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2-1 ジレンマ [精神と言葉]

弟には精神障害があるので、障害者認定2級と認定されている。
障害者手帳を見せれば、タクシーに乗る時に割引が受けられたり、劇場や博物館などの施設に入る時には、同伴者も含めて無料で入ることができたりする。
でも、障害基礎年金というものを受けていなかった。
国は、「義務」という言葉を盾にして、国民という個人から取れる物はどんどん取って行く。だけど、国民という権利を生かして国から何かをしてもらおうとすると、それはわかりにくかったり、してもらうのにえらいエネルギーが必要だったりすることが多い。

現在、弟は企業の「障害者枠」で働いているので、同僚はほとんどが障害者だ。だから障害者として国からやってもらえることについて、話を聞く機会が多い。
何かの話のきっかけで弟は自分がその年金を受けていないということに気が付いて、医者に聞いたり、区役所に行ったりして、自分できるだけのことをやってきた。
だけど、受けられなかった。
福祉関係の仕事をやっている友達が、おかしい、受けられるはずだと言ってくれたのだけれど、とにかく、弟が始め「精神分裂病」と認定された日に年金を払い出していなかったことがネックとなっており、ここを動かせないので、どうやっても障害者年金を受給できないのだということがわかった。

障害者年金には
障害者基礎年金と障害者厚生年金の2種類がある。
厚生年金を支払い始めた後に、障害者認定を受ければ障害者厚生年金を受給することができる。弟が認定を受けた時には、まだ厚生年金を支払っていなかったので、これは受けることができない。
障害者基礎年金は、国民年金に加入している間に初診日があれば受けることができる。
現在、20歳になると国民は強制的に年金に加入させられることになっている。
でも、以前は任意加入だったので、加入していないまま来てしまった人が多くいるようで、弟もそのうちの一人だった。
そういう人に対しては「特別障害給付金制度」が適用されることになっている。
それについての説明は以下の通り
『国民年金に任意加入していなかったことにより、障害基礎年金等を受給していない障害者の方について、国民年金制度の発展過程において生じた特別な事情にかんがみ、福祉的措置として「特別障害給付金制度」が創設されました。』
『昭和61年3月以前に国民年金任意加入対象であった被用者等の配偶者であって、当時、任意加入していなかった期間内に初診日あり、現在、障害基礎年金の1級、2級相当の障害の状態にある方が対象となります。ただし、65歳に達する日の前日までに当該障害状態に該当された方に限られます』
ということで、弟はこの適用措置にも当たらないのだ。
厚生年金に加入するまでの約2年間、国民年金が不払いだったからだ。
20歳になった時、父はすぐに弟のために年金手帳を取って来てくれたそうだ。でも、お金は払ってはくれなかったとのこと。だけどその不払い分を今払い直しすることはできない。遡って払い直しできる期間は限られている。
弟の病名がはっきりした時、父は障害者認定を取る手続きをしてくれた。せめて、その後、弟が働くようになってから認定手続きをしてくれたら良かったのに。それなら何の問題もなかったのに。父にはそこまでの知識がなかったので、今さら何を言ってもしょうがない。元々こういう制度はわかりにくいようにできているのだ。
私自身、弟の話を聞き、ネットで相談できる専門家を見つけてやりとりし、納得するまでに数日を要した。

ご存じのとおり、現在、「精神分裂病」という病名は無くなった。
それについては
『日本精神神経学会は2002年8月、1937年から使われてきた「精神分裂病」という病名を「統合失調症」に変更することに決めた。』
となっている。その背景は詳しくはわからないが、精神医療の発達に伴って変更されたものだと考えられる。つまり、弟の病名が確定されていた時には、まだわかっていなかったことがだんだんわかってきていて、この病名がふさわしくなくなったのだ、ということなのだろう。
ならば、この時点で弟の病名が新たに認定された、ということにはできないのだろうか。
それも医者に掛け合ったが、取り合ってもらえなかった。

