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4.春 ② [豚田豚饅頭店]


 ブッキはずらりと並んだお客の列を反対側から見て、マチカネ坂を下って行った。こんなことは初めてだった。
「あらら! ブッキ! どうしたの!」
 といろいろな動物が声をかけてくる。
「冬はありがとう! 雪解け宝石まんじゅうはヒットだったね!」
 とハネ。
「ヒットはそれだけじゃないだろ! どのまんじゅうもおいしかったはずだ!」
「やあ、ブッキいいね。手伝いのブタがいると自由な時間ができて!」
 ウシのゴンゾウおやじがのっそりと話しかける。
「こっちの気も知らないで、まったく勝手なことを言うウシさ!」
 列を下る間、ブッキはなるたけ誰とも目を合わさず、下を向き、口の中ではぶつくさと文句を言っている。そんなブッキにみんなはつぎつぎと声をかける。
「やあ、おはよう!」
「いい天気だね」
「いい季節だね!」
 ブッキはもっともっと不機嫌になり、坂を下る足取りもどんどん速くなって行った。
「だいたい、なんでオレが見に行くんだ! そんなことヒマなやつのすることだろう!」
 とつぶやき、
「ちぇっ! 今日はあのおせっかいなブタ二人に店をやらせるって言ったからな。ヒマなんだ! しょうがないだろ!」
 動物たちのあいさつが聞こえないように、自分の文句に集中した。そしてタカンダ町の入り口にまでたどり着いた。
 さっきの音が、ひときわ音大きく聞こえた。
 べ・べ・べべべ・ベッコーン!
 いったいどっちの方から音がするのだろうか。
 ブッキが立ち止まり周りを眺めていると、ネコのコタロウがやってきた。
「あらら、ブッキさん! どうしたんです! わたし、これからまんじゅうを買いに行くところなんです」
 きっと、コタロウならこの音に気づかないはずはない。
「あの、変な音なんだけど…」
 すると、コタロウがネコの目をくるくると輝かせて
「ああ、あれはケンモチ博士の所ですよ! アナジ君がね、変なくしゃみが出るようになって、止まらないってことで、博士の所に相談に見えているんです」
 一気に音の謎が解けてしまい、たじろいでいるブッキにコタロウが言った。
「まさか、まんじゅうはまだ売り切れていないですよね?」
 ブッキは答える気にもならずに、鼻をブーと鳴らした。
 それが答えになったのかどうか
「ああ良かった!」
 と、コタロウは走ってマチカネ坂の方に向かって行った。
 さて、どうしたものだろう。ヒマなのだから見に行った方が良いだろうか。それともこのまま引き返すべきだろうか。
 ベベベ・ベッコーン!
 迷っていると、またその音が聞こえ…、ブッキはやはり研究所の方に歩き始めた。
 音がくしゃみのものだという謎は解けたが、くしゃみがなぜ出るかという謎はまだ解けていないとうことだし。
「だから、なんだっていうんだ!」
 と言いながらも、ブッキは小走りになっていた。
 研究所に近くなると、またさらにくしゃみの音は大きくなった。耳が張り裂けそうになる。ブッキは耳を塞ぎ、おそるおそる研究所の窓に忍び寄った。
 研究所の窓から中をのぞくと、大きな身体の河馬穴次が、寝椅子に仰向けになっていて、犬餅斑乃信博士がヘルメットをかぶり、水中めがねのようなのをかけて、マスクをしてアナジの腹の上にのぼり、アナジのシャツにしがみついていた。
「やれやれ、あと少しなんだが、すごい強風で近づけんな」
 ケンモチ博士は身体を縄でしばって、その縄の先は柱に縛り付けてある。その様子はあまりにもマヌケだった。
 ブッキは窓からのぞきながら、笑いがこみあげてくるのを隠せなかった。
「くくくくく…」

