1.夏のはじめ ③ [豚田豚饅頭店]
ブッキは厨房の方から外へ出て、店のようすを外から確かめた。
外はぼんやり晴れていて、霧のようなもやのようなのがたちこめている。太陽ははっきり見えず、身体に湿気がまとわりついてくる。
店は豚まんを売るだけの窓口になっている。その窓の上には『豚田豚饅頭店』という看板がかかっている。ただの木の板に、オヤジが太い筆で書いた文字だ。
その看板には朝方まで降っていた雨がたまっていて、まだぽたぽたとしずくがしたたり落ちていた。
ブッキが立っている場所から、屋根の上は見えないけれど、まんじゅうを蒸かす白い湯気が、家中からモクモクと出ている。それはちょうど同じような色のどんよりした空に、どんどん溶け込んで行く。
「開けたのね!」
ブッキの背中からうれしそうな声が聞こえた。
それは、ニワトリの鳥持恵子ばあさんだった。だんなさんの甚三郎じいさんが毎朝一番に鳴くので、ケイコばあさんはその前に起きなければならない。だからいつも朝は早すぎるくらい早いのだ。
「おたくの店のほうからね、モクモク、この白いのが出ているとね、すぐわかるのさ。店を開けたなってね。いつ作り始めるのかなって、いつも気にしていたよ!」
ケイコばあさんは、かっぽう着の袖から、ケケケと羽根を羽ばたかせて、うれしそうに言った。
キタヤマの登り口にある、豚田豚饅頭店は、店の全景こそタカンダ町からは見えないけれど、モクモクと上がる湯気だけはしっかり見えるのだ。
「ほら、キタヤマがブツブツ文句を言い始めたぞ!」
湯気が見えると、タカンダ町の者はみんなでそんなふうに言っている。それが豚まんを作り出した合図。豚まんが買えるという合図になるのだった。
ケイコばあさんの後ろからは、ヤギの八木田栄じいさんやら、ウシの牛野権蔵おやじなど、タカンダ町の動物たちがぞくぞくとやってきていた。
ブッキは、目を丸くして、
「まったく、ゆげが出りゃあ買いに来る! だれに言ったわけでもないのに…」
と口の中でモゴモゴ言いながら厨房に戻った。
まだまだ動物はマチカネ坂を上って来ている。ブッキが学校で一緒だったウサギの兎野羽ちゃん、そのほかにもにも象野大介、犀玉角次郎、河馬穴次のそれぞれの母さん。ダイスケ、ツノジロウ、アナジはやっぱり学校に通った時期が一緒で、タカンダ町でもいちばん図体の大きいやつらで、もちろん母さんたちも重量級だった。クマの熊田深夫は自分で買いに来ている。こいつも重量級だ。
だいたいはいつもの客だから顔は知れているが、名前のわからない動物もまだまだたくさん並んでいた。
「まんじゅう三つね。ほら、うちのたまごと交換しておくれ」
一番のりのケイコばあさんは、いつでも卵を持ってくる。
ほんとうは、一つ1動物銭なのだけれど、ケイコばあさんからはお金をもらったことがない。そんなふうに、物とやりとりすることもしばしばあった。
「しょうがない、しょうがない。金がありすぎたって、しょうがない…」
ブッキはニコリともしないで、オヤジと同じ文句をブツブツ口のなかで唱えると、豚まん三個を竹の皮に包んだ。じっさい、ここに住んでまんじゅうを作っているだけのブッキには、お金を使う必要もあまりなかったのだ。
「あーあ、いい匂い。どうもありがと」
とケイコばあさんはうれしそうに言った。
この店では、お客の方が礼を言う。ブッキはわかるかわからないくらい、首をちょっとコックリしただけ。これもオヤジとそっくりそのままの仕草だった。
ダイスケの母さんのダイコの番が来た。
「うちは三十個お願いね」
ブッキはしぶい顔をする。
「だめだめ、ここで売り切れになったら後ろに並んでいるお客が、なんのために坂を上って並んだかわかりゃしない。まんじゅうは一人、十個まで!」
これまたオヤジが言っていたそのままの言い方だった。
「やっぱり、ブツノスケさんの時と同じなのね。十個なんかダイスケ一人で食べてしまうわ」
「奥さん、じゃあ、ダイスケにも買い物に来させるんだね。二人で来れば、十個ずつわけてやるさ」
