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1.夏のはじめ ② [豚田豚饅頭店]

ブッキ (C).png

「あーあ、これ、ぜーんぶかたづけなくちゃ。オレ一人で…。やっぱりオレはなにからなにまでついてないブタさ」
 厨房は、二週間前、オヤジが倒れた時の、そのままになっていた。
 豚まんの生地はもう固くかたまって、ボールの底にこびりついていたし、台の上は粉まみれ、めん棒もころがったまま。床にも白く粉が散らばって、ところどころ床にこびりついている。まるで雪どけ後にどろんこがのぞいたように、汚いままになっていた。
 豚まんを蒸す大きいせいろは、かまどの上にかかったまま、フタは開けたままになっていて、豚まんの皮がかさかさになってへばりついている。それをはがすのだけでも、時間がかかるだろう。
 何から手をつけたらいいのかわからずに、ブッキはぼんやりとそれを眺めていたが、とにかくまず厨房の大きな窓を開けることにした。
 そこは、そのまま店への出窓になっている。いつもお客さんがこの出窓の前に並び、出窓のすぐ横のかまどから、蒸かしたてのほかほかの豚まんを竹皮に包み、どんどん売って行くことがきるのだ。
 開け放った窓の外は長雨。
 オヤジの亡くなった日から、ずっと二週間も降り続いている。
「ちぇっ。せめて天気くらい良ければ、もう少し気分良く片づけられるのに、まったくなんでもかんでも、ついてないや…。オレは…」
 外のじめじめの空気が厨房の中にまでじっとりと流れ込んで来て、さらに空気を重たくどんよりと濁らせた。
 ブッキはいつものしょぼくれ顔で、もういちどふうっと長いため息をついた。それを何度か繰り返してから、のろのろと作業を開始した。
 さて、いったい何から片づけようか…。
「まったく、オレなんか、何の取り柄もありゃしない。オヤジがやってたみたいに、豚まんこねて、作るしかないさ…」
 ブッキの目にじんわりと涙がたまった。
「あーあ、中身なしの、つまんねえ豚まん。肉の入らない、ただ白いだけの豚まんをね。それにはまずここを片づけなければなんねえ。めんどうくさいけど、しょうがねえ」
 ブッキは背中を丸め、何度も何度も、はあー、と長いため息をつきながら、ゆっくりゆっくり、調理の道具を洗い始めた。
 オヤジがこの厨房で言っていた文句の数々が、ブッキの耳によみがえっていた。
「だいたい、豚まんに豚肉を入れるなんて、どいつが考えたんだ! けしからん!」とオヤジはよく怒っていたっけ。
「だいたい、この町では、動物たちがお客だからな。何の肉だって使えやしない。豚が作っているから豚まんなんだ! 中にはなんにも入らなくていいんだ!」
 それは一日に一回は言う文句だった。オヤジが言うとなんでも怒って聞こえたものだった。
 でも、そんな難し屋のオヤジだったけれど、文句を言う間も手を休めるということは決してなかった。本当に良く働くブタだった。毎朝早く暗いうちから起き出して、生地作りを始める。粉に水を足しながらをこねてこねて…。その間中、ブツブツ…、ブツブツ…。口も手も、ちっとも休むということを知らなかった。