研究所 (C).png


 と、その気配に気が付いて、ケンモチ博士がブッキのほうを見て
「これは、これはブッキ! ようこそいらっしゃいました。さ、どうぞお入りください」
 とアナジの腹の上でブッキを中に招き入れた、と同時にまた
 べ・べ・ベッコーン!
 という強烈な一発。
 ケンモチ博士はアナジの腹から滑り落ち、水中めがねはアナジの鼻水や涙などででべっとりとぬれていた。
 研究所のドアを開けた時にこの一発を食らったブッキは、あわててドアにしがみつき、ドアといっしょにバタバタと風のあおりを受ける始末だった。
「いやあ、ブッキ。ちょうどいいところに来てくれました。お手伝いいただけますかな? コタロウのやつが、まんじゅうが気になって、途中で仕事をほっぽり出して出かけてしまいまして…」
 今まで笑いがこみ上げていたブッキの表情が一瞬曇った。
「オ、オレが…」
「なにね、後ろからこう、私を支えていただきたいのです。なにね、もう原因はわかっているんです。それを取りのぞくまであと一歩なんですが、このくしゃみの強風で近づけないんです。コタロウは爪を立てるからねえ。アナジ君がいやがるし…」
「まったく、オレはついてねえ。ゆっくりキタヤマで草の芽摘んでりゃあ良かったものを」
 ブッキは口の中でブツブツと言葉をかみ殺した。
 ケンモチ博士はブッキの分の軍手、ヘルメット、水中めがね、マスクを用意して、ブッキの身体もていねいに縄で縛って、反対側の端は柱にしっかりと結びつけた。
 博士の後ろからブッキが一緒にアナジの腹に上り、博士の身体を支えることになった。
 やっと、よじ登ったところでまた強烈な一発。
 べ・べ・ベッコーン!
 アナジの鼻から直接受けるくしゃみは、それはすごかった。だが、腹にしがみついたブッキはびくともしなかった。ブッキの手は、しっかりとアナジの腹の脇を捕まえて、離れなかった。まんじゅうをこねて、こねて、こねてきた手だ。ブッキの知らないうちに、強くしなやかに、つかむ力が強くなっていたようだ。
「いいですぞ、ブッキ。落とされなくてすんだ! よじ登る時間が短縮された分、鼻に近づけます」
 と、くしゃみの直後にアナジの鼻の穴に近づき、鼻の中をのぞいた博士は、ピンセットで何やら鼻の穴から取り出して、
「やった! やりました!」
 と、歓声を上げて、アナジの腹から飛び降り、その直後にアナジは最後の最大級の一発。
 べ・べ・ベッコーン!
 を発して…。それからは、落ち着いてしまった。
「いやあ、いやあ、助かりました。やっぱりこれはコタロウには無理な作業でしたな」
 と、博士がブッキの目の前に差し出したのは、小さい小さい、タンポポの種一つだった。
 アナジは力が抜けたのか、情けない声を出した。
「あー、良かったよぉ。オレ、変な病気かと思った! もう、ハルミちゃんに会えないかと思った!」
 アナジは大粒の涙をぽろぽろと流して泣き始めた。
 ブッキは言葉もなく、二人を交互に見比べた。
「この、種に行き着くまでが、一苦労でした」
 博士の話によると、アナジのこの奇妙なくしゃみの原因をさぐるために、昨日のアナジの行動を一緒にたどったのだという。
「まず、怪しいのは、河馬家のすぐ前にあるあの池でして…。アナジがあそこで朝、水浴びしたというので、その水質を調べました。なにか新しい病原菌か、苔、藻の一種が原因かと直感しましたんでね」
 ブッキが聞きもしないのに、博士は得意げにその様子を話し出した。
「ちぇっ! 原因が違ってたんなら、直感ってこともないんじゃないか」
 ブッキは、もちろん博士には聞こえないように口の中でつぶやいた。
「ははは。確かに直感とは言えませんでしたな!」
 博士が笑い、ブッキはぞっとした。イヌの耳というのはたいしたものである。ブッキの押し殺した文句を聞き分けるとは。ブッキはとっさにあいまいな笑いを返した。
「次に向かったのが、ヒロッパラの野原です。ここで何をしたと思います?」
 と博士が言うや、アナジが顔を真っ赤にして
「オレ、こんなことになるとは、思ってなかった! この間まではタンポポが黄色で、かわいかったんだ! だからハルミちゃんに毎日花を摘んで持って行ってたんだ!」
 先ほどから話に出てくるハルミちゃんとは、ブッキも同じ頃に学校に通った、河馬の大口春美のことであるらしい。
「ところがです。野原は昨日からこのタンポポがいっせいに綿毛になっておりましてな。それを摘んだというわけなんです」
「だってえ。全部が銀色に見えて綺麗だから、ハルミちゃんも喜ぶと思ったんだよ」
 ブッキには、さっぱり何のことかわからなかった。
「つまりです。たんぽぽの綿毛を両手にかかえて、アナジがスキップしてハルミちゃんの家にたどり着く頃には、綿毛がすっかり飛ばされておりまして、そのいくつかはアナジが鼻の穴に吸い込んでいた! そしてその中の一つが、アナジの鼻の穴の中にしっかり根を下ろそうとしていた訳なんですよ! ハハハハ!」
 アナジがまたボロボロと泣き出した。
「ハルミちゃんにあげようと花束を差し出したら、丸坊主だ。オレ、うんと恥ずかしかった」
「そして、ハルミちゃんを吹っ飛ばしてしまったんですな?」
「ハルミちゃんは、吹っ飛びはしないけど、後ろに、トトトと下がってしまったんだ」
 ブッキはその様子を想像してみた。ハルミちゃんは大きいから、ケンモチ博士のようには飛ばされないのだろう。その様子がありありと浮かんで、ブッキの腹の中に笑いが込み上げてきていた。
「おっかねえ。オレの鼻ん中にタンポポできたら、来年の春、くしゃみで綿毛がいっぺんに飛び出したぞ!」
 ブッキの頭の中には、またその光景がありありと浮かんだ。マヌケなアナジの鼻の穴から、一度にたくさんの綿毛が勢いよく…。
「ブハハハハハ!」
 こらえきれずにブッキは吹き出した。
 それにつられてアナジも笑い、ケンモチ博士も「ハハハハ」と大声を上げた。
 いったい、こんなに大声を出して笑い転げたことが、今まであっただろうか。それもほかの動物と一緒に! ブッキは涙を浮かべ、心ゆくまでみんなと笑ったのだった。
 アナジは、なんどもケンモチ博士にお礼を言うと、
「ハルミちゃん ハルミちゃん、お花を摘んで行きましょう~♪」
 と、変な節をつけて鼻歌を歌いながら帰って行った。
「いやあ、春ですな」