オヤジのそばで耳に入ってきていた文句とそっくり同じ文句が、すらすらと口から出てきて、ブーと鼻を鳴らすのまでそっくりだった。
この行列だから、つぎつぎと豚まんは売れていった。
ずいぶんたくさん作ることができたと思ったが…。昼が来る少し前に、豚まんはもうすっかりなくなりそうだった。 最後の客、ネコの猫柳小太郎にはちょうど二つしか残っていなかった。
そのコタロウが帰りぎわに、おおっと声をあげた。
「虹だ! 虹が出てるぞ!」
コタロウはイヌの犬餅斑乃信博士の開いている動物中央研究所で助手をしている。そのせいなのかどうか、いつも周りをきょろきょろうかがっていて、いろいろな物によく気がつくのだ。
ブッキが窓から首を出すと、広い空がいつの間にか晴れわたっていて、そこに三重にも虹がかかっていた。太陽の一番外側の虹は、もう薄ぼんやり消えかけている。
「ふうん…。虹なんて見たって、腹の足しにもなりゃしない」
ブッキはつまらなそうに、言いながら、窓を閉め始めた。
「ちょっと待って!」
そこに駆けつけて来たのは、朝早くに並んで買っていった兎野羽だった。ハネはホッホと息を弾ませながら言った。
「ブッキ! なんかね、今日の豚まんは味が違ってたよ」
ブッキは、むっとした。
「そんなの、あたりまえだろう! オヤジが作ってるのとは違う。違うブタが作ってるんだから味だって違うさ」
「そういうことじゃなくてさ。別にまずいとか、そういうんじゃなくてさ。ちょっとゆううつになる味だったよ…。それでいてさ、嫌いっていうのとも違うのさ」
ブッキはますますむっとした。
「そんなの、おまえの気分だろうが」
ハネとはとくに仲良くはなかったけれど、仲が悪いというわけでもなかった。まあ、ブッキにはそんな友達しかいなかったのだのだけど…。
「なんかさ、雨が続いていて、外に出たいけど出られないなー、ってそんな味」
ブッキはピンときた。あの、長雨の水のせいだ!
でも、そんな様子はちらりとも見せず、ブッキはそっぽを向いた。ブッキとはそういうブタなのだ。そして、うんと顔をしかめてからハネの方にゆっくりと振り向いて、ハネの顔を下の方からじろりと見た。
「なんで、そんなことわざわざ言いに来るんだよ! もし、嫌いだったら、明日から買いに来なければいい。うちはちっとも困らない!」
ハネは、ちょっと不服そうに口をとんがらせて、
「ただ、ちょっと言っておきたかっただけ。だって、何かが足りなくて、何かを足せば忘れられない味になるって感じだったから…」
「そんなこと、オレに言ってどうするんだよ」
「別に。ただ、そこを足して、忘れられない味だったら、もっと食べてみたい…、ってそう思っただけよ」
ハネはそれだけ言うと、ブッキにくるりと背を向けると、走って行ってしまった。
「ちぇっ、くそ面白くもない。そんなこと言いに来て、何だっていうんだ…。自分で作ってみろよ」
ブッキは、ハネの後ろ姿に向かって吐き捨てるように言った。そう言いながらも、なんとなくハネの言葉は心に残り、それがよけいにしゃくにさわった。
ハネの家はたしかニシヤマの方で、タカンダ町の西のはずれ、ミミカタ町だ。ニシヤマを上って向こう側に降りた方にウサギ団地があると聞いている。そんな遠くから、わざわざブッキに味のことを伝えるためにやってきたわけだ。
「だいたいあいつは、いつもそうなんだ。よけいなことばかり言って、相手をいやな気持ちにさせる。そんなウサギさ」
ブッキはそんな文句を言いながら、店をざっと片づけ始めた。気持ちが焦っていた。晴れているうちにキタヤマの泉をくみに行きたい。ブッキは荷車に空の水瓶を積んでいった。
「ちぇっ、これは別にハネに言われたからじゃないぞ。ただ水がなくちゃ豚まんが作れない。オレにはほかにできることがない。だから水を取りに行くんだ」
ゴロゴロと荷車を引きながらも、ブッキはブツブツ、ハネについての文句を並べ立てていた。
泉に続く道には、今はあじさいがずっと並んで咲いていた。花は満開で、重なるように競うようにこちらを向いている。
