろうと思っていたのに!」とすごく腹が立つことがあった。
あれだ。
「勉強をやらなければならない」とは頭でわかっていたから、改めて人から言われたくなかったのだ。
「わかっているよ!」ってやつだ。

ただし、60歳に近い人間のケンカでは、さすがに内容はそんなに単純ではなくて、手紙のやりとりをしている間、私は自分の苛立ちが単に「怒り」で説明できるなんて、思っていなかった。手紙の相手は思考の仕方にかなり傲慢なところがあったので、時々違和感を抱くことはあった。でも、実際に会って話してみると率直でウソのない人なのだ。手紙のやりとりがかみ合っていなかったので、会って話したかったのだけれど、それを拒否され、キレてしまったのだ。

忠告の内容は、私にとってはごく「あたりまえ」と思われる人付き合いについての考え方だった。私は自分なりに自分の人付き合いのルールを守って約60年間生きてきたので、それなりに自分のやりかたに自信を持っていたため、この忠告が少しずつ私の自尊心の壁を侵食していたようなのだ。

悪意のある手紙を送ったことについてはすぐに謝罪したが、許してはもらえなかった。
あとから来た友達の怒りの手紙でわかったことには、いろいろな言葉の解釈、視点、使い方などが大きく違っている感じだった。
そのいろいろな言葉の使い方について、こまめに説明してきた彼女の手紙には、私の「生き方」に対する批判も含まれていたし、まさに私の自尊心=自我そのものを直撃し、私の存在を否定する威力を持っていたため、途中で吐き気がするほど怒ってしまって、読めなくなって破り捨ててしまった。
ばかみたい。
関係ない人に同じことを言われてもなんともなかったと思う。30年間つきあっていて信頼している人の言葉だったから心に突き刺さってしまったのだろう。
その時の感情自体は「激怒」だとはわかったので、その日出かける約束をしていた他の友だちと会えば気分転換できると思って出かけてみた。だけど、あまりに怒りが激しくて、気分転換できなかった。怒りって、本当にふつふつとお腹の底から湧くものなのだ。とりあえず怒りを伝えるメールを打ったのだけれど、手は震えるし、考えは混乱するし、短い怒りのメールを作成するのに、約1時間も要してしまった。
家に帰ってから、破り捨てた手紙が気になって、セロテープでつなげて、だいたい読んでみたけど、特に言葉の定義についての彼女の解釈は、部分的にはよく理解できなかった。
もしかしたら、彼女には「相対」という視点が希薄なのかもしれなかった。

次の日、前日一緒に出掛けた友達が心配して様子を見に来てくれた。一緒に病院に行こうと思って来てくれたみたいだけど、私が「大丈夫」と言ったんだったか? 友達は「病院に行こう」とは言い出せず、他の友達に相談しに行って、別居中の夫に電話をかけてくれた。
その日はなんとか持ちこたえように思えたのだけれど、一眠りしたら? だったかな? その前からだったか記憶があいまいだけれど、とにかく頭の中真っ白になってしまって、パソコンの電源などもわからなくなり、一時は歩行も困難になってしまった。

今は、その手紙を捨てなければ良かった、と後悔している。
たぶん今なら笑えるはず。
それにその手紙が残っているなら、もう一度読んでみたい。ワープロで作成された手紙だったから、お願いすれば送り直してくれるかな? なんて、今は思っているけど、怒りを完全に鎮めて納得するまでに半年くらいかかったし、その間、まだ怒りの根源は残っていたから、それを吹っ切るために、「入院経過、退院、職場に復帰」するくらいまでのことを手紙に書いてまとめて送り、友達付き合いを断ってしまった。
その前に彼女に送った私の悪意が含まれている手紙は送り返されてきたけど、退院後に送った手紙は送り返されてこなかったので、受け取ってはくれたみたいだ。でも読まないで捨てたってことも考えられる。

この経験で得たこと。
1.自分ではわかりきっていると思っている事柄について人から繰り返し忠告を受けた場合、相手に悪意がないとわかっているか、善意を持って言ってくれていると感じられる時には、少しイラッとしても、いちいち腹は立てていられない。けれど、自分の心の中に毒としてたまっている時がある。
2.自分にとってトンチンカンと感じられるアドバイスは、『いちゃもん』に思えることがある。


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1.言葉の整理 [精神と言葉]

50歳を過ぎて、大きく脳内バランスをくずし(急性的な統合失調を起こし)、2回も精神病院の隔離病棟に入院してしまった。
1回目の引き金は、閉経に伴うホルモンバランスの大きな崩れだったようだ(診断名=急性精神病)。
2回目の引き金は、友達との手紙のやりとりだった(診断名=急性一過性精神病性障害)。
退院して約1年が過ぎ、冷静になって考えてみると、この友達とのやりとりは、単に「ケンカ」という言葉で説明がつく。
ただし、私はほとんどの場合、人とケンカをしない。
それは後味の悪さを残すからだ。
だいたいは回避する。

でも、何回かの手紙のやりとりで、なんだか腹が立っていたようで、それを遠まわしに書いていると、さらに腹の立つ手紙がきて、腹が立ってしまい、私が先にイヤミな手紙(悪意のある手紙)を送ってしまったのだ。
その結果、もう友達関係が続かなくなるかもしれない、ということくらいまでは想像ができた。だけど、その後この友達とのメールのやりとりで、「頭がおかしくなる」ほど意味のわからないことがあり、先に悪意を示したという自責の念があったため、自分を肯定できなくなってしまって、自分を苦しめることになってしまった。
そして、なにがどういけなかったのかわからず、どうにか元にもどりたくて、自分とその友達が使う言葉の違いについて、考え詰めてしまったのだ。

脳内バランスが大きくくずれてしまう=「統合を失調する」と、一度ケロリとした後、しばらくして大きく気持ちが沈む時期があって、それを越えると、気分が高揚してきてそれに従ってものすごく思考が飛躍する時がある。そういう時は、毎日新たに気が付くことが出てくる。大きな発想の転換が起こる、と言ったらいいのだろうか。ごちゃごちゃになっていた押入れの中の物を全部出したあとで、また入れ直し整理していくといった感じ。一眠りすると、また違う入れ方を思いつき、また入れ直し、整理するというのが毎日続く。
新興宗教の教祖などになってしまう人ってこういう経験をした人なのではなかろうか。なんだか、物事すべてがわかったような、悟ったような感覚に陥る。

そして、思考の狂いってものは、つまりは言語の成り立ちが狂っているってことなのかな?と気が付いた。ある意味あたりまえかもしれないのだけれど…?
もしかしたら、私は頭=思考自体が狂ったままになってしまったのかも? あるいはこれからさらに狂っていくのか? という疑いは自分では払いきれない。
というのは、現在、自分では狂っているという自覚があまり感じられなくなってしまったから。そういう自覚がなくなる病気、という定義もあるのだから、もしかしたら私は本当に狂っているのかもしれないのだ。

この病気には「完治」はないのだ。主治医からは、「寛解」という診断を得ているし、毎日の生活ができているし、人との会話も通じているみたいだし、本も読めていて意味もわかっている感じがするから、この際、細かいことは気にしないことにした。気が付く範囲で、慢性化しないようにしたい。

現在、大きい混乱を起こさない状態には戻っているようなので、私の頭の中に散乱していた言葉や事柄を整理していく途中で気になった物・事柄について、一つずつまとめてみることにした。





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