たんぽぽ (C).png

 その後ろ姿を眺めながらケンモチ博士が、ぽつりとつぶやいた。
 さて、どうしよう。なんだか音につられるままにこの研究所にやってきて、手伝うことになってしまったが…。そろそろ店に帰った方が良い頃合いかもしれない。なんと切り出したら良いのか、言葉を探しているブッキに、ケンモチ博士がまじめな顔をして迫ってきた。
「ブッキさん。私は今日の午後、お宅に伺おうと思っておりました」
「はあ」
 口ごもるブッキにケンモチ博士は椅子を勧め、考えを整理するようにぐるりと目を泳がせて話し始めた。
「実は丸野二久江さんと油子さんのことです」
 ブッキにはなんとなく心を騒がせるものがあった。昔、家から出て行ってしまったという母親と姉のことである。だが、それを口に出すのは恐ろしいことだった。
「前々からニクエさんの方から、あなたに会いたいというお話はあったのです。でもブツノスケさんはがんこでして。絶対に会いたくないということで、いい返事はいただけませんでした」
 ブッキはごくりとつばを飲み込んだ。
「冬にお手伝いをお願いした時も、いい機会だったからなんですが…。ほんとうのことを話したら良いものかどうか、かなり迷いまして、ニクエさんがとにかくようすを見たいということで、お話しませんでしたが…。もうお話ししてもいい頃でしょう…」
 ケンモチ博士はなんだか大げさに咳をコホンとしてから、息を吸い込んだ。
「実は、ニクエさんはあなたのお母さまの妹さんなんです。丸野というのは、豚田家に嫁ぐ前のお母さんの名字です。残念ながら、お母さんは、もう数年前に亡くなっておりますが、ユコさんはあなたの本当のお姉さんです。あなたのお母さんの豚田夢江さんが亡くなった後、ニクエさんが娘として引き取ったそうです」
 ブッキの頭の中は真っ白になった。いつも受け答えをするのが苦手だけれど、こんな時にいったいどういう風にしたら良いのかなんて、もっとわからない。
「ユメエさんは、亡くなるまであなたのことを思って、会いたがっていたそうですよ。わたくしを通して、ブツノスケさんに伝えたことも何度もありました。でも、ブツノスケさんはいつも黙っているだけでして…。ユメエさんが亡くなった時も、あなたには話しませんでしたし、ユコさんにもとうとう会わないままでした」
 ブッキは下を向いた。やっぱり、何も答える言葉は出てこなかった。
「どうします?」
 とケンモチ博士が聞いた。
「いっしょに暮らしますか?」
 ブッキの頭の中は、ますます真っ白になった。
「お二人は、クログロの向こうのシオシオ町に住んでおられるが、もしブッキさんが望めば、タカンダ町に来てもいい、と思っていらっしゃる。もちろん、ブッキさんがイヤじゃなかったらシオシオ町で暮らしても、どちらでもいいということです」
 ブッキは困った。さらに答える言葉は出てこなくなったような気がする。言葉の前にまず考えがまとまらなかった。

