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5.また夏のはじめ ② [豚田豚饅頭店]

「ブッキって、ほんとうに次から次へといろいろなことを考えるのね」
 ボウボウの店から、作業を終えてきたニクエとユコもいつのまにかみんなの中に加わっていて、いっしょにまんじゅうを取ってほおばった。
「きゃ! あたしも当たりよ!」
ユコが声を上げた。
「あたしも!」
 とメイコ。
 おいしいまんじゅうで、みんなニコニコ笑っている。
「まったくのんきなものさ。ただまんじゅう食べて、笑って、喜んで。それだけでいいんだからな! オレも、他の動物に生まれれば良かったよ!」
 と文句を言いながらも、ブッキはふっふと笑っていた。
 みんながおいしそうにまんじゅうを食べているのを見ると、なぜか笑いがこみあげてくる。それは、おかしい笑いとは違って、胸がほんわかと暖かくなるような、不思議な笑いだった。
「さあ、では腹ごしらえもできたところで、みなさんでひゃっほうダンスを踊りましょう!」
 ケンモチ博士がみんなに呼びかけた。
 ブッキは目を白黒させた「な、なんだ、そのひゃっほうダンスってのは?」
 ニクエとユコもびっくりして、ブッキに聞いた。
「ブッキ、なんなのそのなんとかダンスって…」
 ブッキは答えられずに、下を向いた。
 ケンモチ博士の用意したカセットコーダからなんとものんびりとした音楽が流れて、動物たちが丸く輪を作って輪の中心を向いている。
「おお。ほかから来たかたにはわかりませんな。じゃあネコヤナギ君が指導します」
 コタロウは偉そうに真ん中に出ると、拡声器を使って
「はい、右足を左足の前に出して、二つ飛びます! その時こうやって右手を上げて! 外側に向かって二回ふります。はい! そしてもどって! ひゃっほう! ひゃっっほう! 次に左足の前に右足を出して二つ飛んで! 左手を上げて! 外側に二回振って!ひゃっほう! ひゃっほう! 元気よく!」
 みんな、手の振りに合わせて「ひゃっほう!」というのを二回叫ぶ。それをみんなは楽しそうに簡単にやっている。どうやらそのダンスを知らないのはブタたちだけだった。
 でも、ニクエとユコはみんなの中に入って、うれしそうにみんなのまねをしながら踊り始めた。
 今、輪からはずれているのはブッキだけになった。
「ブッキ! ほら、恥ずかしがっていないで! ここに入りなさいよ!」
 ユコがよぶ。
「こっちでもいいよ!」
 メイコも呼ぶ。
 だがブッキの身体は堅く固まってしまって動かない。ブッキは下を向いて
「へん! オレは片づけてくる!」
 と言って、いろいろな道具をしまい始めた。
 そんなブッキをユコとニクエが引っ張って輪の中に入れてしまった。ブッキは…。すごく恥ずかしかった。そんなふうにみんなと踊ったってちっとも楽しいことはない。でも、恥ずかしいのだけど、音楽に合わせるとだんだん気にならなくなってくる。
「ちぇっ! まったくのんきな動物たちさ。こんなくだらないダンスして笑ってるんだからな」
 もちろん、ブッキは楽しんでなどいない。
 ただ、自然に身体が動くようになってきただけだ。みんなそれぞれのやり方で、ダンスを楽しんでいる。だれもブッキの不格好なダンスのことなんか気にしていない。
 「ひゃっほう!」という声がいつまでも耳の中に残って、ステップを踏んでしまう。
 音楽はのんびりといつまでも流れ、流れていれば流れているだけ、動物たちは踊るのだった。

新聞 (C).png

 さて、こんな大きいイベントだから、もちろん翌日の夜光新聞にはこの結婚式のことが記事になっていた。だれもいない夜のヒロッパラの寂しい写真が真ん中に写っている。
『昨日河馬穴次、大口春美両氏の結婚式がヒロッパラで行われたことは、もうタカンダ町のみなさんはご存じのことと思われる。町中の者が集まり、ケーキの組み立てを手伝い、ヒロッパラの真ん中にはりっぱなケーキができたということである。
 みなさんはケーキというものをご存じだっただろうか。ここタカンダ町では、だれもそれを知っている者はいなかったのである。だが、そこは物知りな犬餅斑乃信博士の知恵を借りて、豚田豚饅頭店の店主、豚田仏太郎氏が白まんじゅうのケーキを作られた。これは、豚田家に伝わる秘伝のまんじゅうである』
 新聞の写真をよく見ると、端っこになにやら竹皮の包みが置いてあるのがわかる。
『仏太郎氏のいきな計らいによって、われわれ夜光新聞の記者、写真家ともに初めてまんじゅうを食すことができた。結婚パーティーの後、ケーキの置かれたという草の真ん中に、竹皮の包みが置いてあったのである。それは、当新聞社の記者、カメラマンあてのまんじゅうケーキの残りであった。ほんのり甘く、幸せな感じで、結婚式にはぴったりの味であった。ちなみに、わが夜光新聞の写真係り、モモタロウ氏はみごとサクランボの当たりを引き当てた』
 じつは、まんじゅうを置いておくことを提案したのはニクエだった。が、ブッキは悪い気はしなかった。
「それにしても…、あいかわらずマヌケなやつらだ! こんなに寂しい、だれもいないヒロッパラの写真を載せてなんの意味があるんだ!」
 その日の豚まんが売り切れて、明日の用意を始める前に新聞を読んだブッキは、お腹がよじれるほど笑って笑って、涙が出るほど笑い転げた。いくら笑いを押し殺そうとしても無駄だった。
 きっと明日くらいからまた、長雨の季節になる。そんなぼんやりとつまらない日には、サクランボの当たりの出る白まんじゅうを店に出すのももいいかもしれない。
 キタヤマにはもうあじさいも咲きそろっている。
 さあ、また仕事だ。
 ブッキはまた子守歌を口ずさみながら明日のまんじゅうの仕込みを始めた。
 いや、まてよ…。いまやブッキにはもう一つ口ずさむ音楽があった。メロディーをふんふん、ふんふんと歌って「ひゃっほう!」。自然と手を振り、ステップを踏んで…。
 ブッキは、しまった! と思う。
「ちぇっ! しょうがないなあ。こんな変なこと覚えて…。ちっとも楽しくなんかないぞ! ただ音楽が耳の中に残っていて身体が動くだけなんだ! 楽しいからやってるんじゃないぞ! ただ覚えちゃったからやってるんだ!」
 ぶつぶつ文句を言いながらも、どこか自分でもわからないところから、うきうきした気分がやってくる。
 ブッキは休まずに豚まんの皮をこねている。ときどき、ひゃっほうダンスのステップを踏みながら。

当たり (C).png

(おしまい)

注意;このお話しの中に出てくる豚まんじゅうは、動物界の動物に適した食べ物で、人間の食用には適していません。作ったとしても、決して食べないで下さい。



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5.また夏のはじめ ① [豚田豚饅頭店]



 まだ長雨が始まる前。春から夏へのさかいめに、ブッキの店は大忙しになった。
 アナジとハルミちゃんが結婚式をあげることになって、ブッキ特製の「まんじゅうケーキ」を作ることになったのだ。
 というのは、タカンダ町には、ケーキ屋というものがなかったからだった。
 おまけにケーキというものを知っている者もいなかった。ただケンモチ博士がやけに物知りなもので…。
「結婚式といえば、ケーキが必要ですな。ケーキさえあれば結婚式というようなものです」
 と、よけいなことを言った。
「え? ケーキってなんですか?」
 と、河馬家も大口家も大騒ぎである。ほかにももっといろいろ大切なこともあるのだろうが、みんなケーキというものに取りつかれてしまった。
 いったどういうものなのか想像もできないのだから、アナジはケーキという黒い怪獣に追いかけられる夢まで見た。
「ハハハ。こわいものじゃあないよ。アナジ君。おいしくて甘い食べるものだよ」
 というケンモチ博士も、実は本当には食べたことがなかったのだけれど…。
「ま。ブッキにたのんでまんじゅうでケーキを作ってもらいましょう。お菓子のようなものだから、少し甘くしてもらえば大丈夫でしょう!」
 意外にケンモチ博士はいいかげんなのだ。みんなはケンモチ博士の言うことはなんでも信じて、実行しなければ…、という思いになってしまうというのに。
 今までだって結婚した動物はたくさんいたというのに、前はどうしたのか…、なんてことは忘れ去られて、しばらく噂が広まるうちに「ケーキがなければ結婚できない」というふうになってしまったのだ。
 ブッキだってもちろんケーキなんて知らない。
「なんだってオレが、そんなまぼろしのお菓子を作んなくちゃならねえんだ。毎日毎日忙しいっていうのに…」
「まあ、まんじゅうの大きいので甘いのを作っておけばいいでしょう。なんでも作ってしまって、これがケーキだと言ってしまえばいいんです。それがケーキということになりますからね」
 ケンモチ博士はけろりとした顔でそう言った。
「でっかいまんじゅう?」
「こんなやつですよ」
 とケンモチ博士がさらさらっと紙に描いてくれたのは、だんだん式に箱を積み重ねてあるようなものだった。一番下の箱が大きくてその上に少し小さいのが乗っていて、そのまた上にまた少し小さいのが乗っている。だんだん箱が小さくなって…。それが五段くらい。
「めでたいものですからな、できるだけ大きくて…、華やかで、甘くておいしくて、みんなで分けて食べられるものがいいでしょう」
 ブッキはとっさに、厨房の中を見回した。ブッキの所にあるせいろでは、どんなに大きなまんじゅうを作ろうとしても、せいぜいアナジの顔の大きさくらいのものしかできないだろう。
 そんな大きいまんじゅうを作っても、中までちゃんと火が通るのかどうか…。まんじゅうというのは、食べた感じや、柔らかさ、温かさ、いろいろな要素が集まっておいしくなるのだ。
「ただ大きくしただけでは、おいしいまんじゅうができるわけないのに…」
 ブッキは頭を抱えた。
 ケンモチ博士はわかったようなわからないような説明を続ける。
「周りに飾りをつければいいでしょう。ケーキとはそういうものなんです!」
「自分ではただ考えるだけで、ちっとも動くわけじゃないもんな。まったくお気楽な博士だよ」
 ケンモチ博士の耳は地獄耳なので、ブッキは心の奥の奥で、悪態をついた。
 結婚式はヒロッパラでやることになった。そうなるとその会場まで、その大きなケーキを運んで行くことも考えておかなければならない。「豚田豚饅頭店」からヒロパラまでできあがったケーキを運ぶにはどうしたらいいだろう…。
 コタロウに熱気球を頼むこともできるが、一度に運ぶ量が限られるし、大げさすぎるような気がする…。
 そう思って目を閉じたとたんに、ブッキはひらめいた! ブッキの頭の中にはもうケーキという大きいお菓子の全体像ができあがっていた。
 なにをどうやってどう作るか。それをどうやってヒロッパラに持っていけばいいのか。
 そうして、いつものように頭の中でその組み立て図ができあがると、もうやってみたくてうずうずしてしまうのだった。厨房の片づけをしながらも自然、ブッキはうきうきして、知らず知らずのうちに歌まで口ずさんでいた。

 ブッキ
 ブッキ
 かわいい ブッキ
 ゆっくりお眠り、静かにお眠り
 やさしい、たのしい夢をずっと、ずっと見続けておくれ

 そしてハッとした。
「なんだって、オレはこんな時に子守歌なんか歌ってるんだ! 歌うにしたってもっとましな歌があるだろうに! ちぇっ、おもしろくもねえ」
 厨房には一人きりで、だれが見ているというわけでもないのに、ブッキは顔をしかめて、ブツブツ文句を言った。うきうきとうかれてくる顔を難しい顔に戻すのだった。
 それでも、また作業を始めると、ケーキの構想が浮かんで、気持ちが浮き立ってきてしまう。そして、口に出てきてしまう歌はけっきょく子守歌しかないのだった。そのたびにブッキは自分を戒め、歌をやめてまたおもしろくないような表情を作る。そんな繰り返しをするのだった。

 ブッキが一人で饅頭店を始めるようになってからこの一年間、一日として休んだことはなかった。だが、アナジとハルミちゃんの結婚式の日は、このまんじゅうケーキを作るために、お店としては一日お休みすることになった。そして、まんじゅうケーキを完成させるために、一日前からいろいろ手伝いの動物が来ることになっていた。
 例によって、ニクエもユコもわざわざシオシオ町から呼び出されて、メイコの家に泊まることになっていた。
「まったく、明日はお休みって…。ちっともお休みにならないお休みじゃないか。かえっていつもより忙しいくらいで、迷惑だ!」
 仕込みの頃からブッキは不愉快だった。本当のケーキというものの実態は、けっきょく今ひとつわかっていないのだ。
「どうせ、だれも見たことがないんだからな。オレが勝手に作ってこれがケーキだと言えばいいんだ。そう博士も言ってたしな。簡単なことさ」
 ブッキは頭の中にできているまんじゅうケーキのことを思い浮かべ、前の日から、もうすべての手順どおりに行くように準備を整えていた。いつものように無駄もなく、次から次へとやり方が浮かんでくる。
「どうして、オレは、つぎつぎにやることが浮かぶのか…。浮かびさえしなければ、こんなにつぎつぎにやることもないのに…」
 大きいケーキを作るのはあまり良い考えではない。とブッキは思い、いつもの白まんじゅうをたくさん作ることにしていた。いつも作っているまんじゅうなら失敗もないし、ブッキが思ったような蒸かしぐあい、柔らかさ、味に仕上げることができる。それに、そのまんじゅうならニクエとユコにまかせても大丈夫だろう。
 ブッキは白まんじゅうの生地作りからのすべてをニクエとユコにまかせてしまうことにした。この二人でできるだけの白まんじゅうを作ってもらえばいい。
 ブッキはそのほかにやることがいっぱいある。その用意をせっせと始めた。
 熊田深夫がまんじゅうと交換に置いて行った、はちみつ。大口家の方から御礼にと届いていたたくさんのさくらんぼ。裏山から取ってきてあった桑の実。そんなものをどういうふうに使うのか、またつぎつぎにやり方が浮かんでくる。
「まったく、オレは損な性格さ。こんなことやったって、なんの得にもなりゃしないのに…。すぐに考えつくし、考えつけばやりたくてうずうずする。ほんとうについてない、どうしようもないブタさ」
 と言いながらブッキの手は休みなく動いていた。
 さて、そこまでが前の日の仕込みで、結婚式の朝は、もっとたくさんの動物が、結婚式の会場となるヒロッパラに集まっていた。
 ニクエとユコは朝もはよから白まんじゅうを丸めて、どんどん蒸かしていた。
 タカンダ町の荷車という荷車はぜんぶマチカネ坂を上がり、もう豚田豚饅頭店の前に並んでおり、どんどこ蒸かしたまんじゅうは、どんどここの荷車に乗せて、どんどこヒロッパラに運ばれることになっていた。