現在、私は弟の病名自体を疑っている。いくつか本を読んでみると、どうも現在考えられている「統合失調症」と弟の現在の症状は違っている。だから医者を選んで診療を受ければ、もしかしたら、弟は統合失調症と診断されないという可能性がある。
でも、弟は、統合失調症と診断されているから障害者認定を受けていて障害者枠で働いているので、ここを覆すわけにはいかないのだ。
それに、弟は人からの強い言葉や拒否感を受けると精神的に折れやすく、また複数のことを一度に考える時にストレスを感じてしまうようで、解決しなければならない複数の問題が切実だったり、自分ではどうしようもできないものだったりすると混乱を起こしやすい。つまり、まだ統合失調を起こしやすいのだ。統合失調を起こしやすい時期から起こしてしまうまでを急性期と考えると、たぶん、現在の精神医療では、急性期と慢性期の考え方が違ってきているのではないかという気がする。そしてそれは病院や医者の判断によってかなり違うようなのだ。慢性期において、薬の服用は効果を示さないとはっきり書籍に書いておられる先生もいる。

数日前、この病気と長年付き合っている高校の友達から1日に3回も電話があった。
姪御さんの様子がおかしくなってきたということで、心底心配していた。それは自分が昔、気がおかしくなっていった時のことを思い出すからなのだと思う。心底、姪御さんのことを心配しいているからなのだと思う。
「ノイローゼになりそうなの」と言っている彼女の言葉は、私の心に直に響いた。
それは、私が去年、急性の統合失調を起こした時の感じと同じなのだろうと思った。
彼女は7種類もの薬を飲んでいるのに、まだ統合失調を起こしやすい。
日常飲んでいるこれらの薬に、いったい何の効果があるのだろうか。
だけどそれを本人に言うわけにはいかない。彼女が今、その時、安心して、その日ゆっくり眠って次の日を迎えられることを祈るしかない。

統合失調という病名はなんだか胡散臭い。その状態は「PTSD」というものに限りなく近い気がする。
若い頃のある時期に脳を使い過ぎて、急性統合失調を起こした場合、その時の記憶、経験自体が「トラウマ」になりその状態に陥りたくないという焦りが、混乱を悪化させるように思える。

その日、「良かった。落ち着いたわ」と言ってくれた彼女の言葉が、どんなに私を励ましてくれたか知れない。
彼女はまた、こうも言った「家はそういう家系なのね~」と。
そんなの家だって同じだよ。と思った。確かにこの病気は「家族的」な要素が多いような感じがしている。だけど、それは「遺伝子」の問題ではなく、その個人が生まれてから自立するまでの家庭との関わりと社会に適応していくまでの経過に関係があるような気がする。

発病した時、弟は国立の大きい病院にかかった。この時の主治医は亡くなり、その後を引き継いだ先生が今の弟の主治医だ。その先生が個人病院を始められたので、現在はそこで治療を受けている。病院を変わった時を初診日にしてもらえないかとも思ったのだけど、これもだめだった。
ここら辺の判断は、医師個人個人の考え方によるところが大きいようだ。
残念だけど、この主治医が、なんだか強迫神経症に近い感じで、個人的な失敗に当たるようなことを追及されるのを恐れているような感じだし、私もそこまでこの人を追及する気にはなれないのだ。

まあ、昔々、2年間日本国民ではなかったから、年金の恩恵は受けられないということでとりあえずはあきらめるしかないかな、と思っている。年金を払っている期間の長さなんか関係ない。国の判断なんてそんなものなんだろう。
もう、40年近くも同じ先生に診てもらっているので、今さら、いろいろ変えるのも大変だし、病人が自分を信じることができないと現状を抜けるのは難しそうなので、あとは信頼できる医者を探すか、法律がよくわかる人に相談してみようかとも考たりしているけど、でもうどうでもいいかな、という思いもある。
今、一番大事なことは、これから年を取るに従って起こってくる脳の老化と、現在弟が服用している薬の強さのバランスのこと。そのバランスのくずれが、これからの弟の生活を大きく阻害しないように、私が今できる最善のことをしたいということだけ。

考えれば考えるほど抜けらない感じ。結局、メビウスの輪の片側をずっと歩き続けて行って、表側には行けないっていう感じ。エッシャーの作品にそんなのがあったよな~と思い出だす。
でも、信じられないほど私は楽天的になっていて、どこかに何か抜け道があるはずだ、とどこかで思っていて、まあ、そのうち見つかるかもってな感じで、ちっともあきらめていないのだ。だから少しずつは前に進みたいと思っている。
まったく踏んだり蹴ったりだなあと思う。だけど、今のところ、暗い気持ちに落ち込みそうもないのが不思議です。


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