日陰になっているところでは、まだ雨のしずくがしたたっていて、それがあじさいの花びらにしっとりとなじんで、きらきらと木漏れ日を反射させている。
「くそ面白くもない」
と言いながら、ブッキはあじさいの花の中に佇んだ。
長雨はゆううつだけど、あじさいはその長雨にもっとも似合っている花だ。花が長雨を引き立てている。
ブッキはピンとひらめいた。
泉から水をくんでの帰り道、ブッキは道ばたに荷車を止めて、あじさいの花を摘みはじめた。それを水瓶の中に一本ずつ差していく。花は大きく、花びらが厚くつやつやとしているのを、ていねいに選ぶ。
こんなによくあじさいの花を見るのは初めてのことだった。一つの株の固まりごとにいくつもの色がある。白い色から、うすい青、濃い青、紫、うすもも色から、こいもも色まで。抱えるほどのあじさいを取って、瓶に活けてみた。荷車の上にはたくさんの花瓶を積んでいるように、どの水瓶にもあじさいがあふれるほどになった。
でも、それだけ摘んでも道に咲いているあじさいはちっともなくならない。それくらい花はたくさん咲いていた。
「せっかくあるんだからな、使わななくちゃな」
ブッキはニコリともせずに、あじさいを右に左に揺らしながら、モクモクと荷車を引き、店への道を急いだ。
「ブッキ!」
そのブッキの前に急に女の子が立ちはだかった。
八木田栄じいさんの孫の八木田明子だった。
「メイコ…」
と、ブッキはぼそっと言った。
「さっき、白まんじゅうを食べたよ。おじいちゃんが買ってきた豚まん。おいしかったけど、なんかちょっと、はっきりしない気分になった…。でも、一人で作ってるんだもん、すごいよ! やめないでね」
と、メイコはヤギミルクのはいったビンを差し出した。
「あのね。じいちゃんが持って行けって。これ使ってね」
そう言うと、メイコは走って行ってしまった。
「ったく、なんだ、あいつは?」
ブッキは困った顔でミルクを見つめた。
「べつに、あいつのためにまんじゅう作ってるわけじゃないぞ。オレはほかに何もできない。しょうがないからやってるだけだ。ったく、ほかに何かありゃ、もっと楽しいことやってるさ」
帰り道のをノロノロと荷車を引きながら、ずうっとブッキはメイコへの繰り言をとなえていた。
「まったくあいつはいつもそうなんだ。勝手に解釈して相手の気持ちを決めつける。そういうヤギさ」
ヤギミルクは濃厚で、甘いクリームにするととろりとこくのある味になる。
オヤジはそのトロリとしたクリームをなめながら、いつも文句を言っていたっけ「甘いだけで取り柄もない」と。
ブッキは、同じように文句を言いながらクリームを煮詰めてみた。
次の朝は、また長雨の続きだった。
「ふん」
と、ブッキは鼻を鳴らした。
「あれだけ水取ってきたからな、しばらくは大丈夫だ。それに…」
ブッキは空になっていた水瓶を外に出した。
「オレはケチだからな、この雨水だって使ってやる。どうせ長雨の間はあきもせず雨が降るばかりだ。なんの楽しみもないんだからな…」
その日の朝、今までにないまんじゅうが店を飾った。
『長雨虹まんじゅう』とブッキは名前をつけて、それを大きく板に書いて『1動物銭 交換もできます』と少し小さい字で名前のとなりに書いて、店頭に飾った。
あじさいの花をすりつぶして、裏ごしし、やぎミルクで作ったクリームを甘くして味をつけたあんが中に入っている。まんじゅうは長雨の水半分、泉の水半分でこねたが、蒸かす水は全部長雨の水にした。
そのほかに、いろいろな色のあじさいの花ひとつずつをバラバラにして、素揚げにして用意した。蒸かす前のまんじゅうに七つずつ差していく。花はまんじゅうの生地に埋まって蒸し上がる。
ゆげを立てているまんじゅうはあじさいの花が咲いているように見えた。そのまんじゅうをふたつに割ると、ふんわりまろやかな甘い香りがする。そして、いろいろな色が混じって、複雑な味わいを出す。
ブッキは半分自分で味見して、半分はオヤジの写真の横に置いてみた。
「こんなもんかな」
ブッキは右側の口の端を少しあげた。それはブッキにとってはちょっとうれしい、ということだった。