荷車 (C).png

 昨日仕込んだものやら、器やら、調理の道具やらを荷車に乗せて、ブッキは先にヒロッパラにやってきた。
 ブッキは初めて、ヒロッパラの方からボウボウの自分の店を見上げた。ほう、たしかにキタヤマがぶつくさ文句を言っている。うまいこと表現をしたものだ。オヤジの文句を言うさまは、ほんとうにあんな感じだった。キタヤマはいかにも怒っているように湯気をモクモクと出し、その湯気は空の雲にとけ込んでいく。
 ヒロッパラには、ケイコばあさんが家族みんなを連れて来ていたし、牛野家、八木田家、象野家、犀玉家、兎野家のほか、ウサギ団地からもたくさん来ていて、知った顔も知らない顔も家族みんなで手伝いに来ていた。そのみんなが、ブッキがやって来るのを待っていて、ブッキの姿を見かけると、みんなは盛大な拍手で迎えた。
 ブッキはびっくりするやら、照れくさいやら。どんな顔をしていいのかもわからず、みんなの真ん中に連れて来られた。
 みんなはしーんと静まりかえった。
 ケンモチ博士がヒロッパラの中央に台を用意していて、拡声器も用意していた。
「さあ、ブッキ! さあさあ台の上に乗って! これでみんなに指示を与えて下さい。誰が何をどういう順序でしたらいいのか…」
 そう言うと、ケンモチ博士は、ブッキを台の上に押しやった。
 さて、ブッキの頭の中では、もうなにをどうしたらいいのか、ちゃんとできているのだが、それをみんなに説明すると思うと…。ブッキは真っ赤になって、目を白黒させた。口の中でブツブツ文句を言うのとは勝手がちがう。こんなにいっぱいの動物の前で何か言うなんて、今まで一度としてなかったことだった。
 まずブッキはえへんと胸を張ってみた。そして拡声器に向かって
「あーーー」
 と、まず声を出してみた。
 みんなは相変わらずしんと静まりかえって、次の言葉を待っている。
「ちぇっ! なんでオレがこんなことまでしなくちゃなんねえんだ!」
 まず最初に浮かんできたのは、そんな言葉だったけれど、これはのどのところでぐっと押さえて外には出さなかった。
 えへんえへんとせきをふたつほどしてみる。
「えー、みなさん、よくお集まり下さいました!」
 こんなていねいな言葉を使うのは初めてのことだし、なんだか、じっと見つめられて、すごく変な気持ちになってくる。
「ここ、この台のあるまんなかの所にまんじゅうケーキを置くから、まずこのあたりの雑草は綺麗に取るように!」
 ブッキの声は、スーっと、立ち並ぶ動物たちの上をただ通り過ぎて行っただけだった。
「えー、それで雑草は、花が咲いているやつは、あとで使いますから、こっちに用意して
ある水の入った入れ物に入れて行ってください! 三つ葉の葉っぱもきれいに取って、くれぐれも、土は入れないように!」
 ヒロッパラには今、シロツメクサ、ドクダミ、ムラサキカタバミが多かった。ムラサキカタバミは紫と名前についているけれど、見た感じでは濃いピンクに近い。これはシロツメクサと一緒に葉っぱまで使おうとブッキは思っていた。
 わかっているのかわかっていないのか、だれも声を出さない。
「ちょっと臭い白い花は、その葉っぱと一緒に集めて並べて下さい。お日様の当たるところに!」
 じっとブッキを見つめるみなの顔は真剣だった。
「それでは、みんなでやって下さい」
 なんでだか知らないけれど、みんなが拍手した。
 なんでだか知らないけれど、ブッキは気持ちよかった。
 ヒロッパラの真ん中はあっという間にきれいになり、そのころには、ボウボウのブッキの店から蒸かしたての白まんじゅうを乗せた荷車がやってきていた。
 草がなくなったヒロッパラの中央に、ブッキは、まずきれいにした葉っぱを敷いた。そして最初に3個の白まんじゅうを三角に並べた。
 次に、その三つのまんじゅうの上に湯煎した寒天を一さじのせて薄くのばす。寒天はフカオがいつも持ってくるはちみつと、ケンモチ博士の農場で育ったレモンでうすあまい味を付けてあった。
 三つのまんじゅうの真ん中に、寒天が固まらないうちにもうひとつを置く。そうやって小さい三角の山ができた。これが基本の形。まんじゅう四つ。
 ここから基本のまんじゅうの周りに、ぐるりとまんじゅう一つぶんずつ置いていって、また上に寒天をぬる、そしてその上にレンガを積み重ねるみたいに、半個ずらしてまんじゅうを重ねていく。
 真ん中の芯になるところまで、ブッキはていねいにみんなに教えながらまんじゅうを積み重ねていった。
 動物たちは、こちこちに固まって、じっとブッキの手の先を見つめ、まじめに静かに聞いている。
「少しくらい形の変なのがあっても、寒天でくっつくから気にしないように。真ん中に寄せるように積み上げていけばいいでしょう」
 また、動物たちからいっせいに拍手がおこった。
 そうすると、ブッキはえへんと胸を張ってしまう。
「じゃあ、みなさん、やってみてください」
 まわりに動物たちが集まって、ブッキがやったようにどんどん下に広げては上に積み上げていく。寒天はほどよくかたまって、まんじゅうのケーキができあがっていった。それは白い塔のようになっていった。
 つぎつぎにキタヤマから来る荷車のまんじゅうは、あっというまに山に積まれて、また次の荷車がやってきた。こうやって、できただけのまんじゅうがまんじゅうケーキになっていった。
 ブッキが一人でやっていたら、もっと形が良くできたのだろうが、みんなそれぞれにあっちからこっちから積んでいったもので、少し形のくずれたような山ができた。でも、まんじゅうの味に変わりはない。
 ブッキはそれを眺めながら「しょうがないな。みんな初めてやることだし、どうせ食べてしまうんだからな。まったくしょうがない」とブツブツ言っていた。
 まんじゅうケーキはブッキの背より高くなった。
 手が届かなくなると、ケンモチ博士から脚立を借りて、積んでいく。最後の一つはケンモチ博士がうやうやしくてっぺんに置くことになった。
「さあ! これが最後です! みなさんごくろうさまでした!」
 ここでまたみんな拍手。
 ブッキはその白い山を見上げて、次の作業の準備を始めた。
 またケンモチ博士の脚立を使って、仕上がった山の上からクワノミのジャムを塗っていく。濃い紫色のジャムで、山が覆われると、ブッキはまたえへんと胸を張った。
 まんじゅう積みの作業を終えた動物たちが、じっとそれを見守っている。
「さ、このジャムの上に、花を置いていってください。ていねいにね。花は色をそろえて、順番に縞模様になるいように並べて下さい」
 シロツメクサとムラサキカタバミの花、ときどき葉っぱが混じって、まんじゅうの山は埋め尽くされていった。
 それは、おおきい山に白とピンクのリボンをかけたようなしましまもようになった。
 ムラサキカタバミの最後のひとつは、やはりケンモチ博士が飾ることになった。博士はなんでも大げさにするくせがあるようだ。
「さあ! これが最後の花です。これでまんじゅうケーキができあがります!」
 まるで、演劇の主人公にでもなったように、ケンモチ博士は大きい身振りでみんなに花を見せて、うやうやしく飾った。
 自分の作業を終えて、見つめている動物たちが、またいっせいに拍手した。
「華やかってのは、どんなのかな。花がたくさん集まれば華やかでいいのかな…」
 ブッキがぼっそりと言うと
「おお! まさにその通り! 花を使うなんて、最高のアイデアですな! これこそがケーキと呼ぶのにふさわしいものです」
 ケンモチ博士はまた大げさに喜んだ。
 ちょうどできあがるころに、支度の整ったアナジとハルミちゃんがやってきた。
「すごーい。きれい!」
 とハルミちゃん。
「ケーキって始めてみたけど、でっかくてきれいなもんなんだな」
 とアナジが言った。
 「きれいなだけじゃあない」とブッキは思った。オヤジが作ってきた白まんじゅうは、何の味にでもよく合う。ジャムと寒天のほどよい甘さで、どこから食べてもおいしいはずだった。
「はて?」
 とブッキは不思議に思った。あんなにがんこで動物づきあいが苦手で、文句ばかり言っていたオヤジだったのに、何の味にでも合うようなまんじゅうを作るなんて、どういうことなんだろう。あのオヤジだったら、もっと癖のある、誰も食べられないようなまんじゅうを作っていそうなものなのに…。
 そうしてブッキははっきりと思った。オヤジにはそのやり方しかできなかったのだ。そうやって動物とつき合って、おいしいと誉めてもらうことが、オヤジの喜びだったのだ。

結婚 (C).png

 ケンモチ博士の司会で、アナジとハルミちゃんはケーキの前に立って、結婚の誓いの言葉を言った。ステキな白いレースのウエディングドレスに、白いベールをつけたハルミちゃんは重量級だから、ド迫力だった。
「ずっといつまでもハルミちゃんのことを愛します!」
「わたしもアナジさんのことを愛します!」
「はい! それでは、誓いのキスをして!」
 アナジとハルミちゃんは真っ赤になったけれど、ケンモチ博士のいうとおり、向かい合って、チュッとかわいいキスをした。
 ここで今日一番のすごい拍手の嵐。
 なんだか、みんなじーんと二人のことを見ていて、喜びの気持ちをどうにか表したくて、いっしょうけんめい手をたたいているのだった。
 ブッキは、「ふん」と鼻を鳴らしながら、照れているような恥ずかしいような気持ちになった。拍手するのには抵抗があったが…。誰にも気付かれないようにしながら、下のほうで、パチパチと拍手をしておいた。
 でも、もう次の作業をするので、すぐにドクダミを集め始めて、ちっとも休んでいない。
「さあ、ケーキカットです!」
 とケンモチ博士が言った。
「みなさん、どこからでもまんじゅうを取って食べてください」
 みんな朝から働いて、おなかがぺこぺこになっていたので、ぐるりと取り囲んで、どんどんまんじゅうを食べ出した。
「ちぇっ! オレがまだ忙しく働いているというのに、まったくのんきな博士さ! そんな博士の言うなりになるなんて、まったくマヌケな動物たちさ!」
 ブッキは、日に干したどくだみで、ちょっと苦いお茶を作っていて、それをみんなに渡して行った。ブッキは休むということを知らない。つぎつぎにやることが浮かんでくるのだからしかたがない。
 甘いまんじゅうで口のなかがねっとりと甘くなる。それをちょっと苦いお茶で流してやる。味の計算もばっちりだった。
 それに、ブッキはまだみんながあっと驚くような工夫を、しかけていたのだ。
 白まんじゅうだと思っていたいくつかのまんじゅうの中からは、サクランボの甘いのが出てくる。
 昨日、ヤギミルクのクリームでサクランボを甘く煮詰めておいた。それをニクエとユコにたのんで、ひとつずつまんじゅうにくるむようにいしておいた。
 白まんじゅうをいくつか作ったら、一つサクランボ入りのまんじゅうを作る。あるだけのサクランボを適当な順番で混ぜればいい。
「あ! サクランボだ!」
 と、あちこちで声があがった。
「サクランボが入っていたのは、当たりだぞ! それに当たったやつは運がいい。でもはずれたからって運が悪い訳じゃない。おいしいまんじゅうには変わりないからな」
 何も入っていないと思っていたものの中から、なにか出てくるというのは、なんとも楽しい、うれしいことだった。



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4.春 ② [豚田豚饅頭店]


 ブッキはずらりと並んだお客の列を反対側から見て、マチカネ坂を下って行った。こんなことは初めてだった。
「あらら! ブッキ! どうしたの!」
 といろいろな動物が声をかけてくる。
「冬はありがとう! 雪解け宝石まんじゅうはヒットだったね!」
 とハネ。
「ヒットはそれだけじゃないだろ! どのまんじゅうもおいしかったはずだ!」
「やあ、ブッキいいね。手伝いのブタがいると自由な時間ができて!」
 ウシのゴンゾウおやじがのっそりと話しかける。
「こっちの気も知らないで、まったく勝手なことを言うウシさ!」
 列を下る間、ブッキはなるたけ誰とも目を合わさず、下を向き、口の中ではぶつくさと文句を言っている。そんなブッキにみんなはつぎつぎと声をかける。
「やあ、おはよう!」
「いい天気だね」
「いい季節だね!」
 ブッキはもっともっと不機嫌になり、坂を下る足取りもどんどん速くなって行った。
「だいたい、なんでオレが見に行くんだ! そんなことヒマなやつのすることだろう!」
 とつぶやき、
「ちぇっ! 今日はあのおせっかいなブタ二人に店をやらせるって言ったからな。ヒマなんだ! しょうがないだろ!」
 動物たちのあいさつが聞こえないように、自分の文句に集中した。そしてタカンダ町の入り口にまでたどり着いた。
 さっきの音が、ひときわ音大きく聞こえた。
 べ・べ・べべべ・ベッコーン!
 いったいどっちの方から音がするのだろうか。
 ブッキが立ち止まり周りを眺めていると、ネコのコタロウがやってきた。
「あらら、ブッキさん! どうしたんです! わたし、これからまんじゅうを買いに行くところなんです」
 きっと、コタロウならこの音に気づかないはずはない。
「あの、変な音なんだけど…」
 すると、コタロウがネコの目をくるくると輝かせて
「ああ、あれはケンモチ博士の所ですよ! アナジ君がね、変なくしゃみが出るようになって、止まらないってことで、博士の所に相談に見えているんです」
 一気に音の謎が解けてしまい、たじろいでいるブッキにコタロウが言った。
「まさか、まんじゅうはまだ売り切れていないですよね?」
 ブッキは答える気にもならずに、鼻をブーと鳴らした。
 それが答えになったのかどうか
「ああ良かった!」
 と、コタロウは走ってマチカネ坂の方に向かって行った。
 さて、どうしたものだろう。ヒマなのだから見に行った方が良いだろうか。それともこのまま引き返すべきだろうか。
 ベベベ・ベッコーン!
 迷っていると、またその音が聞こえ…、ブッキはやはり研究所の方に歩き始めた。
 音がくしゃみのものだという謎は解けたが、くしゃみがなぜ出るかという謎はまだ解けていないとうことだし。
「だから、なんだっていうんだ!」
 と言いながらも、ブッキは小走りになっていた。
 研究所に近くなると、またさらにくしゃみの音は大きくなった。耳が張り裂けそうになる。ブッキは耳を塞ぎ、おそるおそる研究所の窓に忍び寄った。
 研究所の窓から中をのぞくと、大きな身体の河馬穴次が、寝椅子に仰向けになっていて、犬餅斑乃信博士がヘルメットをかぶり、水中めがねのようなのをかけて、マスクをしてアナジの腹の上にのぼり、アナジのシャツにしがみついていた。
「やれやれ、あと少しなんだが、すごい強風で近づけんな」
 ケンモチ博士は身体を縄でしばって、その縄の先は柱に縛り付けてある。その様子はあまりにもマヌケだった。
 ブッキは窓からのぞきながら、笑いがこみあげてくるのを隠せなかった。
「くくくくく…」

研究所 (C).png


 と、その気配に気が付いて、ケンモチ博士がブッキのほうを見て
「これは、これはブッキ! ようこそいらっしゃいました。さ、どうぞお入りください」
 とアナジの腹の上でブッキを中に招き入れた、と同時にまた
 べ・べ・ベッコーン!
 という強烈な一発。
 ケンモチ博士はアナジの腹から滑り落ち、水中めがねはアナジの鼻水や涙などででべっとりとぬれていた。
 研究所のドアを開けた時にこの一発を食らったブッキは、あわててドアにしがみつき、ドアといっしょにバタバタと風のあおりを受ける始末だった。
「いやあ、ブッキ。ちょうどいいところに来てくれました。お手伝いいただけますかな? コタロウのやつが、まんじゅうが気になって、途中で仕事をほっぽり出して出かけてしまいまして…」
 今まで笑いがこみ上げていたブッキの表情が一瞬曇った。
「オ、オレが…」
「なにね、後ろからこう、私を支えていただきたいのです。なにね、もう原因はわかっているんです。それを取りのぞくまであと一歩なんですが、このくしゃみの強風で近づけないんです。コタロウは爪を立てるからねえ。アナジ君がいやがるし…」
「まったく、オレはついてねえ。ゆっくりキタヤマで草の芽摘んでりゃあ良かったものを」
 ブッキは口の中でブツブツと言葉をかみ殺した。
 ケンモチ博士はブッキの分の軍手、ヘルメット、水中めがね、マスクを用意して、ブッキの身体もていねいに縄で縛って、反対側の端は柱にしっかりと結びつけた。
 博士の後ろからブッキが一緒にアナジの腹に上り、博士の身体を支えることになった。
 やっと、よじ登ったところでまた強烈な一発。
 べ・べ・ベッコーン!
 アナジの鼻から直接受けるくしゃみは、それはすごかった。だが、腹にしがみついたブッキはびくともしなかった。ブッキの手は、しっかりとアナジの腹の脇を捕まえて、離れなかった。まんじゅうをこねて、こねて、こねてきた手だ。ブッキの知らないうちに、強くしなやかに、つかむ力が強くなっていたようだ。
「いいですぞ、ブッキ。落とされなくてすんだ! よじ登る時間が短縮された分、鼻に近づけます」
 と、くしゃみの直後にアナジの鼻の穴に近づき、鼻の中をのぞいた博士は、ピンセットで何やら鼻の穴から取り出して、
「やった! やりました!」
 と、歓声を上げて、アナジの腹から飛び降り、その直後にアナジは最後の最大級の一発。
 べ・べ・ベッコーン!
 を発して…。それからは、落ち着いてしまった。
「いやあ、いやあ、助かりました。やっぱりこれはコタロウには無理な作業でしたな」
 と、博士がブッキの目の前に差し出したのは、小さい小さい、タンポポの種一つだった。
 アナジは力が抜けたのか、情けない声を出した。
「あー、良かったよぉ。オレ、変な病気かと思った! もう、ハルミちゃんに会えないかと思った!」
 アナジは大粒の涙をぽろぽろと流して泣き始めた。
 ブッキは言葉もなく、二人を交互に見比べた。
「この、種に行き着くまでが、一苦労でした」
 博士の話によると、アナジのこの奇妙なくしゃみの原因をさぐるために、昨日のアナジの行動を一緒にたどったのだという。
「まず、怪しいのは、河馬家のすぐ前にあるあの池でして…。アナジがあそこで朝、水浴びしたというので、その水質を調べました。なにか新しい病原菌か、苔、藻の一種が原因かと直感しましたんでね」
 ブッキが聞きもしないのに、博士は得意げにその様子を話し出した。
「ちぇっ! 原因が違ってたんなら、直感ってこともないんじゃないか」
 ブッキは、もちろん博士には聞こえないように口の中でつぶやいた。
「ははは。確かに直感とは言えませんでしたな!」
 博士が笑い、ブッキはぞっとした。イヌの耳というのはたいしたものである。ブッキの押し殺した文句を聞き分けるとは。ブッキはとっさにあいまいな笑いを返した。
「次に向かったのが、ヒロッパラの野原です。ここで何をしたと思います?」
 と博士が言うや、アナジが顔を真っ赤にして
「オレ、こんなことになるとは、思ってなかった! この間まではタンポポが黄色で、かわいかったんだ! だからハルミちゃんに毎日花を摘んで持って行ってたんだ!」
 先ほどから話に出てくるハルミちゃんとは、ブッキも同じ頃に学校に通った、河馬の大口春美のことであるらしい。
「ところがです。野原は昨日からこのタンポポがいっせいに綿毛になっておりましてな。それを摘んだというわけなんです」
「だってえ。全部が銀色に見えて綺麗だから、ハルミちゃんも喜ぶと思ったんだよ」
 ブッキには、さっぱり何のことかわからなかった。
「つまりです。たんぽぽの綿毛を両手にかかえて、アナジがスキップしてハルミちゃんの家にたどり着く頃には、綿毛がすっかり飛ばされておりまして、そのいくつかはアナジが鼻の穴に吸い込んでいた! そしてその中の一つが、アナジの鼻の穴の中にしっかり根を下ろそうとしていた訳なんですよ! ハハハハ!」
 アナジがまたボロボロと泣き出した。
「ハルミちゃんにあげようと花束を差し出したら、丸坊主だ。オレ、うんと恥ずかしかった」
「そして、ハルミちゃんを吹っ飛ばしてしまったんですな?」
「ハルミちゃんは、吹っ飛びはしないけど、後ろに、トトトと下がってしまったんだ」
 ブッキはその様子を想像してみた。ハルミちゃんは大きいから、ケンモチ博士のようには飛ばされないのだろう。その様子がありありと浮かんで、ブッキの腹の中に笑いが込み上げてきていた。
「おっかねえ。オレの鼻ん中にタンポポできたら、来年の春、くしゃみで綿毛がいっぺんに飛び出したぞ!」
 ブッキの頭の中には、またその光景がありありと浮かんだ。マヌケなアナジの鼻の穴から、一度にたくさんの綿毛が勢いよく…。
「ブハハハハハ!」
 こらえきれずにブッキは吹き出した。
 それにつられてアナジも笑い、ケンモチ博士も「ハハハハ」と大声を上げた。
 いったい、こんなに大声を出して笑い転げたことが、今まであっただろうか。それもほかの動物と一緒に! ブッキは涙を浮かべ、心ゆくまでみんなと笑ったのだった。
 アナジは、なんどもケンモチ博士にお礼を言うと、
「ハルミちゃん ハルミちゃん、お花を摘んで行きましょう~♪」
 と、変な節をつけて鼻歌を歌いながら帰って行った。
「いやあ、春ですな」

