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捨てる写真④ 私(1)誕生 [古い記憶の整理]

とうとう私が産まれました[exclamation×2]

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息子が産まれた時も、この桶を使いました。

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たぶん新宿御苑。
母とフミコおばさんと行ったようです。

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フミコおばさん、日本髪を結っています。


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どこだろう?
母の実家かな??

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左後ろに三味線があるところを見ると、
ぺんぺんの部屋のようです。
ぺんぺんは結婚しなかったので、亡くなるまで母の実家で暮らしました。
お弟子さんが通って来ていたので、玄関からすぐに入れる部屋でした。

私はぺんぺんの膝の上。
なんか、こわ~~い。
ぺんぺんって、どえらく気が強くて
「あたしゃ巳年だから、執念深い」
と自分で言っていました。
「こんちくしょう」
とかよく言っていたけれど、そういう言葉がよく似合う人でした。
憎しみをエネルギーに変換していたような人です。

ぺんぺんが子どもの頃、曾祖母がぺんぺんに
「あんたは橋の下で拾って来たんだよ」
と言ったそうで、そのことをず~~~っと恨みに思っていて
「だから、あたしは本当の子供じゃないんだよ」
という話を何度も聞きました。
「三つ子の魂百までというから、下手なこと言うと子供は覚えているんだよ」
とも。
でも、曾祖母の優しそうに笑っている大きな写真をずっと飾っていました。

キャベツの芯が好きだったり
腐ったみかんが好きだったり
湿気た瓦せんべいが好きだったり
そういう自分の変わった好みが自慢だった感じです。

おいしい物を見つけてくると、しばらくそれに凝って、いろいろ教えてくれました。
私もいろいろ見つけては持って行くのが楽しみでした。

日本茶を淹れるのが上手で、
長火鉢の上にいつも鉄瓶がかかっていて、
とろとろの玉露を淹れてくれました。
「お茶は淹れ方だ」
と自負していて、安いお茶でもおいしく淹れられると言っていました。
実際、本当においしいお茶を飲んで育ちました。

台所には大きいヤカンがあって
いつも煮出した番茶が入っていました。
母が赤ん坊の私を実家に預けて行くと、私は哺乳瓶で番茶を飲んでいたそうです。

大人になるまで、ケーキを食べる時も私は日本茶を淹れていました。
今は紅茶派になってしまいましたが[たらーっ(汗)]

真ん中の人は、ぺんぺんのお弟子さんのおしのやさんです。

(2)に続く


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