 ブッキ
 ブッキ
 かわいい ブッキ
 ゆっくりお眠り、静かにお眠り
 やさしい、たのしい夢をずっと、ずっと見続けておくれ

 夢の中でよみがえった歌は、やはり母親が歌ってくれたものなのだ。ブッキは今、それをはっきりを思い出すことができた。
 言葉なく、うつむくブッキのことをじっとケンモチ博士は見つめていた。
 静かに言葉を待っていられることほど辛いことはない。ブッキはますます下を向き、自分が小さく小さく黒い穴に吸い込まれて行くような錯覚にとらわれた。
「ただいま帰りました!」
 と、コタロウが走って入って来た。
「先生! 今日は特別二個ずつまんじゅうがありますよ!」
 ぴんと張りつめた緊張を切ってくれることは、ありがたい。あたりの空気がまた元のように流れ出すような、ほっとした感じがある。
 ブッキはにっこりと微笑んだ。
「博士! オレ、よくわかんないんです。今、初めて知ったことだし。オレ、今まであんまり動物とつきあうことも苦手だったし」
 ブッキはまったくバカみたいに正直に自分の気持ちを口に出した。
 そうすると、考えもそれにつられてほどけてくるような感じがした。
「もう少し考えます。オレうまく言えないから、二人にはそいうふうに言ってください」 実際、文句ではなくて、ちゃんと説明するように話すことが自分できることが驚きだった。
「春ですもんね」
 コタロウが妙な相づちをうち、またふわっとした笑いがその場を包んだ。