たんぽぽ (C).png

 その後ろ姿を眺めながらケンモチ博士が、ぽつりとつぶやいた。
 さて、どうしよう。なんだか音につられるままにこの研究所にやってきて、手伝うことになってしまったが…。そろそろ店に帰った方が良い頃合いかもしれない。なんと切り出したら良いのか、言葉を探しているブッキに、ケンモチ博士がまじめな顔をして迫ってきた。
「ブッキさん。私は今日の午後、お宅に伺おうと思っておりました」
「はあ」
 口ごもるブッキにケンモチ博士は椅子を勧め、考えを整理するようにぐるりと目を泳がせて話し始めた。
「実は丸野二久江さんと油子さんのことです」
 ブッキにはなんとなく心を騒がせるものがあった。昔、家から出て行ってしまったという母親と姉のことである。だが、それを口に出すのは恐ろしいことだった。
「前々からニクエさんの方から、あなたに会いたいというお話はあったのです。でもブツノスケさんはがんこでして。絶対に会いたくないということで、いい返事はいただけませんでした」
 ブッキはごくりとつばを飲み込んだ。
「冬にお手伝いをお願いした時も、いい機会だったからなんですが…。ほんとうのことを話したら良いものかどうか、かなり迷いまして、ニクエさんがとにかくようすを見たいということで、お話しませんでしたが…。もうお話ししてもいい頃でしょう…」
 ケンモチ博士はなんだか大げさに咳をコホンとしてから、息を吸い込んだ。
「実は、ニクエさんはあなたのお母さまの妹さんなんです。丸野というのは、豚田家に嫁ぐ前のお母さんの名字です。残念ながら、お母さんは、もう数年前に亡くなっておりますが、ユコさんはあなたの本当のお姉さんです。あなたのお母さんの豚田夢江さんが亡くなった後、ニクエさんが娘として引き取ったそうです」
 ブッキの頭の中は真っ白になった。いつも受け答えをするのが苦手だけれど、こんな時にいったいどういう風にしたら良いのかなんて、もっとわからない。
「ユメエさんは、亡くなるまであなたのことを思って、会いたがっていたそうですよ。わたくしを通して、ブツノスケさんに伝えたことも何度もありました。でも、ブツノスケさんはいつも黙っているだけでして…。ユメエさんが亡くなった時も、あなたには話しませんでしたし、ユコさんにもとうとう会わないままでした」
 ブッキは下を向いた。やっぱり、何も答える言葉は出てこなかった。
「どうします?」
 とケンモチ博士が聞いた。
「いっしょに暮らしますか?」
 ブッキの頭の中は、ますます真っ白になった。
「お二人は、クログロの向こうのシオシオ町に住んでおられるが、もしブッキさんが望めば、タカンダ町に来てもいい、と思っていらっしゃる。もちろん、ブッキさんがイヤじゃなかったらシオシオ町で暮らしても、どちらでもいいということです」
 ブッキは困った。さらに答える言葉は出てこなくなったような気がする。言葉の前にまず考えがまとまらなかった。

 ブッキ
 ブッキ
 かわいい ブッキ
 ゆっくりお眠り、静かにお眠り
 やさしい、たのしい夢をずっと、ずっと見続けておくれ

 夢の中でよみがえった歌は、やはり母親が歌ってくれたものなのだ。ブッキは今、それをはっきりを思い出すことができた。
 言葉なく、うつむくブッキのことをじっとケンモチ博士は見つめていた。
 静かに言葉を待っていられることほど辛いことはない。ブッキはますます下を向き、自分が小さく小さく黒い穴に吸い込まれて行くような錯覚にとらわれた。
「ただいま帰りました!」
 と、コタロウが走って入って来た。
「先生! 今日は特別二個ずつまんじゅうがありますよ!」
 ぴんと張りつめた緊張を切ってくれることは、ありがたい。あたりの空気がまた元のように流れ出すような、ほっとした感じがある。
 ブッキはにっこりと微笑んだ。
「博士! オレ、よくわかんないんです。今、初めて知ったことだし。オレ、今まであんまり動物とつきあうことも苦手だったし」
 ブッキはまったくバカみたいに正直に自分の気持ちを口に出した。
 そうすると、考えもそれにつられてほどけてくるような感じがした。
「もう少し考えます。オレうまく言えないから、二人にはそいうふうに言ってください」 実際、文句ではなくて、ちゃんと説明するように話すことが自分できることが驚きだった。
「春ですもんね」
 コタロウが妙な相づちをうち、またふわっとした笑いがその場を包んだ。

 帰り道、ブッキの頭はもちろん、新しいまんじゅうを試すために激しく動いていた。研究所の帰りに、アナジがたんぽぽの綿毛を摘んだという野原に寄り、綿毛が飛ばぬように、綿毛を自分の着ていた白衣にくるんで山ほど持ち帰ったのだ。
 家に帰ると、厨房のテーブルの上には梅の花、木の芽がたくさんの山に分けられて置かれていた。
「ね、ブッキさん! きっと新しいおまんじゅうを考えついたんでしょ? わたしたち、午後厨房を片づけた後に、ブッキさんが集めていた花と木の芽を取りにいったんですよ。たくさんあったほうが、いいでしょ」
 ニクエがにうれしそうに言った。
「ちぇっ、そんなことしなくても…」
 ぶつくさと言いながらも、ブッキはもう、次の手順を考えていた。それはおもしろいように次から次へと頭の中に浮かぶ。それをどんどん試してみたくなる。
 新しいまんじゅうの皮には、タンポポの綿毛を練り込もう。そうするとつやつやとした光沢が生まれ、口触りもするりとなめらかになるだろう。梅の花はすりつぶして少しとろみをつけて甘く煮詰める。木の芽は色があまり変わらないようにさっと塩のお湯にくぐらせて、冷やしてからすりつぶして梅の花と混ぜる。
 あたらしいまんじゅうのことを考えているブッキは、もう自分だけの世界に入っていた。ニクエもユコもじっとその姿を見つめ、話しかけることもできなかった。
 次の日の朝、新しく並んだまんじゅうは『春の香思い出まんじゅう』。ブッキとしては「思い出」というのがどうも気恥ずかしかったが、なんとなくそこにつけたい気がして、えい、と書いてしまった。
 書いてしまうと不思議なことに、前からそう決まっていたような、まんじゅうの呼び名になるのだ。
 しろくてつやつやと光ったおまんじゅうを二つに割ると、とろりとした若草色の餡が出て、ほんのりと梅の香りがする。
「おい、食べてみろよ」
 と、ブッキはニクエとユコに差し出した。
「すごい! なんでこんなにとんとんと考えて、作れるのかしら」
 と、ユコは目を輝かせ
「ほんとうにおいしい! 春の味だし、思い出の味だわ!」
 と、ニクエが微笑んだ。
 ブッキは二人の顔を正面から見るのは恥ずかしかったのでくるりと背を向けてしまったけれど、えへんと胸を張りたいような、誇らしい気分になっていた。
「ほんと! 新しいおまんじゅうが並ぶのは楽しみだね!」
 ケイコばあさんの派手な笑い声が響くと
「いつも、ありがとうございます。きょうも少しはおまけできますよ。ただし、今日までのサービスです」
 なごやかなニクエの受け答えが聞こえる。
「そうか、今日、二人は帰ってしまうのか…。へん、また自分の思うようにできる。せいせいするよ」
 と言いつつも、ブッキはなんだかやっぱり少し寂しい感じがした。
 今日は、最後のまんじゅうを買いに、コタロウとケンモチ博士が一緒に空からやってきた。
「ブッキさん。お二人が今日帰るので、わたくしども、お迎えに参りました」
 コタロウが熱気球を「豚田豚饅頭店」の上に固定させると、するすると縄ばしごが下りてきて、ケンモチ博士が下ってきた。
「ブッキ! いろいろありがとう!」
 ユコがブッキに抱きついた。
「ほんと、ありがとう。あなたの作るおまんじゅうって、本当においしかったわ。わたくしたちも、ちゃんとおいしいおまんじゅうを作って、ブタの名に恥じないようにします」 ニクエはゆっくりとブッキを抱きしめた。
 ケンモチ博士のごつごつしたからだと違って、二人のブタはふんわりとやわらかかった。
 さて、一番苦手な場面だ。ブッキは下を向いて、ブーと鼻を鳴らした。
「ケンモチ博士から聞いたと思うけれど、お母さんは、あなたのこととても心配して、いつも会いたがっていたの…。この店を出るときも、ほんとうは出て行きたくなかったのよ。せめてブッキを連れて来たかった…って。でも、お父さんはあなたのことを背負って離さなかったそうよ」
「え?」
 ブッキはニクエとユコの目を交互に見た。
「お父さんはブッキがほんとうにかわいくて、ブッキだけは離したくはなかったのね」
 ニクエにそう言われても、ブッキはぴんと来なかった。かわいいなんて、一言も言ってくれなかったのに…。
「お母さんがおまんじゅうの中に何か入れようと思って、お父さんに意見したのよ。お父さんはね、すごく怒りん坊で、耳を貸さなかった。そんなにオレのやることが気に食わないんだったら出てけ! ってどうしても許してくれなかったそうよ。とにかく恐かったことだけおぼえてるわ。ああ、あたしだって会いたかったのよ!」
 とユコが言って、またブッキを抱きしめた。
「でもお母さん、亡くなる前に言っていたの。あなたがお父さんのそばにいてくれて良かったって。あなたがいるからお父さんは、きっとちゃんと生活することを考えるでしょうって」
「お母さん、きっとあなたの今の姿を見たらとても喜んで、誇りに思ったでしょうに。残念ですわ。それに不思議ね。あなたのお母さんが思ったことを、あなたがやっているんですから!」
 なんだかしんみりしてしまって、ますます言葉を見つけられないまま、ブッキは下を向いてしまった。
「おーい! ケンモチ博士! おまんじゅう忘れずにいただいて下さいね!」
 コタロウが、気球の上からすっとんきょうな声をあげ、みんなはふっと上を見て笑った。
「わたくしたちの店の方も、いつかきっと見に来てくださいね」
 二人はケンモチ博士に続いて、縄ばしごを上って行った。
 気球はどんどん上がって行った。
 ブッキはキタヤマの泉まで走って行って、気球がどんどん遠くに小さくなって行くのをじっと見つめていた。
 オヤジが亡くなってから、ずっと一人でやってきたのに。ニクエとユコがやってきたのは、ほんの数日のことなのに。なんだか厨房がしんと静かで、その静かさが痛いほどだった。
「まあ、いいさ。いろんなことがあるんだ。これからだって」
 ブッキは、すぐにいつもの調子に戻って、店を片づけ始めた。そうやって動いていると次にやることが忙しくて、寂しい思いにとらわれなくてすむ。
「どうしたらいいかなんて、すぐにはわからない。まんじゅうの中身を考えるようにはいかないさ。これから、まんじゅうこねながら、ゆっくり考えるさ」
 片づけが終わるとブッキはオヤジの写真をじっと眺めた。
「オヤジ…。なんでなんにも教えてくれなかったんだ? なんで?」
 写真の中のオヤジは、相変わらずの無表情で、じっとこちらを向いていた。


注意;このお話しの中に出てくる豚まんじゅうは、動物界の動物に適した食べ物で、人間の食用には適していません。作ったとしても、決して食べないで下さい。



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4.春 ① [豚田豚饅頭店]

 その朝は、なんだか眠たくて、起き出したくないような気分だった。そんな日にはなぜか起こしに来る者がいる。
 ドンドン! ドンドン! と裏口をたたく音でブッキは目を覚ました。
「あーあ、今日は朝からついてねえ。まだまだ眠っていたいのに、だれだこんなに朝早くから!」
 ブッキはもぞもぞと起き出して、頭をはっきりさせるために顔を洗い、そのとたん「しまった!」と思いあたった。
 クログロ谷の方からブタのニクエとユコが豚まん作りを習いたい、と言ってタカンダ町までやって来ていたのだ。なんでもユコが学校を卒業したので、二人で豚まんの店を出したいのだそうだ。作るだけでなく、売るのやら片づけるのやら、材料の用意やらすべて丸一日のことを勉強したいということだった。
 二人はこの冬、仲良くなったメイコの家に泊まっている。メイコの家は庭が広くて、納屋もしっかりしている。しばらくはタカンダ町で生活するつもりらしい。
「あーあ、オレだけだったら、こんな日は寝坊したって良かったのに! まったく朝からうるさいブタたちさ!」
 そんな文句を言うブッキだったが、実際、ブッキは寝坊なんかしたことはなかった。
 このところ、この訪問者が一緒にいて、あれこれ手伝うし、とにかくよくしゃべり、質問もするもので、その対応をするのにひどく疲れている。それで今朝はぐっすりと眠りすぎて、つい忘れてしまっていた。ブッキが動物づきあいの苦手なブタということは、やはり父親似なのだろう。
 裏戸を開けると、ニコニコと笑って、ピンクのつやつやの肌を輝かせて、ニクエとユコが立っていた。
「おはようございまーす!」
 二人とも、朝から元気が良い。それがよけいにブッキを疲れさせる。
 いつもの調子でブツブツ文句を言っていると、
「あらあら、今、なんておっしゃって? メモをしますから、最初からお願いします」
 なんて言って、ブッキの小言を待っている。
 ブッキの小言は、面と向かって相手に言える種類のものではないし、ましてやメモなんかに取られても、困るだけだ。だから、ブッキは口ごもってしまう。それをまじめに、じっとじっと待っている。
 とうとうブッキは口を開いた。
「メモするようなことは言ってない…」
 そうやって何時間か過ごすと、夜には頭が痛くなってくる。
「頭だけじゃなくて、腹も、胸も全部痛くなりそうだよ…」
 ブッキは口に出さないように注意しながら、頭の中でつぶやいた。
「ブッキさんは、もう少しゆっくりしてらしてくださいな。せっかく今は労働力があるのですもの。豚まんの作り方はもう三日もやって手順はわかりましたから、今日からは販売の方もわたくしたちだけでやってみますわ」
 とニクエが言い、ブッキは、ブーと鼻を鳴らした。