 まんじゅうを発酵させている間も休まずに、包むのに使う竹の皮を用意したり、せいろを用意する。発酵した生地をまんじゅうの形に整えてゆく作業は、まるで機械のように正確で、一つとして違う形、違う重さのまんじゅうはできなかった。
「オレはな、一つのまんじゅうの大きさなら、ちぎればわかる。でも、ほかのことはなんにもできねえ。だから、まんじゅう作るしかねえ」そう言いながら、モクモクとまんじゅうを作り出す。オヤジの手はまんじゅうを紡ぎ出す魔法の手だった。
 店の外が明るくなってからは、そのまんじゅうをどんどんと蒸かしていく。豚まんが売り切れになるときが店じまいの時間。だいたいはまだ明るいうちに売り切れてしまう。
 店の戸締まりをしてからは、厨房をきれいに掃除して、次の日のための用意をする。次から次へとやることはあるのだ。オヤジは文句を言いながら、それを一つずつこなしていった。
 二週間前、いつものようにそうやって働いていた、そのさいちゅうにオヤジは倒れたのだった。
 まるで今そこにオヤジがいて、文句を言われているように思い出しながら、ブッキの身体はだんだん調子を取り戻してきていた。生地のこびりついた鍋やボール、せいろは流しに集めて水につけて、床はごしごしとモップでこする。
 動き出してみると、ブッキの手足もオヤジのようによく動いた。最初はのろのろしていたけれど、どんどんからだの方が動いてきて、息もつかずに働いていた。どうにもならないと思うほど汚れていたのに、どうにか厨房はきれいに片づいてきていた。
「ちぇっ、きれいになったからには、豚まん作りをするしかしょうがない。オレにはほかにやることがない」
 ブッキは、棚にたくさん積んである豚まんの粉を恨めしそうに見上げた。オヤジが裏の畑に育てた小麦から、一年分の粉を作ってある。もちろんブッキも手伝って作ったものだ。
 その棚の下に、脚立を持ってきて、じりじりとよじ登った。ブッキの頭三つくらい分はある大きな袋を一つ棚から下ろし、肩にかついで下りてくる。
 ブツブツやのオヤジの隣で、オヤジより小さな声でブツブツ文句を言いながら、小さい時から手伝ってきた豚まん作り。一人だけで作るのは初めてだったけど、うまく作れる自信だけはあったのだ。
「だって、年がら年中同じことばかり。繰り返し繰り返し、なーんにも変わらない! これで失敗したら、お笑いぐささ!」
 オヤジの言っていたとおり、一言一句まちがいない同じ文句が、すらすらと口からすべり出た。
「しょうがない、しょうがない。明日からまた店を開けるか。だって、オレ、ほかに何していいかわからないもん。まったくしょうがないやー」
 ブッキは明日まんじゅうを蒸かすために、粉やら水やらを用意し始めた。
 ふと気がつくともうすっかり夜中になっていた。ブッキはやっと出窓を閉めた。まだ外は雨だった。
「あーあ、よく働いた、よく疲れた」
 オヤジの調子で、締めくくりの文句を言うと、ブッキは白衣を脱いで、ぐっと伸びをした。
 家の裏、畑の横に、キタヤマの温泉から引いた小さい露天風呂がある。雨の中お湯につかって、シャワーのように雨の水を浴びた。