 帰り道、ブッキの頭はもちろん、新しいまんじゅうを試すために激しく動いていた。研究所の帰りに、アナジがたんぽぽの綿毛を摘んだという野原に寄り、綿毛が飛ばぬように、綿毛を自分の着ていた白衣にくるんで山ほど持ち帰ったのだ。
 家に帰ると、厨房のテーブルの上には梅の花、木の芽がたくさんの山に分けられて置かれていた。
「ね、ブッキさん! きっと新しいおまんじゅうを考えついたんでしょ? わたしたち、午後厨房を片づけた後に、ブッキさんが集めていた花と木の芽を取りにいったんですよ。たくさんあったほうが、いいでしょ」
 ニクエがにうれしそうに言った。
「ちぇっ、そんなことしなくても…」
 ぶつくさと言いながらも、ブッキはもう、次の手順を考えていた。それはおもしろいように次から次へと頭の中に浮かぶ。それをどんどん試してみたくなる。
 新しいまんじゅうの皮には、タンポポの綿毛を練り込もう。そうするとつやつやとした光沢が生まれ、口触りもするりとなめらかになるだろう。梅の花はすりつぶして少しとろみをつけて甘く煮詰める。木の芽は色があまり変わらないようにさっと塩のお湯にくぐらせて、冷やしてからすりつぶして梅の花と混ぜる。
 あたらしいまんじゅうのことを考えているブッキは、もう自分だけの世界に入っていた。ニクエもユコもじっとその姿を見つめ、話しかけることもできなかった。
 次の日の朝、新しく並んだまんじゅうは『春の香思い出まんじゅう』。ブッキとしては「思い出」というのがどうも気恥ずかしかったが、なんとなくそこにつけたい気がして、えい、と書いてしまった。
 書いてしまうと不思議なことに、前からそう決まっていたような、まんじゅうの呼び名になるのだ。
 しろくてつやつやと光ったおまんじゅうを二つに割ると、とろりとした若草色の餡が出て、ほんのりと梅の香りがする。
「おい、食べてみろよ」
 と、ブッキはニクエとユコに差し出した。
「すごい! なんでこんなにとんとんと考えて、作れるのかしら」
 と、ユコは目を輝かせ
「ほんとうにおいしい! 春の味だし、思い出の味だわ!」
 と、ニクエが微笑んだ。
 ブッキは二人の顔を正面から見るのは恥ずかしかったのでくるりと背を向けてしまったけれど、えへんと胸を張りたいような、誇らしい気分になっていた。
「ほんと! 新しいおまんじゅうが並ぶのは楽しみだね!」
 ケイコばあさんの派手な笑い声が響くと
「いつも、ありがとうございます。きょうも少しはおまけできますよ。ただし、今日までのサービスです」
 なごやかなニクエの受け答えが聞こえる。
「そうか、今日、二人は帰ってしまうのか…。へん、また自分の思うようにできる。せいせいするよ」
 と言いつつも、ブッキはなんだかやっぱり少し寂しい感じがした。
 今日は、最後のまんじゅうを買いに、コタロウとケンモチ博士が一緒に空からやってきた。
「ブッキさん。お二人が今日帰るので、わたくしども、お迎えに参りました」
 コタロウが熱気球を「豚田豚饅頭店」の上に固定させると、するすると縄ばしごが下りてきて、ケンモチ博士が下ってきた。
「ブッキ! いろいろありがとう!」
 ユコがブッキに抱きついた。
「ほんと、ありがとう。あなたの作るおまんじゅうって、本当においしかったわ。わたくしたちも、ちゃんとおいしいおまんじゅうを作って、ブタの名に恥じないようにします」 ニクエはゆっくりとブッキを抱きしめた。
 ケンモチ博士のごつごつしたからだと違って、二人のブタはふんわりとやわらかかった。
 さて、一番苦手な場面だ。ブッキは下を向いて、ブーと鼻を鳴らした。
「ケンモチ博士から聞いたと思うけれど、お母さんは、あなたのこととても心配して、いつも会いたがっていたの…。この店を出るときも、ほんとうは出て行きたくなかったのよ。せめてブッキを連れて来たかった…って。でも、お父さんはあなたのことを背負って離さなかったそうよ」
「え?」
 ブッキはニクエとユコの目を交互に見た。
「お父さんはブッキがほんとうにかわいくて、ブッキだけは離したくはなかったのね」
 ニクエにそう言われても、ブッキはぴんと来なかった。かわいいなんて、一言も言ってくれなかったのに…。
「お母さんがおまんじゅうの中に何か入れようと思って、お父さんに意見したのよ。お父さんはね、すごく怒りん坊で、耳を貸さなかった。そんなにオレのやることが気に食わないんだったら出てけ! ってどうしても許してくれなかったそうよ。とにかく恐かったことだけおぼえてるわ。ああ、あたしだって会いたかったのよ!」
 とユコが言って、またブッキを抱きしめた。
「でもお母さん、亡くなる前に言っていたの。あなたがお父さんのそばにいてくれて良かったって。あなたがいるからお父さんは、きっとちゃんと生活することを考えるでしょうって」
「お母さん、きっとあなたの今の姿を見たらとても喜んで、誇りに思ったでしょうに。残念ですわ。それに不思議ね。あなたのお母さんが思ったことを、あなたがやっているんですから!」
 なんだかしんみりしてしまって、ますます言葉を見つけられないまま、ブッキは下を向いてしまった。
「おーい! ケンモチ博士! おまんじゅう忘れずにいただいて下さいね!」
 コタロウが、気球の上からすっとんきょうな声をあげ、みんなはふっと上を見て笑った。
「わたくしたちの店の方も、いつかきっと見に来てくださいね」
 二人はケンモチ博士に続いて、縄ばしごを上って行った。
 気球はどんどん上がって行った。
 ブッキはキタヤマの泉まで走って行って、気球がどんどん遠くに小さくなって行くのをじっと見つめていた。
 オヤジが亡くなってから、ずっと一人でやってきたのに。ニクエとユコがやってきたのは、ほんの数日のことなのに。なんだか厨房がしんと静かで、その静かさが痛いほどだった。
「まあ、いいさ。いろんなことがあるんだ。これからだって」
 ブッキは、すぐにいつもの調子に戻って、店を片づけ始めた。そうやって動いていると次にやることが忙しくて、寂しい思いにとらわれなくてすむ。
「どうしたらいいかなんて、すぐにはわからない。まんじゅうの中身を考えるようにはいかないさ。これから、まんじゅうこねながら、ゆっくり考えるさ」
 片づけが終わるとブッキはオヤジの写真をじっと眺めた。
「オヤジ…。なんでなんにも教えてくれなかったんだ? なんで?」
 写真の中のオヤジは、相変わらずの無表情で、じっとこちらを向いていた。


注意;このお話しの中に出てくる豚まんじゅうは、動物界の動物に適した食べ物で、人間の食用には適していません。作ったとしても、決して食べないで下さい。



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コメント 2

makimaki

読みました
by makimaki (2014-09-09 22:00) 

らいみ

makimaki さん
ご訪問ありがとうございます。
また、こんなヘンテコな物を読んでいただき、ありがとうございました。
by らいみ (2014-09-10 19:49) 

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