ニクエユコ (C).png

 二人とも良く働くので、いつもの倍はまんじゅうができる。
 春になってから、また白まんじゅうだけしか作らなくなったので、山のようにまんじゅうができる。
 これまで、一回に十個しか売らないということにしていたが、象野家、犀玉家、河馬家、熊田家のような重量級の家族には、この期間に限り三十個まで売るということになってしまった。おせっかいなニクエが象野大介の母親、ダイコに
「あら、十個でご家族のみなさん、足りますの?」
 などとよけいなことを話しかけて
「だって、ブッキが…。十個しか売ってくれないんだよ。ここに上って来た客全部にまんじゅうが足りるようにってね」
「だーいじょうぶですわ。今は三人で作っているんですもの! では、わたくしたちがお手伝いする期間だけでも三十個お分けしますわ」
 ニクエのうしろで、ブッキが「よけいなことをするブタさ…」と苦い顔をしているのも知らず、とんとんと話は決まってしまった。
 多く作っても売れ残るということはなく、不思議にも最後のコタロウの時には必ず二個のまんじゅうが残るのだった。
 女のブタというものは、まるでにぎやかさがちがう。動物たちに次々に話しかける。
「今日はとってもお天気が良くてよろしいことね」
 とニクエ。
「はい! また明日もよろしくね! ありがとうございました!」
 とユコ。
「あらら、楽しくていいね! 豚まんじゅうを買ってお礼を言われたのは初めてだよ!」 ケイコばあさんは、ケケケと喜んで笑い、少し世間話などもする。
 動物づきあいが悪いのは、やはりブタ全部の性質ではないようだった。
 ブッキはいつもより働くことが少なくて済んだ。片づけもあっという間にできてしまう。それなのにいつもより疲れるなんて、どういうことなんだろう。やっぱり動物づきあいが、苦痛になっているのだろう、とブッキはつくづく思うのだった。
 今までは静かにまんじゅうだけが減っていったのに、店先はなんだか華やいでいて、買って行く動物たちの顔もニコニコとはじけるようだ。なんだかブッキは一人取り残された気分になり、おまけにブツブツと不用意に文句も言えないので、顔がもっとぶつくさ顔になってしまう。
 実際、今、ブッキがいなくなっても、何も不自由なく二人は店をやって行けるだろう。そ思うと、ブッキはますますつまらない気分になってきた。
「じゃ、オレ、今日は外に行って来る。おまえ達でやってみた方がいいもんな」
 ブッキが口の中でそうつぶやくと、
「あらあ。うれしいわ」
「やってみる!」
 二人のの顔が輝いた。
 二人だけになれば困ることもできると思い、意地悪な気持ちもあって言ってみたのだが、すんなりと二人は受け入れ…。ブッキは引っ込みがつかなくなって、すごすごと裏口から出て行くハメになった。
 ブッキが裏戸を開けて出て行く音は、店のにぎわいにかき消され、誰も気づいてさえいないようだった。
「ふん。オレが気をつかっているっていうのに。あんなに喜んで…。引きとめもしないなんて! まったくいい気なブタたちさ」
 さあ、そうやってまかせてしまったのはいいのだが…。二人が勝手にどんどんやりはじめると、ブッキはなんだかすごく寂しくなった。
「オレはずっとやってきたんだ。あんな素人のブタが作ったまんじゅうは味が違うかもしれないな。そうすれば、お客は怒るだろう。そうすれば、店の大変さがわかるだろう」
 裏口の誰もいないところで、ブッキはいろいろ文句を並べた。
「あーあ、豚まんを作っていないオレって! それ以外することがないっていうのに、いったいどうしろっていうんだ! ちぇっ!」
 ブッキはとぼとぼとキタヤマを上って行った。泉の所にタカンダ町を見下ろせる場所があって、大きな石がある。以前、オヤジに叱られるとそっとその石の所に来て、しばらく町を眺めたものだった。でも、このところずっと忙しかったから、そんな時間はなかった。
ブッキはその石に腰掛けると、ふうっと長いため息をついた。
 ブッキの温泉のあたりは朝のもやで、ぼんやりかすんでいた。空気が冷たくて、りんとひきしまる。ブッキは周囲をぐるりと見回した。
 若草の明るい黄緑色の葉が木々から芽吹いている。つやつやとやわらかそうな芽だ。
 タカンダ町を見下ろすと、やはり緑がやわらかく、野原なども布を敷き詰めたようになっている。きれいだった。
 うぐいすが、鳴き方を練習していて、ケキョケキョケケケ…。などと繰り返している。
「なあんだ。あいつらもまだ練習中か。冬の間は静かだったもんな。でも、オレは忙しくて、鳥が鳴いていることに気づく時間だってなかったんだ!」
 ケキョケキョ…。
 あんまり繰り返すもので、ブッキはくっくっくと笑った。
「まったく、マヌケな鳴き声さ」

うぐいす (C).png

 ブッキは飽きもせず、泉の水やら、あたりの草花をじっと眺めていた。ふんわりとあまい香りが強くなり、梅の花が咲いている一角がある。
「春にウメとうぐいすか…。 だれでも考えそうなこったな。でも、しょうがない!」
 ブッキは立ち上がると、柔らかい木の芽、草の芽を摘み始めた。
 いつものくせでブッキは白衣を着ていた。そのポケットに若葉を詰め。反対側のポケットにはウメの花のところだけを摘んで、詰め込んでみた。
 さあ、ブッキのやることはできた。
「店は、のんきなブタたちがやっているんだもんな。オレは、これを試してみるさ」
 ブッキがまた店に戻ろうとした、ちょうどその時、タカンダ町の方から奇妙な音が聞こえた。
 べ・べ・ベッコーン!
 それは、ブッキのいる場所ではさほど大きな音ではないが、はっきり聞こえる。山を駆け上って来た音なのだから、町ではもっと大きな音だろう。何かがあったのかもしれない。もしかしたら爆発かなにかだろうか。
 「ひゃっほう」というような風のかすかな音が町の方から聞こえたことはあったが、今のこの音はもっと低く太く強烈なものだった。
 ブッキは泉の脇の石に戻ってそこに登り、街の方を見下ろして見た。
 何も見えない。
 でも、またそ奇妙な音は聞こえた。
 べ・べ・ベッコーン!
「な、なんだあの音は!」
 ブッキはとりあえず店に戻った。ニクコもユコも忙しくて、ブッキには気がつきそうもないので、摘んだ木の芽草の芽、梅の花をテーブルの上に置くと、街の方に下りて行ってみることにした。





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3.冬 ③ [豚田豚饅頭店]

 ブッキは夢の中でもまんじゅうを作って試していた。
 夢の中だったから、なんだかへんてこなまんじゅうで、ころころと小さい飴のようなものだった。そして夢の中では、クニエとユコのようなブタが一緒にまんじゅうを手伝って作ってくれた。「ような」というのは、はっきりクニエとユコだとは言い切れない。ただブタたちの様子は二人にそっくりだった。
 そして、そのブタたちは歌も歌っていた。

 ブッキ
 ブッキ
 かわいい ブッキ
 ゆっくりお眠り、静かにお眠り
 やさしい、たのしい夢をずっと、ずっと見続けておくれ

 朝になり、夢から覚めてもブッキの頭の中には夢の中の歌声が残っていた。
 それはたぶん、子守歌だったのだろう。ブッキの記憶の奥底にある響きにとてもよく似ていた。さっそく豚まん作りを始めたブッキの耳の底に、その歌はこびりついていた。
 それにしても…、目が覚めてもやけにはっきりと歌を覚えているというのは妙なことだ。もしかしたら、本当に聞いたことのある歌なのかもしれない。
 ブッキはオヤジの写真をちらりと見た。
 そんな歌をオヤジが歌うはずがない。オヤジの口から「かわいい」なんて言葉を聞いたことなんかなかったのだから。
 そう、そんな歌を歌うとしたら母さんに決まっている。ブッキは何度も歌を頭から追いやろうとしたが、だめだった。その日は一日その歌が繰り返し繰り返し、ブッキの頭のなかで流れていた。

 さて、新しいまんじゅうはこねる時間を短くした。そのために白まんじゅうの生地を先に作り、また別に生地をこねはじめた。もっとふわふわにするために、ケイコばあさんからもらった卵の白身を使ってメレンゲを作り、それも生地にまぜてみた。この生地はいくつものボールに分けおく。
 つぎに、昨日たくさんもらってきた果物をなめらかになるまですりつぶして、果物ごとにわけてそれぞれのボールに入れる。凍ったみかんは汁をしぼって、やはり一つのボールに入れた。
 そのまたつぎにそれぞれのボールのまんじゅうを丸める。まんじゅうの大きさは白まんじゅうの三分の一。
 こね時間が短い分、少しふわっとやわらかいまんじゅうになり、メレンゲを混ぜて小さくしてあるから口の中に放り込んだとたんにろけてしまう。ブルーベリーの鮮やかな青、木イチゴの紅。黒スグリ濃い紫が生地にまざった淡い藤色。みかんの橙色。サルナシの黄緑。それぞれのまんじゅうをべつべつに作る。甘さだけをきかせたふわふわの五色。それが一組になる。
「ああ、忙しい。なんだってこんなに種類を作ってしまったんだ! でもしょうがないな。どうしてもやってみたくてしょうがないんだからな」
 そういいながら、ブッキはブルーベリーの一つを口の中に放り込んだ。思ったとおり!甘酸っぱい味も口溶けの感じもまさに絶妙だった。次々に一つずつ食べてみると、それぞれの味わいが違い、楽しい気分になる。ブッキは誰もいない厨房でえへんと胸を張った。
「まったく、オレの頭はすごいな。思ったとおりなんて!」
 正真正銘、ブッキはニヤリと笑った。
 朝一番、ケイコばあさんが目を輝かせる。
「雪どけの宝石まんじゅう! なんて豪華なんだい! 上等で食べるのがもったいないね!」
 実際、雪の積もった白い光の中で、まんじゅうは宝石のように輝いていた。

宝石饅頭 (C).png

「昨日は大変だったね。ウサギ団地のことは、新聞のいちばん大きい写真に出てたよ! ごくろうさま!」
 そういえば…。ブッキはあんまり新しいまんじゅうのことばかり考えていたので、すっかり新聞の存在を忘れていた。
 ケイコばあさんは、卵のほかになんだか、大きい包みを差し出した。
「これね、娘が編んだセーターだから着ておくれよ。鶏の羽毛入りで、冬にはポカポカ暖まるよ」
「ふん」
 と、ブッキはケイコばあさんに背中を見せて、鼻で笑った。
「じゃ、ありがとうね!」
 やっぱりこの店は、お客が礼を言う。
 ずっと並んで待っていたほかの動物たちも、新しいまんじゅうを見ると皆、それぞれに目を輝かせた。その様子を見ると、ブッキはますます胸を張りたい気分になった。
「だれだって、こんなまんじゅうは考えないさ。そりゃ、考えられないさ!」
 ブッキはふと思い出す。今までだって、同じ形、同じぷりぷりの白まんじゅうを作っていく間に、えへんと胸を張りたいことはあった。でも、そんなそぶりをオヤジに見せたことはなかった。だってオヤジが誉めてくれるわけないじゃないか!
「ニヤニヤしてんじゃないぞ! 手が遊んでるぞ! まんじゅうに集中しろ! おまえにはそれしかやることはないんだからな!」
 ブッキが少し浮かれていると、そんな棘のような言葉が返ってくる。オヤジの苦々しい顔もいつも頭に焼き付いていた。
 ブッキの中で何かが溶けてきている。今まで押さえていた気持ちが溶け出している。母さんを恋しいと思うことや、いろいろやってみたかったこと…。オヤジに対する恨み言。心の中に蓋をして奥の奥のほうにしまい込んでいた感情が、溶け出てきている。
 不思議なもので、そうなると、ほかの思い出も呼び覚まされる。
 その日ブッキの頭の中で一日中流れていた子守歌は、ブッキの心の奥の奥から呼び覚まされてきたものだったのかもしれない。
 その日も最後の白まんじゅう一個、雪どけ宝石まんじゅう一組はコタロウが買うことになった。
「ブッキさん、昨日はお疲れさまでした。丸野さんのお二人も、たいそう喜んでいましたよ」
 ブッキははっとしてコタロウの顔を見つめた。
「え? な、何か…」
「あの…」
 ブッキは心の中から出てきたほかの質問をぐっとかみころした。それは口に出して言うには勇気のある質問だった。
 コタロウは、しばらく不思議そうに、ブッキを見つめてから、
「あららら、大変、大変。ケンモチ博士に叱られちゃう! ケンモチ博士は昨夜は疲れて何も食べずに寝たんです! まんじゅうを食べるのを楽しみにしておられる! 今日は絶対に新作があるぞ! とケンモチ博士は言っておられた。大当たりでしたな! それも五色も! さすが、先生です!」
「さすがなのは、オレの方だろう!」
 もちろん、これは口の中でかみ殺して言ったので、コタロウの耳には届かなかった。
「さあ、帰ろう、帰ろう」
 と帰ろうとして、コタロウはまた振り返り、走りながら
「そうそう! 新聞、ごらんになったでしょ! あのトンネル、タカンダ町でも大評判でね。みんな滑りに行ってますよ! なんでも、氷の壁の中に明かりを埋め込んだそうで、夜も滑ることができるようになったとか! それがまた美しいという話です。ブッキさんもお仕事が終わってから、行ってみたらいかがですか」
 早口でこれだけ言うと、走って行ってしまった。

滑り台 (C).png

「なんだ…。遊びで忙しいのか! オレにはそんな暇はねえな。何しろ作るまんじゅうは増えるし、評判はいいし…。ふふふ…」
 確かにブッキの口元からは笑いがこぼれていた。不思議な気分だった。
 すべての片づけを終えて、明日の準備も終え、やっとひと息ついたブッキは、今日の夜光新聞を広げてみた。
 新聞には、昨日ブッキも見た、ウサギ団地のトンネルの入り口が写っている。が、例によって真夜中に取材したのだろう。トンネルの入り口には誰もいない。ぽかんと開いたトンネルの口が夜の闇に不気味に白く浮き立っている。
『ウサギ団地の救出劇!』という大見出し。
『イヌ博士の友情実を結ぶ』という中見出し。
『タカンダ町、マンナカ、ヒロッパラにある犬餅博士の動物中央研究所はもう、みなさまご存じであろう。犬餅博士は博士号をいくつも持っておられるほかに、数々の研究でいろいろな賞も受けておられる。
 さて、その数々の研究の中でも二番目か三番目に有名なのが大風船による飛行研究である。運転するのはもちろん猫柳助手である。
 犬餅博士は三番か四番目に有名な天気の研究で、今年のニシヤマ団地(通称ウサギ団地)方面の大雪を予報しておられた。そして団地が雪の中に埋まる前に、旧友であられる余田麗助先生に連絡をして、助けをお願いした。猫柳助手のほうは大風船を飛ばし、豚田豚饅頭店に急いだのである。ニシヤマ団地のウサギたちはは丸二日も雪山に閉じこめられた。空腹であるということで豚田仏太郎氏の奮闘により、たくさんのまんじゅうが届けられたというわけである。
 一方、余田博士は、まんじゅうの届く二日前夜から助手と雪の険しいニシヤマを登り、ウサギ団地に到達して、最新の雪山堀、モグラにヒントを得たMM(モグモグ)二号機により、タカンダ町方面にどんどんと積もった雪の中を掘り進んでいたのである。なんという連携プレー!
 この余田博士は、犬餅博士の長年の友人で、学生時代から研究をしていた同士である。雪の山にはめっぽう詳しく、山登りの研究もされている。その余田博士の二番目か三番目に有名な、雪山の穴掘り研究がみごとに応用されたというわけである。穴は一日半で完成し、ウサギ山、ウサギ坂の上を走る氷のトンネルとなった(写真)。ここまで通じればタカンダ町の入り口、ジュウジュウ交差点にもっとも近い。
『雪のない日に山を下るより、早いよ!』 と、子供たちは喜んでいるという。
 トンネルは大盛況で、交通手段だけではなく、楽しい滑り台の役割もしている。この噂はすぐに伝わって、ミミカタ町の者だけではなく、タカンダ町、オオ川を渡ったヒラクモ町のほうからも滑るためにいろいろな動物たちが押し寄せて列を作っている。
 当記者、カメラマンともに滑り心地を楽しんだ。氷の中に灯る電光はまことに神秘的である。だが凍った中を夜に走り抜けるのは冷たい。途中で止まると氷の壁に身体がくっついて凍ってしまうので、くれぐれも注意していただきたい』
「ふん…。この写真では、だれもいない、どこかのただの寂しい洞穴としかわからないな…。だいいちこの中で凍るようなマヌケな奴なんか、新聞屋以外にいるわけがない!」
 そう言ったとたんにブッキに笑いの波が押し寄せた。
 くくくく…。とこらえてもこらえてもおかしい。
「なんだって、この新聞のやつらはこんなにマヌケなんだ! みんなが列を作っているていう記事だっていうのに! 誰もいないトンネルの写真を載せるなんて!まったく…、おかしなフクロウとモモンガさ! ブハハハハハ」
 笑うのはいやだったが、止めることはできなかった。それから眠りにつくまでブッキはずっと笑っていた。涙さえ出てくるのだった。

ピレネー (C).png
余田博士


注意;このお話しの中に出てくる豚まんじゅうは、動物界の動物に適した食べ物で、人間の食用には適していません。作ったとしても、決して食べないで下さい。


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3.冬 ② [豚田豚饅頭店]