オヤジは豚まんの中に何かを入れる、ということをまったく考えていなかった。でも、ブッキはいつも思っていた。まんじゅうの中に何かを入れてみたいと。
ブッキがまだ小さくて明るくて、いつも楽しいものを探していた頃、ふっとオヤジに言ってみたことがある。「ねえ、オヤジ、まんじゅうの中に何か入れてみようよ」と。それはすごく楽しい、輝くような考えに思えたのだ。
そうしたら、オヤジの顔には炎が燃え上がるように怒りが燃え上がって、恐ろしい赤黒い色になった。そして爆発した。
「バカヤロー! うちのまんじゅうは中に何も入ってないからおいしいんだ!」
それから三日も口をきいてはくれなかった。ブッキは世界の端っこに追いやられたように感じた。ブツブツ文句でもいいから、オヤジに話しかけてもらいたいと思った。そして思った。まんじゅうの中に何か入れるなんてバカな考えは、二度と思うのはやめようと。
「ふん、オヤジ、写真の中じゃ文句が言えなくてくやしいだろ。オレは、オレのやりかたもやってみる。だって白まんじゅうばかりじゃあ、オレはつまんないもんな。やりたいことが自然に頭に浮かんでくるんだ。しょうがないからやるだけさ」
その日もまず一番先に駆けつけたのは、やっぱりケイコばあさんだった。
「昨日のね、あんたの最初のまんじゅうにしてはまずまず、おいしかったよ。若いんだものこれからだよ」
(それは、オレが若くて、どうしようもないってことじゃないのか?)ブッキは少しむっとした。
そして、ケイコばあさんがキラリと目を光らせた。
「あららら、この長雨虹まんじゅうって…。新しいんだね。へええ。あんたが考えたのかい? まるであじさいの花みたい! いいじゃないか! それも入れておくれよ」
「ちぇっ、図々しい」
と、聞こえないような小さい声でブッキは文句を言った。文句を言うタイミングは父親譲りの絶妙の間。くるりと客に背を向けた瞬間だから文句は客には聞こえない。
けっきょく、ケイコばあさんはいつものように、三個のたまごを置いて行っただけだった。そして動物の列がまたすぐにできて、いつもの白まんじゅうも長雨虹まんじゅうも、あっという間に売れてしまった。
「ちぇっ、二つの種類だから昨日の夜は倍も働いたのにな。もうなくなった。雨だっていうのに、みんな、よくこんな所まで買いに来るよ」
ブッキは降り続く雨をじっと見つめた。
厨房の戸を閉めようとしているところに、またハネがやって来た。
「あの…。長雨虹まんじゅうね。すごくおいしかった。雨が降ったら必ず思い出す味。忘れられない味。雨の日が好きになる味だね」
ブッキがいつものむっつり顔で黙っていると、
「それに…、長雨虹まんじゅうって、ステキな名前だと思うよ」
ハネは、恥ずかしそうにそれだけ言うと、さっと走って行ってしまった。
その後ろ姿をブッキはあきれるように見つめた。
「ほーんと、ヒマなんだな。ニシヤマから、そんなこと言うだけにやってくるなんて。ほかになんにもすることはないんだ…。豚まんを食べるくらいしか…。まんじゅうの名前だって、ただそのままつけただけなのに…」
その夏、長雨虹まんじゅうは売れ続けた。
ブッキは水瓶の中の水を絶やさず、その中にあじさいをいつもいっぱい活けて、長雨の終わった夏にも花と水が無くなるまで、このまんじゅうを作った。
夏の盛を下るころ、ブッキが長雨虹まんじゅうの看板をしまった。
「おやおや、もうおしまいかい。今年の長雨はなんだか終わるのが惜しいようだったね」
看板をしまった日も、最初の客はケイコばあさんで、ばあさんは、しんみりとそういった。
「もう、一人でも店はだいじょうぶだね」
「最初から、だいじょうぶだったんだ…」
ブッキは、また絶妙の調子で文句を言う。お客の耳には届かない文句。そのタイミングはバッチリだった。
注意;このお話しの中に出てくる豚まんじゅうは、動物界の動物に適した食べ物で、人間の食用には適していません。作ったとしても、決して食べないで下さい。
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