捨てる写真③ 両親(3)結婚後 [古い記憶の整理]
父方の祖父と母
横浜のお姉さんと母
父の弟(兄弟姉妹の末っ子)あーちゃん
父は何をするにもこの叔父さんといつも一緒でした。
見た目は父より年をとっているように見えました。
父より先に亡くなりました。
父方の家族との写真
一番右上に父がいるようですが、顔が半分切れています。
左上の端は祖父ですかね?
これはばっさりと切れています
すごいピンボケですが、
直す前の実家の玄関先だと思われます。
たしか、この古い家ごと父方の祖父が買ってくれたのだと言っていました。
私が小学校の低学年くらいの時に、新しい家に建て替えられました。
あーちゃん、父方の祖母が写っています。
祖母の前にいるのは、従兄弟だと思われます。
上に載せた家族の集合写真を見ると
母が結婚した時点で、父の長兄にはもう3人の子供がいたわけです。
祖母が連れているのは一番下の男の子でしょう。
ということは、たぶんユウちゃんという従兄弟です。
私が小学校に上がるか、小学校の低学年くらいまでは
父の実家に遊びに行くことがありました。
従姉妹、従兄弟の中で数人私と遊べるくらいの年代の子がいました。
私はどういうわけか、その中ではリーダー格で、
なんだかお話を作って、皆に役を与え、私がお話の主人公を演じていました。
だいたいが悲劇のヒーローで、悪役にさんざんなぶりものにされた挙句
(具体的にはみぐるみはがされて、丸坊主にされ、身体の皮も全部はがされる)
川とか海に流される、というストーリーなんですけど…
幼稚園や小学校ではほとんど物もしゃべらないような静かな子だったのに
なんで、ここで急に演出家的なことをやっていたのか?????
倒錯した子どもですね
その時、私の劇に付き合わされた皆の乗り気ではない雰囲気をすごく鮮明に覚えています。
(その当時、母方の実家の本屋さんに「赤胴鈴之助」のマンガ全集のようなのがそろっていて、
ストーリーなんかほとんど覚えていないのですが
お姫様がさらわれて、坊主にされてしまう、という回が
子供心にやけに心に残り、このお話だけ繰り返し読んでいました。
その影響が大きいと思われます)
長兄にはもう一人、私と同じ年代の娘ができて、
モトミちゃんと言いました。
私が遊びに行くと、モトミちゃんはオープンサンドとか自分で作って
外で食べることがあり、それがやけにおいしく感じたのですよね。
特に覚えているのは、お砂糖のオープンサンドです。
焼いていないパンにバターが塗ってあって、ただそこにお砂糖がまぶしてあるだけでした。
(オープンサンドって言うと、しゃれて聞こえますね)
実家では、父が
「お砂糖は調理しないで食べてはいけない」
といつも言っていました。
「お砂糖の中には、身体の中から身体の内臓を全部食べつくす虫が入っていることがある」
と言うのですよね。
それは、子ども心にはすごく怖いことだったから、
「これ食べて大丈夫かな」
と思いながら食べたせいなのか???
禁断のおいしさ的な魅惑的な食べ物に思えました。
父はこのお墓を継いだのですね。
その後、墓石を据え変えています。
(4)に続く
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