 メイコは不慣れな手つきだったが、ニクエもユコも作業が早く、どんどん同じ大きさのまんじゅうを並べていった。
 ブッキはそのぷりぷりのまんじゅうをじっと見て、考えた。なにか、まとまった考えにならないものが頭のなかにぼんやりと浮かんだ。
「百個以上できるわね。これならウサギ団地のみんなも、喜ぶわ」
「だけど…。明日からどうするのかしら、これから毎日作るのかしら。私たちは遠い町から来たのですもの。通うことはできないわね」
「うちに泊まればいいわよ!」
 とメイコ。
「え? この冬の間じゅう?」
 とユコ。
「それはできないことだわ。わたくしたちにだって、家があるし、やることもあるんですもの」
 とニクエ。
 話に入っていなかったものの、ブッキも考えていた。こんなことを毎日続けていたら、粉はどんどん減るばかりだ。今年は二回作ったからいいようなものの、それだって限界がある。毎日朝と昼とにまんじゅうを作るというのも大変なことだ。
 そうやってああだこうだ言っている間も作業は続き、次にまんじゅうをどんどこ蒸し始めた。いつものように、すごい湯気が出て行く。
「まったく…、この湯気見て、お客が来たらどうしよう…」
 ブッキはぶつくさ心配したけれど、お客が来ることはなかった。そのかわり
「おおーい! 迎えに来たぞ!」
 というコタロウの声が外から聞こえた。
 窓から外を見ると、上の方に大きな気球が見えた。
「少し下に下がるからね、縄ばしごを上がってくださーい」
 ブッキが外に出て見ると、気球の下には籐で編んだゴンドラが下がっていて、ブッキのところからはそのゴンドラの底が見えた。
「広場がないからね! 下には止められないんです! まず、まんじゅうを先に上げましょう!」
 ブッキは目を見開いた。いったい、どうやってまんじゅうだけ上げるというのか。
 コタロウは何でもないような顔をして、するするとひも付きのかごを下げた。
 ブッキの鼻先にその竹かごがぶる下がっている。
 ブッキがぼんやり立っていると、メイコ、ニクエ、ユコが手際よく次々とまんじゅうをかごの中に並べていった。
「はーい! オッケーでーす!」

こたろう (C).png

 メイコが大きな声で上のコタロウに声をかけた。
「なんだって…。オレがいいとも悪いとも言ってないのに、どんどん…」
 ただ突っ立っているブッキの背中をメイコが押した。
「さ、早く! ブッキも上がって!」
 見上げると、もうニクエもユコも気球の上に上がっているのだった。
 スルスルとブッキのために縄ばしごが下りてくる。縄ばしごにつかまると、上からコタロウが引っ張って、ゴンドラの端からみんなでブッキをゴンドラの中に引っ張り込んだ。最後にメイコが乗り込んだ。
 コタロウは慣れた手つきで火を調節して、キタヤマの木に引っかからないようにどんどん上に気球は上がって行った。
 足が地に着いていないというのは、なんと不安な感じなのだろう。ブッキはゴンドラにしがみついてそっと下を見てみた。
 タカンダ町が見える。
 雪はさほど積もってはいないけれど、全体に灰色。冬の寒い色だ。
 小さいおもちゃのような家や畑がならんでいる。家や畑の中で動く動物たちは作り物のようだった。
 ニシヤマに近づくにつれて雲が多くなり、空がどんよりしてくる。雪がだんだん降り出してくる。ここからは雪の雲の中に入ってしまう。風が強く、揺れも激しくなり、ブッキはぞっとして綱にしっかりとつかまった。
 コタロウが双眼鏡で見ながら、
「おお、ケンモチ博士が手をふっておられるぞ!」
 とどなった。
 ボーボーという炎の音が大きくて、どならないと聞こえないのだ。
「じゃあ、下りますよ! みなさん、ちゃんとつかまって!」
 コタロウは火を弱めて、うまいぐあいにニシヤマの登り口まえの広場に操縦していった。
 ニクエ、ユコ、メイコはけろりとしていて、さっさとゴンドラを下りたが、ブッキは足がガクガクしていて、うまく立っていられないような感じだった。でも、そんなようすを見せないように、ぐっと腹に力を入れた。
「いやあ、助かります! ブッキ! お疲れでしたね」
 とケンモチ博士が、ブッキの方に歩いて来た。
 蹄のあるブッキの手を、肉球のあるぷっくりした両手で包むようにして握って
「どうもどうも、ほんとうにごくろうさまでした」
 とブッキのことを抱きしめた。
 ブッキは正直びっくりした。そんなことをされたことは初めてだった。こんな近くにイヌの耳があったのでは、ぶつくさ文句も言えやしない。
「先生! 雪山を越えて大風船を飛ばさなくていいんですか?」
「雪が降っている間は危険だ。雲の中に入るとうまく操縦できなくなることがあるからな。大風船で山に行くのは危険だ。でも幸い、大雪のピークは過ぎた。ふもとではもう雪は止むでしょう」
 コタロウは、風船を飛ばしたいようで、ちょっとがっかりしていた。

バルーン (C).png


「心配ご無用。ヨダ先生が仲間と一緒に昨日からニシヤマを登って、今、トンネルが完成したのだ」
 ケンモチ博士の指さす先に雪のトンネルがあって、ぽっかりと出口が見えていた。そこからウサギがつぎつぎと飛び出てきている。
 トンネルの中は氷のように固まっていて、丸いホースのような長い長い滑り台になっていた。
「ヨダ先生はモグラの掘り進み方という研究も発表しておられる。とんがった金属の筒を作ってだね。その中に熱く熱した炭を入れる。それをぐるぐると回して、ニシヤマ団地のほうから掘り進めて来たんだ。溶けた部分からすぐに固まって堅い氷になる。まさにすごい研究だ。すべって山を下りられるんだから、いつもより早いくらいなのだ」
「ちぇっ…」
 ブッキが舌打ちすると、みんなが一斉にブッキの方を見た。だからブッキは口の中で「それじゃ、もうまんじゅうなんかいらなかったじゃないか…。苦労して忙しい思いをして作ったっていうのに」という文句を飲み込んだ。
 みんなはブッキの次の一言を待っていたが、ブッキは真っ赤になって下を向いてしまったので、なんだかおかしな感じになった。
「さあ、みなさんお集まりください」
 ケンモチ博士がまるで自分の物のように、避難してきたウサギたちにまんじゅうを配り始めた。
「さあさあ、ブッキさんも休んでください」
 ニクエがブッキにも一つまんじゅうを渡した…。
 そのまんじゅうを、ブッキはじっと見つめた。いつもとはやはり何かが違う。
 一口口にふくんでみる。
 それはいつもより少しふわっとしていて、早く溶けるような、柔らかいまんじゅうに仕上がっていた。
「ふむ。寝かせる時間を少し短くするのも悪くないな…」
 さっき、ブッキの頭の中に浮かんだはっきりしない考えはこれだった。寝かせる時間を調節することで違う口当たりのまんじゅうができるということだ。ブッキは何からでも学習する、そんなブタだった。
「おいしい!」
 というウサギたちの声が、何重にも重なって聞こえてきた。
「ありがとう!」
「うまい!」
 いろいろな言葉が耳に届くたびに、「ふん…」と鼻を鳴らしながらも、ブッキは悪い気はしなかった。
「お礼なんて腹の足しにもなりゃしない…」
 それでも何とか文句を言う。それがブッキの答え方だった。
「これを使ってください!」
 年寄りのウサギがブッキにかごいっぱいのものを差し出した。ほんのり甘酸っぱい匂いがする。
「ニシヤマの木になった実です」
 木イチゴやら、ブルーベリー、黒すぐり、サルナシなどの木の実を乾燥させてある。それがぎっしりとかごに詰まっているのだった。
「こうやってフルーツを保存しますとね、いつでも使えて便利なんです」
 年寄りウサギはにっこりと笑った。が、ブッキはニコリともせず、下を向いた。
 まんじゅうを作る時間に比べて、まんじゅうがなくなる時間のなんと早いことか。あんなに作ったのに、もうかごの中には一つのまんじゅうも残ってはいなかった。
「ありがとう!」
 ハネが真っ先にやってきて、ブッキの手を両手で握りしめた。ブッキはどんな顔をしていいかわからずに、どぎまぎした。
 ニシヤマから帰りにまたコタロウが気球を飛ばしたのだが、どうしてもというケンモチ博士の誘いで、ブッキはケンモチ博士の研究所、動物中央研究所に寄ることになった。

犬猫 (C).png

「私からはこれを差し上げよう」
 ケンモチ博士が凍ったミカンを山ほど差し出した。
「これは私の研究で育てたミカンでしてな。キタヤマだったら裏手の山が凍るでしょう。そこにミカンを放り込んでおきなさい。雪のある間はずうっと食べられます」
 と、ケンモチ博士はえへんと胸を張った。
「私の研究した木がありましてな、ミカンも一種類ではなくてな、夏みかんもレモンもネーブルもイヨカンもいくつもの種類ができる。一つの木に一緒にです。最近リンゴもつなげまして一緒になる木を作りました。このあと、カボチャ、トマト、なす、ジャガイモなどがいっぺんにできる植物も研究中です。まあごらんください」
 ブッキは頭の中で思い描いてみたが…、「別々に作っていて何が悪い?」という言葉は口には出さなかった。
 研究所のうしろに大きなガラス張りの温室があって、そこにつぎはぎのいろいろな植物が並んでいる。ケンモチ博士はこれを自慢したくてブッキを誘ったにちがいない。
「ほら、ここの継ぎ目をごらんください。まったくなめらかでしょ! ここが研究の成果です。まったく違う木なのに、それぞれの木が仲間だと思って仲良くなる。そういう発想です」
 いつもながらぶすっとしているブッキに、ケンモチ博士はうれしそうに次々と説明をするのだった。
「この温室で、いろいろな季節にミカンやらほかの果物、野菜がいつでも取れるようになればいい。小麦も研究中ですからな、そのうちいつでも取れる小麦をブッキさんに贈りますよ!」
 そんなことになれば、ますます休む暇はなくなってしまう。ブッキは下を向いて、口から出そうになる文句をじっと押しとどめていた。
「いろいろな植物が育つには土も大切でしてな、ほらこれをごらんください。ここにいろいろな場所の土を集めまして、わたしが独自の研究でブレンドしたり、耕したり、水を変えたりと、いろいろやっておるわけです」
 ブッキはじっと耐えて、ケンモチ博士の自慢話を右の耳から左の耳へと流していた。そうやって博士の話を聞いている間も、ブッキはブッキでまんじゅうの皮のことが気になってしかたがなくて、それを試してみたくてしかたがなくて、うずうずしていた。
 そこにうまいぐあいにネコのコタロウが顔を出した。
「ケンモチ博士。用意ができましたので、わたくし、ブッキさんをボウボウまで送ってまいります。あまり暗くなると危ないですし…。ニクエさん、ユコさんも送って行くのだから、どうぞブッキさんもお乗り下さい」 
 コタロウが送って行くというのに、ブッキは断った。
「でも、この荷物じゃあ、風船で運ばなければ持てないでしょう。」
 ブッキはもらったものを、全部当分に分けて、メイコ、ニクエ、ユコの手に押し込んだ。
「ふん。こんなにあってもな。持って帰れないからな」
 と文句を言い
「途中で暗くなっても歩き慣れた道だ。オレは勝手に帰る!」
 とも言ったが、例によって口の中でもごもご言う文句だったから誰の耳にも届かなかった。
「わあ! ブッキ、ありがとう」
「あらあら、ブッキさん。私どもは一緒の家ですから一人分でけっこうです!」
 ニクエがブッキの手にかごを無理矢理もう一つ押し込んだ。
 ブッキは両方の手にかごをぶら下げて
「ちぇっ! こんなにいらないのに、まったくなんでも押しつけるブタたちだ!」
 と、仏頂面で歩き出した。
「ブッキってなんて、優しいのかしら」
「それに、謙虚よ。自分に厳しいのね。キタヤマまであの荷物で上がるのは大変でしょうに…」
「だから、一つで良かったんだ!」
 そのブッキの背中に
「ブッキ! かっこいい!」
 とメイコが声をかけた。
「早く寝ないとな。試したいことだってあるし…」
 実際、ブッキは荷物の重さなんか感じていなかった。ブッキの頭の中には、次にまた試しに作ってみたいまんじゅうの手順が、次々と浮かんでくる。それは魔法のように順序よく並んでいて、次にこうして、こうしてと現れる。ブッキは頭の中でまんじゅうをこね、なんども確かめている。
 自ずと足は早足になり、疲れもまったく感じていなかった。



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3.冬 ① [豚田豚饅頭店]


 キタヤマの冬は寒い。
 タカンダ町にはあまり雪は積もらないけれど、キタヤマは深い雪に覆われる。
 タカンダ町からキタヤマに上るマチカネ坂は、その中間だ。キタヤマに大雪が降ればマチカネ坂の雪も深くなり、登るのが大変になる。
 今年、ブッキは大雪になる前に、冬用の小麦を育てて収穫した。今までは春の麦しか育てたことがなかった。一年で二回も麦を育てたのは初めてのことだった。

小麦 (C).png

「せっかくゆっくりできる時だっていうのに…。オヤジがいた頃よりもまんじゅうをたくさん作って、自分で忙しくしてるなんて。まったくオレはマヌケなブタさ」
 じっさい、オヤジと一緒に仕事していた時には労働力が二倍あったというのにどうしたことだろう。
「今年は、よけいなことしたからな。ちっともいいことがない!」
 麦の収穫が終わってからは、晴れている間にせっせと麦を干して、そのあとは毎日石のうすで粉を挽き、その間にだんだん冬は深まり、寒さも厳しくなってきていた。もちろん、まんじゅうはまんじゅうで毎日作って店を開ける。まったく一日としてゆっくり休む日などなかったのだ。
 冬の盛りには大雪になることもある。豚田豚饅頭店の裏までは店の屋根の高さまで雪が積もる。不思議なことに、まるでこの店を境界線にしているように、店の窓側はうまい具合に売り窓の高さくらいにしか雪は積もらない。だから、店は開けられる。オヤジは冬でも豚まん作りを休んだことはなかった。
 キタヤマの上の方は雪が深くなり、上れなくなる。だから泉まで上って行けなくなる。オヤジは冬の間は積もっている雪解けの水を使っていた。
 冷たい思いをしてマチカネ坂を上って、店にやっとたどり着いて、ほかほかの豚まんじゅうを胸にかかえると、暖かくてうれしくなる。そこから家までいい匂いの豚まんを抱えて、スキップしたくなる。だから、坂を上がるのが大変になっても、みんなまんじゅうを買いに来るのだ。
 タカンダ町を取り囲んでいるほかの山、ニシヤマ、ヒガシヤマも雪が深くなる。その冷たい山に囲まれているのだから、タカンダ町も冷たく厳しい冬となる。
 そんな朝に『大変! ニシヤマが雪に埋もれる!』という見出しの夜光新聞が届いた。
 いつもだったら新聞に目もくれないブッキだが、新聞の一面全部がすごい大きい字でこの見出しだけだったので、いやでも目についた。だが、新聞に書かれた文字はそれだけである。よほど急いでこの一枚の新聞を作ったのだろう。
 ニシヤマの向こう、ミミカタ町にはウサギたちの住むニシヤマ団地がある。
 ブッキは行ったことがなかいけれど、それはタカンダ町からニシヤマに上って山の中腹を反対側に下った方だと聞いている。ニシヤマの向こうには、オオ川という深く大きな川がある。その川の先にミミカタ町の中心地があって、ニシヤマ団地からはそちらの方が近いのだけれど、川をわたらなければならない。ウサギたちは川を渡るのが嫌いだそうで、だから、ニシヤマ団地のウサギたちは、タカンダ町の方の学校や店に来ているのだという。
 いつものように店を開けると、お客の間でもニシヤマ団地の噂話が飛び交っていた。
「ハネちゃん、どうしてるだろう」
 サカエじいさんに代わって買い物に来たヤギのメイコが心配そうに言った。


はね(C).png


「ほかのやつの心配なんかしてらんねえな…。何たってオレはまんじゅう作りをやめるわけにはいかねえんだからな。っていうことは、休むヒマはないってことで、じっさい休んでなんかいないってことで、ということは、ほかのやつの心配なんかしてる時間もない、ってことになるんだ」
 ブッキはぶつくさと朝からそんな文句を言っていた。
 今日の最後の客は牛野権蔵オヤジだった。ゴンゾウオヤジは八個のまんじゅうを買い、せいろの中にはいつものように猫柳小太郎の分の二個のまんじゅうが残った。
 いつも来る客はだいたい同じ顔ぶれだが、毎日毎日、まったく同じというわけにはいかない。もちろん買っていくまんじゅうの数だって違う。なのに、なぜか最後のコタロウには二つのまんじゅうが残るのだ。なぜそんなにぴったり売り切れるのかわからない。でも毎日そうやってぴったりの数が売れていく。
 ゴンゾウオヤジののっそりした大きな身体の後ろからコタロウが顔を出すと思っていたのだが…。今朝は、コタロウの姿は見えなかった。
「ちぇっ! うちのまんじゅうが売れ残るなんて、初めてのことだ! ついてねえ!」
 ブッキはぶつくさいいながら、店じまいを始めた。
 と、そこにハアハア息を切らして、コタロウが走って来た。
「ブッキさん! ブッキさん!」
 ブッキは顔色を変えずに、店の中にまんじゅうを取りに入ろうとした。すると、
「あ、いえ、今日は頼みごとがあって、やって来ました!」
 といい、コタロウのうしろから、メイコも一緒に来ていた。そして、見知らぬブタが二人、メイコのさらにうしろに続いて坂を走って登って来るのだった。


親子豚 (C).png

「ウサギ団地に、大風船を飛ばします!」
 と、コタロウは言った。
 いったい何のことだ? ブッキはぽかんと口をあけた。
「ニシヤマが雪の中なんです!」
 それは見出しだけの新聞で読んだのだが…。それと風船と…。
「なんだって、それがオレに関係あるんだ!」
 ブッキは、背を向けながら、店に入ろうとした。
「ここに、手伝いの動物を連れて来ましたので、これから至急、まんじゅうを百個ほど蒸かしていただきたいのです!」
 ブッキは目を白黒させた。
「とにかく、今、ケンモチ博士が大風船を用意しておりますんで、後でわたくしが研究所からお迎えにまいります!」
 コタロウはここまで言うと、
「こちらはメイコさん。それはご存じですな。それと、やはりぶたまん作りにはブタがいいだろうということで、きのう、ニシヤマが大雪になりそうなので、ケンモチ博士が、ブタお二方に連絡を取ったのです」
「丸野二久江と申します」
 とあいさつしたのは、少し年配のブタ。
「丸野油子です」
 と、若いブタ。そっくりなブタたちだった。
「こちらのブタお二人は手が器用だということで、ケンモチ博士のお墨付きです。先生は、天気の研究でも博士号をとっておられまして、もちろん、大雪になることを予想していらしたのです! すばらしい方です! だからもう、昨日のうちからいろいろ考えておられました。このお二方も、大風船に乗ってやって来られました。わたしが試運転がてらお迎えに行きました…。さすがの先生です。なにからなにまで無駄というものがありません」
 コタロウの言っていることは、ブッキにはさっぱりわからなかった。
「だからオレには…。関係ないって…」
 ブッキは面と向かっては、はっきり物も言えない、そんなブタだ。だから、口の中でぶつくさ文句は言っていても、だれもブッキに文句があるとは気が付かないのだった。
「では、よろしく!」
 コタロウだけがあわてて、雪の中をかけて帰って行こうとしながら…。
「そうそう、今日わたしが買うはずのおまんじゅうですが、そちらのブタお二方にお分けください。味を知っている方が、上手に作れるだろうというのは、これまたケンモチ博士のお考えでーす!」
 コタロウはまんじゅうが残っているとわかっていたのか! ブッキはなんだかむしゃくしゃした。
 さてどうしたらいいものだろう。ブッキは良いとも悪いとも答えた覚えはない。だいたい、材料から何から全部ブッキが用意して、ウサギたちのために作ってやらなければならないのだろうか。なんともおもしろくない気分だった。
 ブッキがぶすっと突っ立っていると、メイコが
「じゃあ、始めよう! ね、ブッキ」
 と、気安く言った。
「なんだって、オレがそんなことしなくちゃならないんだ…。オレはここにただ立ってコタロウの言うことを聞いていただけだ。断ろうにも、もうコタロウはかけて行ってしまったし…。それでなくても毎日毎日、時間が足りないくらい忙しいっていうのに…」
 ブッキがブツブツ口の中でつぶやくと、メイコが
「え? なに? はっきり言ってくれなくちゃわからないよ!」
 とブッキの目をのぞき込んだ。
 そのメイコの目は、瞳孔が横に平べったくなっていて、なんとも不思議な表情だった。
「あのなあ…」
 と、その目を見ながら、はっきり言おうとしたブッキだったが、あまりにもじっとじっとブッキの目をのぞき込むメイコに、ブッキは言葉をつなげなかった。だいたい、いつだってそうだ。だれかの目をまっすぐのぞき込んで文句なんか、言えやしない! メイコのような不思議な瞳ならなおさらだ。
「ちぇっ」とブッキは舌打ちすると、家の中に入って、黙って作業を開始した。
 入っていいとも言っていないのに、メイコもニクエもユコもブッキの後に着いて入って来て、
「あ、これね、このおまんじゅうを食べてもらえばいいのね!」
 コタロウ分として竹皮の包みの上にちょこんとのっていた白まんじゅうをメイコがさっさと二人に分けた。
「はい。まだほんのり温かいわ! おいしいわよ!」
 ブタのニクエとユコはほくほくとまんじゅうをほおばった。
「ほんとおいしい!」
「ふかふかでモクモクして、ほんわか甘い味がするのね。まえ新聞に書いてあったとおりだわ」
「ふん! 食べていいとも言った覚えはないのに、なんでも勝手なことをする。そんなヤギとブタたちさ」
 ブッキは文句を言いながらも、粉の袋を下ろして、作業台の上にボールなどを並べ始めた。
「ちぇっ! やっと片づけたと思ったのに…」
 メイコはブッキの隣に立って、ブッキをまねて、粉をこね始めた。
「ごちそうさま! うわさには聞いていたけれど、ほんとうにおいしい豚まんでしたわ! 歯ごたえも絶妙ですのね」
 ニクエがにこにこと言ったのに、ブッキはぶすっとそっぽを向いた。
「あのね、ブッキはおしゃべりじゃないブタなの。ブタが全部そうというわけではないでしょうけど…。返事がなくても気にしないでね」
 メイコが説明すると、ニクエもユコもくすくすと笑った。
 ブッキはなんだか自分が笑われているようで、ますます不快になってきた。
 ニクエもユコも割烹着を持って来ており、それを着込むとさっそくブッキのまねをして粉をこねた。さすがに四人でやる作業は早かった。
「さ、その後は?」
 メイコは平らの瞳孔で、またじっとブッキの顔を見た。
「次はこの生地を発酵させるんだ」
 またブツブツ言ったのをニクエが耳にした。
「そのあとの作業のことを考えると。時間は少し短くしたほうがいいわ。待っている間にかたづけを先にしませんこと?」
 ブッキがうんともすんとも言わないのに、どんどん働く。
「これはどこにしまうの?」
「これはどうやって、洗うんですこと?」
「残った粉は、どうするの?」
 みんな次々と質問をした。ブッキは口ごもりながらあごで方向を示し、うなずいたり、首を振ったりしてそれに対応した。
 片づけもあっという間に終わった。その後、みんなちょっと疲れて、厨房のいすに座って、ぼんやりした。
「おばさんたちは、クログロ谷の向こうから来たということでしたけど、遠くて大変だったでしょ?」
「ケンモチ博士からハト便のお知らせをいただいて、すっかり用意していましたの。タカンダ町にはブタはいないんですってね」
 ニクエは、そこまで言って、しまった! という顔をした。
「もちろん、ブッキさん以外には、ってことですけれど…」
「あの大風船はすごかったわ。ケンモチ博士が火をボーボー燃やしているの。雪なんか降っていても、じゅっと音を立てて、溶けてしまうのよ!」
 ユコがうれしそうに言って、なぜかみんなでブッキの反応を待っていた。
 ブッキは、もちろん面と向かって言い返すようなことは何もない。だから「なにがなんだか…」と口の中でつぶやいて、下を向いていた。
「ケンモチ博士は、なんでそんな遠い所のことまで知っているのかしら」
「わたしたちの町はシオシオ町というのですけれど、そこにケンモチ博士とお知り合いだったという、余田麗助先生という、りっぱなイヌの先生がいらっしゃるの。もちろんケンモチ博士のように博士よ! 二人は専門の学校で同級生だったらしいわ。大風船も先生との共同研究なんですって」
「へえー。りっぱというのは、見ただけでわかるんですか?」
「そりゃあわかりますとも。白いふさふさのピレネー種で、雪にもめっぽうお強いそうですよ。体格なんてそりゃ、ケンモチ博士はビーグル種でいらっしゃるから、ヨダ先生の方が倍くらいはがっちり大きくていらっしゃるわよ」
 ブッキには何の話なのか、さっぱりわからなかったが、どうやらメイコもさっぱりわかっていない様子だった。
「あら、そうですの。オホホホホ」
 という、いつもと違うやけにていねいな言葉使いで、あいまいに笑っていた。
「センモンの学校って何をやるのかしら…」
「そりゃあいろいろなものを専門にやるんですよ。もちろん」
 これは、ニクエにもよくわかっていないのかもしれない。
「ヨダ先生なんて、もうニシヤマ団地に先にかけつけているっていうことらしいわ。大雪の中をよ! すごいでしょ! あたしなんてね、ヨダ先生に理科を習ったのよ!」
 ユコが得意げに話に割り込んだ。
「あら? そうなの? センモンの?」
 この返事で、メイコはやっぱりわかっていないようだ、とブッキは確信した。
「ところでブッキ、もう生地は大丈夫かしら?」
 話にたいくつしたようで、メイコが聞いてきた。ブッキはぶすっと立ち上がって、ぬれ布巾から生地を出して、指で押してみた。
「ふむ。いつもよりは少し弾力が足りないかもしんねえな。でも、ま、しかたないだろう。早く蒸さないと今日のうちに持って行けなくなるもんな」
 そこで、またみんなで作業を開始した。




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2.秋 ② [豚田豚饅頭店]

 次の朝も一番乗りはもちろんケイコばあさんだった。ブッキが用意した新しいまんじゅうの名前を見つけて、ケイコばあさんの目がきらりと輝く。
「おやおや! 秋の木の実・木の花まんじゅう。新しいのだね。秋のキタヤマみたいなまんじゅうだね。それも入れておくれよ」
 ケイコばあさんの声はうわずって、ケケケと笑う。
「ふん、まったくすぐに目をつけやがる。まったく図々しいったらありゃしない」
 相手には聞こえない絶妙のタイミングで文句を言うと、ニコリともせずにブッキはまんじゅうを竹の皮に包んで渡した。
「ありがと」
 と言うそのケイコばあさんの後ろにはまた例によって、動物の列。
「け! オレが一生懸命山のようにまんじゅう作っても、すぐになくなってしまう。作る時間は大変なのに、なくなるのは一瞬さ」

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 その日、店頭に並んだ秋の木の実・木の花まんじゅうは、見た目も食べた感じも白まんじゅうとは違っていた。どんぐりの皮のつぶが均一に混じっている。噛むとサクッとして、その内側のすこし荒い生地の歯触りがモサモサとおいしさを引き立てる。
 二つに割ると、山栗のあんに甘いキンモクセイの香りが、ふわっとわき出てくる。皮の香ばしさと栗あんの甘く、ぽっくりした味わいが、バッチリと合っていた。
 いつもの白まんじゅうと秋の木の実・木の花まんじゅうは、飛ぶように売れていった。最後の客はやっぱりネコのコタロウだった。
 ブッキは店をしまい、休まずに厨房を片づけ、きれいに磨き上げた。すっかり厨房が片づいて、やれやれ、と背筋を伸ばして見ると、オヤジの写真の横に上げた、秋の木の実・木の花まんじゅうが一つぽつんと残されていた。
 ブッキはそれに手をのばすと、二つに割ってみた。
 もうとっくに冷めてしまったけれど、ブッキの作った豚まんの皮はまだねっちりと弾力がある。それを口に含むと、かわいいキンモクセイの花の垣根が思い浮かんだ。ブッキはしばし目をつぶって、大きな鼻でくんくんとその匂いをゆっくりと味わってみた。
「ブッキ! ブッキ!」
 ブッキははっと我にかえった。裏口の戸をメイ子が激しくたたいていた。
「ちぇっ! せっかくゆっくりしていたのに! いつもこうさ! メイ子はうるさい、ブタを休ませない、そういうヤギさ」
 ブッキはしぶしぶ勝手口を開けた。
 メイ子は息をはずませ、大きな袋を一つ引きずっていた。
「ね! 今日、じいさんが買ってきた、秋の木の実・木の花まんじゅうって、とってもおいしかった! 秋の山の中をずっと歩いて、町の入り口にたどり着いた…。そんな味だよね。ほっとするし、サクサク、モチモチした皮がおいしくて、ポクポクしたあんがおなかにたまるよ!」
 メイ子は目をきらきらさせて、袋を差し出した。
「木の花ってこれね。キンモクセイ! はい! 今年はもうこの花の時期はおしまい! だからこれが最後の花だよ」
 ぼけっとメイ子を見つめるブッキの手に袋を無理矢理握らせて、メイ子はスキップしながらマチカネ坂を下りて行った。
「何だ? 何だって、あんなにのんきなんだ? こんな夜だっていうのに! オレはこんなに苦労をして、いろいろ考えてやってるのに、自分が食うことしか、考えてない! そんなヤギさ!」
 そう言いながら、ブッキは口の端を少し上げた。それを自分で認めるのはいやだったが、なんだか少しうれしかったのだ。
「ちぇっ、このまんじゅうがおいしかった、ってのはほんとうだもんな。しょうがないさ。喜んだって」
 ブッキが明日のための用意を始めると、今度は屋根をたたく者があった。そして、そのたたき方には覚えがあった。
「ちぇっ。また来たのか。あの二人連れが…」
 ブッキはブスっとふくれて、外へ出た。外はもうとっくに真っ暗になっている。
 ブッキが裏戸から店の方へそっと回り込んで屋根を見上げると、そこには大きな黄色い光が二つ、その上に少しぼんやりした黄色の小さい光が二つあった。そう、オヤジが亡くなった時にもこの光が真夜中にやって来たのだ。
 それでも、改めて見るとまたぎょっとした。その黄色い四つの光がブッキの方をさっと捕らえたからだ。
 その光はだんだんブッキの方に近づいてきて、家の裏口から漏れる光の中にその光が入ってくると、その正体がはっきりと目の前に現れた。
 大きなフクロウの上に小さいモモンガが乗っかっている。
 オヤジが亡くなった夜にも、そうやってこの光はやってきて
「夜分にすみません。わたくし、こういう者です」
 と、羽をブッキの方に伸ばしたのだ。羽の先には名刺があって「夜光新聞 記者 袋田宝介」と書いてあり、
「上がカメラマンのモモンガ、飛田百太郎です」
 と、ホウスケの上からモモタロウが名刺を落とした。この新聞は動物界ではたった一つの新聞で、ブッキの所にも届いてはいるけれど、オヤジの死亡記事が出てからははまんじゅう作りに忙しくて、ブッキはちっとも読んだことがなかったのだった。
「いやあ、すっかりごぶさたしておりました。また取材にまいりました!」
「なんだって、オレが新聞なんかと関係あんだ?」
 ブッキは面倒くさくて、渋面をした。
「夏の始めからずっと噂でしてね。豚田豚饅頭店に新しい味が加わったというのは。それで取材に来てみたわけです」
 ホウスケの目は電気のように光って見えるけれど、まぶたを閉じると、まったく目がどこにあるのかわからなくなる。
 ブッキはこのおかしな二人連れをしげしげと見つめた。
「じゃあ、笑ってください」
 と、上の方からモモタロウの声がした。
 ブッキが見上げてみると、いつの間にやら、モモタロウが家の屋根に上がっていて、ブッキの方を覗いている。そしてやにわに滑空すると、同時にぱっと明るく光が瞬いた。それはモモタロウの持っていたカメラのフラッシュで、ブッキを驚かせた。
「なんでも父上は、豚まんじゅうの中には何も入れなかったのに、ブツタロウさんはいろいろ工夫をなさって、長雨虹まんじゅう、秋の木の実・木の花まんじゅうなど大変な人気だそうですな。いやいやお一人だというのに、大変なものです」
「そういえば…、おまえら、うちのまんじゅうを食べたことあるのか?」
 朝、店に並ぶ顔はだいたい知っているが、この二人を見かけたことはなかった。
「いやあ、わたしども新聞記者とカメラマンですからね。噂だけです」
 大した話もしていないのに、ホウスケはなにやら、スラスラとメモを取っている。いったい何を書いているのだろう。受け答えも変だ。ブッキは返事ができずに、じっとホウスケの翼の先を見つめた。
「なんせ、私どもの活動時間は夜中ですからね。もうとっくにまんじゅうは売り切れになっているという、そういうわけなのです。ホホホホホ。でも、取材にはぴったりの時間ですよ。だって、みなさん家にいるし、もう寝るだけなんですから! ホホホホホ」
 ブッキはあきれて、ホウスケをただ見つめた。
「夜光新聞ではですね。夜のうちにたくさん新聞を作りますから、朝にはもうできあがっておりまして、キジバトやらカケス、カラス連中が朝早くからどんどん新聞をばらまきます。ですからまんじゅうを買いに並んでいる暇などないわけなんです。よく考えれば、おわかりだと思いますが…。ホホホホホ」
「はい、また笑って」
 モモタロウは飽きもせず、また屋根に上ったようで、光とともに滑空してきた。
「どうです、父上が亡くなって、ブタ一人で作るというのは、そりゃ忙しいというものでしょう?」
 ブッキは首を傾げた。
「はい、もう一度笑って!」
 また、モモタロウが屋根に上がっていて、滑空する。
「朝から晩まで豚まん作り。働き者のブタだというのは町の噂ですよ。季節ごとのものを生かしてまんじゅうを作るとは、これまたグッド・アイデアですな」
 よくしゃべるフクロウだが、スラスラと良く書くフクロウでもある。
 ブッキはとにかくその翼の先のよく動くペンに見とれていた。
「では、最後にもう一枚行きますよ! はい笑って!」
 モモタロウは、また屋根に上り滑空。
「これは、これはお忙しい時間に大変失礼いたしました。これからこれをさっそく記事にしまして、明日の新聞の特集にします。大変だ、大変だ。急がないと大変だ。ほらヒタ君、早く帰らないと間に合わないぞ」
 モモタロウは大きいカメラを大事そうに抱えて、ホウスケの頭によじ登り、ちょこんと乗っかった、そして、今度はホウスケがモモタロウを載せたまま重たそうに屋根まで上った。屋根に上るとまた大きな黄色い光二つと、ぼんやりとした小さい光二つになった。
「それでは失礼。さあ、忙しいぞ! 急がなくちゃ。忙しい、忙しい」
 そう言うと、光は山の下の闇の中に飛び去った。ブッキはあきれ顔でそれを見つめていた。
「なんだ、あいつらは…。何も答えもしなかったし、一度も笑いもしなかったのに。だいいち、一番忙しいのは、このオレだ!」
 ブッキはブウっとふくれると、厨房に戻って、またまんじゅうの仕込みを始めた。
「まったくほかの動物のことはわかりゃあしねえ。ひまと忙しいの意味もわかっていねえ。変なフクロウとモモンガさ」

 次の朝、明るい光の輝く朝に「夜光新聞」が届いていた。いつもだったら、ブッキは目もくれずに豚まん蒸かしに忙しい。新聞は読みもしないで、厨房の道具をしまう時に包んで使っている。でも、昨夜のことが気になって、ブッキは新聞を手に取った。
『特集・豚田豚饅頭店』という見出しの横に、口をあんぐりあけて、上を見上げているブッキの写真が載っていた。
『夏の始め号で豚田仏之助氏の訃報をお伝えしたが、氏の一人息子、仏太郎氏がまんじゅう作りに励んで、豚田豚饅頭店を切り盛りしていることをご存じだろうか。ところはキタヤマの登り口、マチカネ坂を上がりきったボウボウである。キタヤマからのモクモク湯気は誰しもが毎朝見上げて、豚まんじゅうのできるのを楽しみにしている。
 今まで、仏之助氏は豚肉の入った豚まんじゅうは、豚まんじゅうに非ず。豚が作ってこその豚まんじゅうだと言っておられた。その言葉どおり、まんじゅうの中には何者もの肉も入っていなかったのである。
 ところがである! 肉でなくても良かったのだ! ここに気が付いたのが息子の仏太郎氏の偉いところなのである。夏に季節の味を生かした、長雨虹まんじゅうを発表してから、秋には秋の木の実・木の花まんじゅうを発表。精力的な活動をしておられる。
 毎日、豚まんじゅうのための仕込み、作業、掃除、なにからなにまで仏太郎氏一人でこなすのであるからして、これは大変な労力である。その労力のかいがあって、味の良いまんじゅうができるというわけなのである。
 残念ながら、当新聞の記者およびカメラマンはともに多忙により、また活動時間の違いにより、まだその味わいには触れていない。だが、噂だけでもそのおいしさは十分に伝わってくるというわけなのである』
 前置きだけで、こんなに長い。ブッキはふうっと息を吐いた。
 その先には、記者がブッキを訪ねた様子が書いてあるが、そんなことまで読んでいたら、豚まんじゅう作りの時間がなくなってしまう。ブッキが答えもしないのに、いったいこんなにたくさん、何が書いてあるのか気になったが…、ブッキは、とりあえず新聞をオヤジの写真の横に置いて、あわててまんじゅうの蒸かし作業に移った。記事がやけに短かったり、長かったり、まったく気まぐれな新聞である。
「まったく、どいつもこいつもヒマなやつばかりだ。新聞なんか読んだって、腹はいっぱいにならないっていうのに!」
 相手がいないと、ブッキの口からはブツブツと滑るように文句が出てくる。調子が出るともっと文句が浮かんでくる。


夜光新聞(C).png
「新聞に、男前に写ってたわよ! ケケケ」
 と、朝一番のケイコばあさんが笑った。


「ちぇっ! あの新聞のおかげで、時間は食ったし、噂も広まるし、いいことなんか、ちっともない!」
 ブッキはニコリともしないで、まんじゅうを竹皮に包んだ。
 犀玉角次郎が母親の白江と二人で買いに来ていた。
「今日は親戚が、まんじゅうを食べに来るんだ」
 と大きな図体をしながらツノジロウは、恥ずかしそうに言った。
「だから、白まんじゅうと、秋の木の実・木の花まんじゅうを、十個ずつお願いね」
 ブッキはもちろん、ニコリともしない。
「あれえー。あの、新聞さ。ブッキのことがでっかく出てたな。オレ、有名人と友達なんだな」
 ツノジロウはもじもじ言って、くすりと笑った。ブッキはちょっとむっとした。
「だれが、友達なもんか…」
 うつむいてまんじゅうを包む時に、ぶつっと言う。
 やっぱり新聞のせいなのか、いつもより早くまんじゅうは売れて行くようだった。最後に並んだコタロウの時には、いつものように一つずつのまんじゅうが残っていた。
「新しいまんじゅうがあると、ケンモチ先生は喜びますよ。またまた半分ずついただきます」
 とコタロウは笑った。
「ふんだ! たくさん食べたいんだったらな、ケイコばあさんに負けずに早起きしろってんだ!」
 もちろん、ブッキの声はコタロウの耳には届かない。
 コタロウはいつも最後の客になる。この日も帰って行くコタロウの背中を見ながら店を閉めた。そして、厨房の掃除と次の日のための材料を用意。一日は瞬く間に過ぎて行く。
 昨日は夜のうちから変なできごとがあったせいか、ブッキはいつもより疲れているような気がした。
 掃除も明日の仕込みも終わってほっとすると、今、たった一人でいることをじんわりと感じた。キタヤマの静けさが家の後ろ側から迫ってきていた。
 ブッキはじっとオヤジの写真を見つめた。
「もし、この家がまんじゅうやじゃなかったら、オレはいったい何をしていたんだろうな。あんなくだらない新聞を出すのはいやだし、研究所で助手なんてのもぱっとしない…。卵を産むことはできないしな。それに比べりゃあ、まんじゅう作りはずっとマシだ。ま、考えたってしかたない。オレには選ぶことなんかできなかったんだから」
 ブッキはぐっとのびをすると、眠ることにした。
 ふと、外でコトリ、と音がしたような気がした。あのおかしな新聞記者とカメラマンがまた今日も外を飛び回っているのだろうか。ブッキのお腹の底から、こらえていた笑いがくくく…、ともれてきた。
「あー、なんだってマヌケなやつらなんだろう! うちのうまいまんじゅうをまだ一度も食べたことがないなんて!」
 こんなにおかしかったのは何年ぶりだろう。ブッキは笑いたくてしかたがなかった。なのに、誰が見ているわけでもないのに、ブッキは思い切り笑いたくはなかった。笑うと、なんだか、なにかに負けたような気がする。損したような気がする。だからこらえてこらえて…、それでもこらえきれない。
「ちぇっ! こんなことで笑って力を使うなんて、もったいない!」
 ぶつぶつ言う口元からも、まだくくく…、と笑いがもれてくる。
 その夜は眠りにつくまで、ブッキは笑いをこらえるのに大変だった。

注意;このお話しの中に出てくる豚まんじゅうは、動物界の動物に適した食べ物で、人間の食用には適していません。作ったとしても、決して食べないで下さい。




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2.秋 ① [豚田豚饅頭店]

どんぐり (C).png

 ブッキのオヤジは動物づきあいが嫌いだった。
「ほかの動物とつきあうのは、めんどうだからな。ブタとだって!」とよく言っていた。だから、オヤジはタカンダ町の中心地、店の集まっている所には家を作らなかったのかもしれない。
 そしてそれはブッキにとっても良かったのかもしれない。ブッキも動物づきあいは苦手だったし、今、ボウボウにあるたった一軒の家にたった一人で住んでいるけれど、それでちっとも不自由は感じたことはなかった。
 秋になると、マチカネ坂とブッキの店のあたりは、紅葉の木々で真っ赤になる。キタヤマはタカンダ町よりも一月も先に秋を迎えるのだ。キタヤマのある所は真っ黄色。オレンジ色、茶色にもなる。でも、ブッキの作るぶたまんじゅうの湯気の色は、いつもかわらぬ白のモクモクだ。
 タカンダ町のほうから、キタヤマに上るマチカネ坂は一本道で、ひょろひょろしている。ある夜強い風がゴーゴーと吹き荒れて、その次の日にそのひょろひょろ道が落ち葉で埋まって見えなくなった。
 その日、店を閉めると、ブッキは店に続く道を、裸足で踏み分けていた。
 紅葉した葉が落ち、それがクッションのように道に積もっている。それをがさごそを踏み分ける。意味もなく、わけもない。
「こんなことやって、何になる? でも、がさごそ音がするとやめられねえ」
 葉っぱにまじっていろいろな形の木の実が落ちている。いろいろな木のどんぐりたち。
 ブッキの足は二つに割れていて、その蹄にドングリが刺さるとたいそう痛い。
「ちぇっ! こいつめ!」
 と、ブッキはそのどんぐりをつまんでじっと見る。それはしいの木の少し細い形だった。
 ブッキはピンとひらめいた。
 これを使わない手はないだろう。
「こんなにどこから落ちるんだ。毎年毎年、変わることなく、ただ落としてなにになるんだ」
 ブッキは厨房から、豚まんの粉を入れる大きい布袋を二枚引っ張り出した。

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 クヌギのちょっと丸いドングリやら、コナラ、ミズナラ、カシワ、カシの仲間、シイの仲間…。いろいろな木があるから、いろいろな形のドングリがある。小さい山栗も山のように落ちている。ブッキは足を傷つけないように、イガから器用に実を取り出した。
 そういう木の実をどんどん布袋に入れて、ズルズル引きずりながら、ぶつくさ文句をいいながら、どんどん行くと、落ち葉がきれいに片づいた、まっすぐな道がにたどりついた。
 ふと顔を上げるとそこはタカンダ町への入り口で、そんな所まで下りて来てしまっていた。そのあたりの木々はまだ緑が生き生きとしている。
「ったく、この山を登るのはまた一苦労だ。おまけに重たいこのドングリの袋! ああ、まったくついてないや、オレは…」
 タカンダ町の入り口には、甘くなんともいえない香りが漂っていた。それはキタヤマあたりではあまりなじみのない匂いだった。
 大きな屋敷に沿って、オレンジ色の小さい花をつけた木が並んでいて、それがぐるりと屋敷を囲んで塀のようになっていた。タカンダ町ではまだ紅葉は始まっていなくて、木の緑が濃く重なっている。匂いはその木の花から漂っている。
「あら、ブッキめずらしいわね。こんな所まで来るなんて」 
 やぎのメイ子が道を掃除しており、道に落ちたオレンジ色の小さい花が集められていた。マチカネ坂までのきれいな道は、メイ子が掃除したらしい。
「ここ、おまえんち?」
 と聞くと、メイ子はこくんとうなずいた。
「これなに?」
と、ブッキはオレンジ色の花を指さして聞いた。
「キンモクセイ。じいちゃんのじいちゃんがね、どこかから枝をもらってきて育てたって話」
「ふうん」
 メイ子は、ブッキの引っ張っている大きな布袋を見て、不思議そうに首を傾げた。
「それなに?」
「道に落ちてたごみさ」
「ふうん。ブッキも掃除してたのね」
 それには答えず、ブッキは集まった花をじっと見つめていた。
「そのゴミもオレ、持っていってやるよ。よこしな」
 メイ子はぽかんと口を開けた。
「ほら」
 ブッキはもう一つ、白衣のポケットにつっこんであった布袋をメイ子の目の前に差し出した。
「え?」
 ぽかんと立ちつくしているメイ子を尻目に、ブッキは花びらのくずを袋に詰め始めた。

めいこ (C).png

「こんどまんじゅうが欲しかったらな。この花持って来な。換えてやるよ」
 ブッキはこの花の匂いでぴんときた。そしてこれを使って試してみたくてたまらなくなっていた。メイ子がぽかんとしているまま、くるりと背を向けると、ずるずると大きい袋を二つ引きずって、さっさとマチカネ坂を上り始めた。
「ねえ! ブッキ! 手伝おうか!」
 メイ子が後ろから呼びかけても振り向きもせず、ブッキはどんどん坂を上って行った。
「ちぇっ! まったく、こんな花見つけなけりゃ、袋は一つですんだのに! オレはまったくどうしようもない! 自分でやっかいを拾って来る。そんなブタさ!」
 一歩一歩に恨みを込めて、ブッキは店に急いだ。まだ明るいけれど、昼ほどの陽の強さはない。
「これじゃ、日に干せねえな」
 ブッキはブツブツと言いながらも、あれこれ考えに考えていたのだ。キンモクセイの花はもうしおれて落ちたものだから、日に干してパリパリにしようかと。
「まったく…。すぐにやってみたくてたまんねえ。明日まで待てねえ! まったくオレはついてないよ」
 厨房の広い調理台の上に、ブッキは花をぶちまけた。甘い良い香りがぷーんと漂う。花の中には枯れ葉もだいぶ混じっている。それをていねいに分けていく。
「まったく、メイ子はだらしねえな。こんなの一緒になんでもかんでも集めやがって」
 頼んでやってもらったわけではないのだから、しょうがない。でも、そんなふうに、何でもかんでもほかの動物のせいにして文句を言う、ブッキはそんなブタなのだ。
 台の上にきれいに枯れ葉の山と花の山ができた。
 ブッキは大きなフライパンを出すと、花をから煎りしていった。あまい香りに、香ばしい香りが加わっていく。そうして、それを冷たい石の台の上に広げて冷ましてゆく。
「こうしておけばな、花を取りにいかなくてもしばらくは使えるからな」


からいり (C).png 

ブッキは得意げにオヤジの写真の方を見上げた。
 今、オヤジが生きていたら…。ブッキがいろいろ考えついたとしても、オヤジには決してブッキは何も言わなかっただろう。
「もうなんだって、オレの好きなとおりにできる。オヤジに文句も言われずにな」
 そう思って胸を張ろうと思ったが、なんだか寂しい気がする。そんな気持ちを振り払うように、今度はドングリの袋を板の台の上にぶちまけた。
 枯れ葉も山栗も混じっている。それをていねいに分けていく。
 小分けにしたドングリの山が十山ほど、山栗の山が十ほどできた。枯れ葉の大きい山も一山できた。
 まずブッキはドングリを粉ひきの石臼で殻ごとひいてみた。こげ茶の殻も混じったどんぐり粉ができていった。
 山栗の方はまんじゅうを蒸すせいろにざらざらと入れて、蒸し始める。
「ほらな。こういうのは見てわかるんだ。何をどうやったら、どんなふうになるかっていうのはね」
 実際、ブッキの頭の中には、次に何をどうするかということが、順々に並んでいくのだ。それをその順序に試したくて、うずうずしてくるのだ。
 ブッキはできたドングリ粉を手で触ってみた。ちょっと湿っていて、ぼてぼてしている。
 ブッキは豚まんじゅうの粉が入っている棚を見上げた。今年の夏、いつもと違ったまんじゅうを作ったせいか、作りすぎたのか、いつもの年よりも豚まんじゅうの粉が減ってきている。
 小麦はいつも春にまいて、取り入れる。冬用の小麦の種類もあるらしいが、今までは一年に一度しか収穫していなかった。
「この粉も使って作ればな、まんじゅう粉の節約になるぞ。まだまだ作れるぞ! なんたって、どんぐりも山栗もまだまだ山の道にいやというほど落ちてるんだからな」
 ドングリ粉とまんじゅうの粉を半分ずつにして、いつもの要領で恨みを込めながら、こねて、こねて、こねればいいだろう。
 山栗は皮を取り、つぶしていく。そして枯れ葉はから煎りして、粉々にしていった。これも香ばしい匂いがしてくる。枯れ葉のフレークはできあがったまんじゅうの皮の外側にまぶすつもりだった。
 外側の枯れ葉は香ばしく、少し固めでサクサクする。その内側はただの白まんじゅうよりはぼってりしていて、モサモサとした歯触りの新しいまんじゅうになるだろう。
 ブッキには、何をどれくらい混ぜたらいいのか、手で触ればなんとなくわかってくる。それがどんな口あたりになるのかも、食べる前からだいたい想像がつく。なぜわかるのかはわからない。今までもまんじゅうをこねていると自然に頭に浮かんできていたのだ。
 ふうっと息をついて、ブッキの手が止まったとき、もう外には星が輝いていた。
「ちぇっ! いつもこんなだ! 働いて働いて、気がつくともう夜。ほかになーんにもできやしねえ。夕飯さえ、食ってねえ」
 ブッキは自分の腹をさすった。
「栗を蒸して、味見しただけだ。それだけだから、何も食ってないってわけじゃない。そうだろ、オヤジ?」
 ブッキは恨めしそうにオヤジの写真を見た。オヤジはいつものように難しい顔で、じっとブッキを見下ろしていた。





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1.夏のはじめ ③ [豚田豚饅頭店]

店 (C).png

 ブッキは厨房の方から外へ出て、店のようすを外から確かめた。
 外はぼんやり晴れていて、霧のようなもやのようなのがたちこめている。太陽ははっきり見えず、身体に湿気がまとわりついてくる。
 店は豚まんを売るだけの窓口になっている。その窓の上には『豚田豚饅頭店』という看板がかかっている。ただの木の板に、オヤジが太い筆で書いた文字だ。
 その看板には朝方まで降っていた雨がたまっていて、まだぽたぽたとしずくがしたたり落ちていた。
 ブッキが立っている場所から、屋根の上は見えないけれど、まんじゅうを蒸かす白い湯気が、家中からモクモクと出ている。それはちょうど同じような色のどんよりした空に、どんどん溶け込んで行く。
「開けたのね!」
 ブッキの背中からうれしそうな声が聞こえた。
 それは、ニワトリの鳥持恵子ばあさんだった。だんなさんの甚三郎じいさんが毎朝一番に鳴くので、ケイコばあさんはその前に起きなければならない。だからいつも朝は早すぎるくらい早いのだ。
「おたくの店のほうからね、モクモク、この白いのが出ているとね、すぐわかるのさ。店を開けたなってね。いつ作り始めるのかなって、いつも気にしていたよ!」
 ケイコばあさんは、かっぽう着の袖から、ケケケと羽根を羽ばたかせて、うれしそうに言った。
 キタヤマの登り口にある、豚田豚饅頭店は、店の全景こそタカンダ町からは見えないけれど、モクモクと上がる湯気だけはしっかり見えるのだ。
「ほら、キタヤマがブツブツ文句を言い始めたぞ!」
 湯気が見えると、タカンダ町の者はみんなでそんなふうに言っている。それが豚まんを作り出した合図。豚まんが買えるという合図になるのだった。
 ケイコばあさんの後ろからは、ヤギの八木田栄じいさんやら、ウシの牛野権蔵おやじなど、タカンダ町の動物たちがぞくぞくとやってきていた。
 ブッキは、目を丸くして、
「まったく、ゆげが出りゃあ買いに来る! だれに言ったわけでもないのに…」
 と口の中でモゴモゴ言いながら厨房に戻った。
 まだまだ動物はマチカネ坂を上って来ている。ブッキが学校で一緒だったウサギの兎野羽ちゃん、そのほかにもにも象野大介、犀玉角次郎、河馬穴次のそれぞれの母さん。ダイスケ、ツノジロウ、アナジはやっぱり学校に通った時期が一緒で、タカンダ町でもいちばん図体の大きいやつらで、もちろん母さんたちも重量級だった。クマの熊田深夫は自分で買いに来ている。こいつも重量級だ。

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 だいたいはいつもの客だから顔は知れているが、名前のわからない動物もまだまだたくさん並んでいた。
「まんじゅう三つね。ほら、うちのたまごと交換しておくれ」
 一番のりのケイコばあさんは、いつでも卵を持ってくる。
 ほんとうは、一つ1動物銭なのだけれど、ケイコばあさんからはお金をもらったことがない。そんなふうに、物とやりとりすることもしばしばあった。
「しょうがない、しょうがない。金がありすぎたって、しょうがない…」
 ブッキはニコリともしないで、オヤジと同じ文句をブツブツ口のなかで唱えると、豚まん三個を竹の皮に包んだ。じっさい、ここに住んでまんじゅうを作っているだけのブッキには、お金を使う必要もあまりなかったのだ。
「あーあ、いい匂い。どうもありがと」
 とケイコばあさんはうれしそうに言った。
 この店では、お客の方が礼を言う。ブッキはわかるかわからないくらい、首をちょっとコックリしただけ。これもオヤジとそっくりそのままの仕草だった。
 ダイスケの母さんのダイコの番が来た。
「うちは三十個お願いね」
 ブッキはしぶい顔をする。
「だめだめ、ここで売り切れになったら後ろに並んでいるお客が、なんのために坂を上って並んだかわかりゃしない。まんじゅうは一人、十個まで!」
 これまたオヤジが言っていたそのままの言い方だった。
「やっぱり、ブツノスケさんの時と同じなのね。十個なんかダイスケ一人で食べてしまうわ」
「奥さん、じゃあ、ダイスケにも買い物に来させるんだね。二人で来れば、十個ずつわけてやるさ」
 オヤジのそばで耳に入ってきていた文句とそっくり同じ文句が、すらすらと口から出てきて、ブーと鼻を鳴らすのまでそっくりだった。
 この行列だから、つぎつぎと豚まんは売れていった。
 ずいぶんたくさん作ることができたと思ったが…。昼が来る少し前に、豚まんはもうすっかりなくなりそうだった。 最後の客、ネコの猫柳小太郎にはちょうど二つしか残っていなかった。
 そのコタロウが帰りぎわに、おおっと声をあげた。
「虹だ! 虹が出てるぞ!」
 コタロウはイヌの犬餅斑乃信博士の開いている動物中央研究所で助手をしている。そのせいなのかどうか、いつも周りをきょろきょろうかがっていて、いろいろな物によく気がつくのだ。
 ブッキが窓から首を出すと、広い空がいつの間にか晴れわたっていて、そこに三重にも虹がかかっていた。太陽の一番外側の虹は、もう薄ぼんやり消えかけている。
「ふうん…。虹なんて見たって、腹の足しにもなりゃしない」
 ブッキはつまらなそうに、言いながら、窓を閉め始めた。
「ちょっと待って!」
 そこに駆けつけて来たのは、朝早くに並んで買っていった兎野羽だった。ハネはホッホと息を弾ませながら言った。
「ブッキ! なんかね、今日の豚まんは味が違ってたよ」
 ブッキは、むっとした。
「そんなの、あたりまえだろう! オヤジが作ってるのとは違う。違うブタが作ってるんだから味だって違うさ」
「そういうことじゃなくてさ。別にまずいとか、そういうんじゃなくてさ。ちょっとゆううつになる味だったよ…。それでいてさ、嫌いっていうのとも違うのさ」
 ブッキはますますむっとした。
「そんなの、おまえの気分だろうが」
 ハネとはとくに仲良くはなかったけれど、仲が悪いというわけでもなかった。まあ、ブッキにはそんな友達しかいなかったのだのだけど…。
「なんかさ、雨が続いていて、外に出たいけど出られないなー、ってそんな味」
 ブッキはピンときた。あの、長雨の水のせいだ!
 でも、そんな様子はちらりとも見せず、ブッキはそっぽを向いた。ブッキとはそういうブタなのだ。そして、うんと顔をしかめてからハネの方にゆっくりと振り向いて、ハネの顔を下の方からじろりと見た。
「なんで、そんなことわざわざ言いに来るんだよ! もし、嫌いだったら、明日から買いに来なければいい。うちはちっとも困らない!」
 ハネは、ちょっと不服そうに口をとんがらせて、
「ただ、ちょっと言っておきたかっただけ。だって、何かが足りなくて、何かを足せば忘れられない味になるって感じだったから…」
「そんなこと、オレに言ってどうするんだよ」
「別に。ただ、そこを足して、忘れられない味だったら、もっと食べてみたい…、ってそう思っただけよ」
 ハネはそれだけ言うと、ブッキにくるりと背を向けると、走って行ってしまった。
「ちぇっ、くそ面白くもない。そんなこと言いに来て、何だっていうんだ…。自分で作ってみろよ」
 ブッキは、ハネの後ろ姿に向かって吐き捨てるように言った。そう言いながらも、なんとなくハネの言葉は心に残り、それがよけいにしゃくにさわった。
 ハネの家はたしかニシヤマの方で、タカンダ町の西のはずれ、ミミカタ町だ。ニシヤマを上って向こう側に降りた方にウサギ団地があると聞いている。そんな遠くから、わざわざブッキに味のことを伝えるためにやってきたわけだ。
「だいたいあいつは、いつもそうなんだ。よけいなことばかり言って、相手をいやな気持ちにさせる。そんなウサギさ」
 ブッキはそんな文句を言いながら、店をざっと片づけ始めた。気持ちが焦っていた。晴れているうちにキタヤマの泉をくみに行きたい。ブッキは荷車に空の水瓶を積んでいった。
「ちぇっ、これは別にハネに言われたからじゃないぞ。ただ水がなくちゃ豚まんが作れない。オレにはほかにできることがない。だから水を取りに行くんだ」
 ゴロゴロと荷車を引きながらも、ブッキはブツブツ、ハネについての文句を並べ立てていた。
 泉に続く道には、今はあじさいがずっと並んで咲いていた。花は満開で、重なるように競うようにこちらを向いている。
 日陰になっているところでは、まだ雨のしずくがしたたっていて、それがあじさいの花びらにしっとりとなじんで、きらきらと木漏れ日を反射させている。
「くそ面白くもない」
 と言いながら、ブッキはあじさいの花の中に佇んだ。
 長雨はゆううつだけど、あじさいはその長雨にもっとも似合っている花だ。花が長雨を引き立てている。
 ブッキはピンとひらめいた。
 泉から水をくんでの帰り道、ブッキは道ばたに荷車を止めて、あじさいの花を摘みはじめた。それを水瓶の中に一本ずつ差していく。花は大きく、花びらが厚くつやつやとしているのを、ていねいに選ぶ。
 こんなによくあじさいの花を見るのは初めてのことだった。一つの株の固まりごとにいくつもの色がある。白い色から、うすい青、濃い青、紫、うすもも色から、こいもも色まで。抱えるほどのあじさいを取って、瓶に活けてみた。荷車の上にはたくさんの花瓶を積んでいるように、どの水瓶にもあじさいがあふれるほどになった。
 でも、それだけ摘んでも道に咲いているあじさいはちっともなくならない。それくらい花はたくさん咲いていた。
「せっかくあるんだからな、使わななくちゃな」
 ブッキはニコリともせずに、あじさいを右に左に揺らしながら、モクモクと荷車を引き、店への道を急いだ。

あじさい (C).png

「ブッキ!」
 そのブッキの前に急に女の子が立ちはだかった。
 八木田栄じいさんの孫の八木田明子だった。
「メイコ…」
 と、ブッキはぼそっと言った。
「さっき、白まんじゅうを食べたよ。おじいちゃんが買ってきた豚まん。おいしかったけど、なんかちょっと、はっきりしない気分になった…。でも、一人で作ってるんだもん、すごいよ! やめないでね」
 と、メイコはヤギミルクのはいったビンを差し出した。
「あのね。じいちゃんが持って行けって。これ使ってね」
 そう言うと、メイコは走って行ってしまった。
「ったく、なんだ、あいつは?」
 ブッキは困った顔でミルクを見つめた。
「べつに、あいつのためにまんじゅう作ってるわけじゃないぞ。オレはほかに何もできない。しょうがないからやってるだけだ。ったく、ほかに何かありゃ、もっと楽しいことやってるさ」
 帰り道のをノロノロと荷車を引きながら、ずうっとブッキはメイコへの繰り言をとなえていた。
「まったくあいつはいつもそうなんだ。勝手に解釈して相手の気持ちを決めつける。そういうヤギさ」
 ヤギミルクは濃厚で、甘いクリームにするととろりとこくのある味になる。
 オヤジはそのトロリとしたクリームをなめながら、いつも文句を言っていたっけ「甘いだけで取り柄もない」と。
 ブッキは、同じように文句を言いながらクリームを煮詰めてみた。

 次の朝は、また長雨の続きだった。
「ふん」
 と、ブッキは鼻を鳴らした。
「あれだけ水取ってきたからな、しばらくは大丈夫だ。それに…」
 ブッキは空になっていた水瓶を外に出した。
「オレはケチだからな、この雨水だって使ってやる。どうせ長雨の間はあきもせず雨が降るばかりだ。なんの楽しみもないんだからな…」
 その日の朝、今までにないまんじゅうが店を飾った。
 『長雨虹まんじゅう』とブッキは名前をつけて、それを大きく板に書いて『1動物銭 交換もできます』と少し小さい字で名前のとなりに書いて、店頭に飾った。
 あじさいの花をすりつぶして、裏ごしし、やぎミルクで作ったクリームを甘くして味をつけたあんが中に入っている。まんじゅうは長雨の水半分、泉の水半分でこねたが、蒸かす水は全部長雨の水にした。
 そのほかに、いろいろな色のあじさいの花ひとつずつをバラバラにして、素揚げにして用意した。蒸かす前のまんじゅうに七つずつ差していく。花はまんじゅうの生地に埋まって蒸し上がる。
 ゆげを立てているまんじゅうはあじさいの花が咲いているように見えた。そのまんじゅうをふたつに割ると、ふんわりまろやかな甘い香りがする。そして、いろいろな色が混じって、複雑な味わいを出す。
 ブッキは半分自分で味見して、半分はオヤジの写真の横に置いてみた。
「こんなもんかな」
 ブッキは右側の口の端を少しあげた。それはブッキにとってはちょっとうれしい、ということだった。
 オヤジは豚まんの中に何かを入れる、ということをまったく考えていなかった。でも、ブッキはいつも思っていた。まんじゅうの中に何かを入れてみたいと。
 ブッキがまだ小さくて明るくて、いつも楽しいものを探していた頃、ふっとオヤジに言ってみたことがある。「ねえ、オヤジ、まんじゅうの中に何か入れてみようよ」と。それはすごく楽しい、輝くような考えに思えたのだ。
 そうしたら、オヤジの顔には炎が燃え上がるように怒りが燃え上がって、恐ろしい赤黒い色になった。そして爆発した。
「バカヤロー! うちのまんじゅうは中に何も入ってないからおいしいんだ!」
 それから三日も口をきいてはくれなかった。ブッキは世界の端っこに追いやられたように感じた。ブツブツ文句でもいいから、オヤジに話しかけてもらいたいと思った。そして思った。まんじゅうの中に何か入れるなんてバカな考えは、二度と思うのはやめようと。
「ふん、オヤジ、写真の中じゃ文句が言えなくてくやしいだろ。オレは、オレのやりかたもやってみる。だって白まんじゅうばかりじゃあ、オレはつまんないもんな。やりたいことが自然に頭に浮かんでくるんだ。しょうがないからやるだけさ」
 その日もまず一番先に駆けつけたのは、やっぱりケイコばあさんだった。
「昨日のね、あんたの最初のまんじゅうにしてはまずまず、おいしかったよ。若いんだものこれからだよ」
 (それは、オレが若くて、どうしようもないってことじゃないのか?)ブッキは少しむっとした。
 そして、ケイコばあさんがキラリと目を光らせた。
「あららら、この長雨虹まんじゅうって…。新しいんだね。へええ。あんたが考えたのかい? まるであじさいの花みたい! いいじゃないか! それも入れておくれよ」
「ちぇっ、図々しい」
 と、聞こえないような小さい声でブッキは文句を言った。文句を言うタイミングは父親譲りの絶妙の間。くるりと客に背を向けた瞬間だから文句は客には聞こえない。
 けっきょく、ケイコばあさんはいつものように、三個のたまごを置いて行っただけだった。そして動物の列がまたすぐにできて、いつもの白まんじゅうも長雨虹まんじゅうも、あっという間に売れてしまった。
「ちぇっ、二つの種類だから昨日の夜は倍も働いたのにな。もうなくなった。雨だっていうのに、みんな、よくこんな所まで買いに来るよ」
 ブッキは降り続く雨をじっと見つめた。
 厨房の戸を閉めようとしているところに、またハネがやって来た。
「あの…。長雨虹まんじゅうね。すごくおいしかった。雨が降ったら必ず思い出す味。忘れられない味。雨の日が好きになる味だね」
 ブッキがいつものむっつり顔で黙っていると、
「それに…、長雨虹まんじゅうって、ステキな名前だと思うよ」
 ハネは、恥ずかしそうにそれだけ言うと、さっと走って行ってしまった。
 その後ろ姿をブッキはあきれるように見つめた。
「ほーんと、ヒマなんだな。ニシヤマから、そんなこと言うだけにやってくるなんて。ほかになんにもすることはないんだ…。豚まんを食べるくらいしか…。まんじゅうの名前だって、ただそのままつけただけなのに…」
 その夏、長雨虹まんじゅうは売れ続けた。
 ブッキは水瓶の中の水を絶やさず、その中にあじさいをいつもいっぱい活けて、長雨の終わった夏にも花と水が無くなるまで、このまんじゅうを作った。
 夏の盛を下るころ、ブッキが長雨虹まんじゅうの看板をしまった。
「おやおや、もうおしまいかい。今年の長雨はなんだか終わるのが惜しいようだったね」
 看板をしまった日も、最初の客はケイコばあさんで、ばあさんは、しんみりとそういった。
「もう、一人でも店はだいじょうぶだね」
「最初から、だいじょうぶだったんだ…」
 ブッキは、また絶妙の調子で文句を言う。お客の耳には届かない文句。そのタイミングはバッチリだった。

注意;このお話しの中に出てくる豚まんじゅうは、動物界の動物に適した食べ物で、人間の食用には適していません。作ったとしても、決して食べないで下さい。


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