温泉 (C).png

 夏の盛りはまだ少し遠いが、よく動いたからじっとり汗をかいていた。この二週間は、風呂にも入らずにいたのだ。汗を流すとすっきり、はっきりした気持ちになった。
 そして、ブッキは夢も見ずにぐっすりと眠った。二週間ぶりの深い、心地よい眠りだった。

 次の日はまだ暗いうちから起き出して、まんじゅうの生地作りをはじめた。天気が悪いから夜と朝の区別がつかないほど暗い。それでもブッキの目はしっかりと開いていた。
 まんじゅう作りの作業は、手が覚えていた。
 少しずつ粉と水とをなじませて生地をこねていく。ぎゅっ、ぎゅっ、と生地をつかむ、その一つかみに、恨み言をこめる。
「オレはほかに、何にもやることがない!」
 ぎゅっ、ぎゅっ。
「豚まん作るしかしょうがない!」
 恨みをこめると、手に力が入る。
 そして、粉が多めで、手の中でぽろっとくずれるようだったら、泉の水を少し加える。
「水はな、キタヤマの泉の水じゃあなくちゃ、だめだ! そりゃ決まってる! ヒョウロク川の水じゃあまんじゅうは作れない」
 オヤジは自分の生い立ちを文句の間に混ぜ込んで、ブツブツ言うことがあった。ヒョウロク川というのは、オヤジの育った地方の川で、よく氾濫を起こしたらしい。
 「ヒョウロク川の水はなあ…」と文句は続いた。「あの川は雨が降るとあふれたもんだ。茶色に濁った水はうちの方まで流れてきたさ。あんな水はまんじゅうには使えない。水はキタヤマの泉がいちばんだ!」
 そのあと「クログロ谷の方はなあ…」と続くこともあった。「ほんとうにクログロと日の当たらない場所さ。まわりは黒い石の山だからな。まんじゅう作ってもうまい味は出ない」
 その谷も川もブッキは見たことはなかったけれど、暗く冷たくて、楽しくない場所に思えたものだった。
 キタヤマの泉は店の裏の畑からヤブに入ってさらに少し上った所にコンコンとわき出ている。それは冷たく、ほんのりと甘く、からだのすみずみが生き生きしてくるような、旨い水だった。
 オヤジと二人で家にいるのが息苦しくなると、ブッキはよく外に出て、この泉まで来たものだった。タカンダ町をぐるりと見下ろせる場所にちょうど座るのによい大きな岩がある。そこに座ると気持ちがすっきりとひきしまる。町からの風がキタヤマに吹き上げると、冷たい澄んだ風に変わるのだ。
 山には虫の鳴く音、風の音があるだけ。明るいときに町を見下ろすと、ときどきかすかに「ひゃーっほう」という声が駆け上がってくる。町からの音が下の方から運ばれてくるのだ。
 ブッキはよく何時間でもそこに座ってぼうっとしていた。店の方からオヤジがブッキを探すどなり声が聞こえてくるまでは、いつまでもそうやっていたものだった。
 さて、何回かこねてこねて、もっと水を足そうと水瓶の下の栓を抜くと、ちょろちょろと水が走り出たあと、一滴も出なくなった。水瓶はブッキの顎の高さほどもある。それが瓶の台の上に載っていくつか並んでいる。ブッキはほかの瓶の中も確かめてみたが、どれも空っぽだ。これではじゅうぶんな生地を作れない。
「ちぇっ。朝っぱらから雨の中をキタヤマの泉まで行くのはいやだなあ…」
 と言ったとたんに、ブッキはひらめいた!
 そうだ、外は長雨なんだし、水なんかなんだって同じようなものじゃないか。雨の水でいいじゃないか!
 裏の勝手口から外を見ると、うすぼんやりと空が明るくなり始めていて、雨はだいぶ小降りになっていた。オヤジが外に並べた水瓶に、ちょうど雨の水がたまっている。
 ブッキは空になった水瓶を外に出して、雨水がいっぱいの水瓶を、よっこらしょとうまい具合に横にすべらせ、ころがして動かした。口切りたまっていた水が、こぼれ、ブッキが一足踏み出すたびに、少しずつはじけた。
「ふんだ。たかが豚まんだもの。オヤジはキタヤマの水だと言ってたけど、なんの水だって同じに決まってるさ!」
 この雨水をさらに加えて、また粉を足してブッキは豚まんをこねた。うんと恨み言をこめながら。
 こねている間も、ブッキの頭の中には、またいろいろおもしろくない思いが渦巻いていた。そしてそれをブツブツと口から紡ぎ出していた。
 さあ、そんな思いにふけっている間に、生地はこね上がった。
「ちぇっ、なんだってこんなに作ったんだ! これじゃあ丸めるのも大変だ!」
 つやつやになっている生地をぬれた布巾でくるんで寝かせると、ブッキは身体をうんと伸ばしてのびをした。
「しょうがない…。店を開けるか」
 いつの間にか雨は上がっていて、長雨の間にふっと息継ぎをするような、そんなぼんやり晴れた朝になった。
「あーあ、はっきりしない天気だな。晴れるなら晴れる、雨が降るなら雨が降ればいいのに…」
 ブッキは家にある全部の窓を開け放ち、発酵した生地をもくもくと丸め始めた。手のひらより少し小さい、同じ大きさのまんじゅうが次々とできていく。それはぷりぷりと動き出しそうで、粉をうった板の台の上に次々と並んでいく。

まんじゅう (C).png

 ひと息ついたあと、三台あるかまど全部に火を焚きつけると、そこに大きい竹のせいろをかけて、どんどんまんじゅうを並べていった。蒸かすために使う水も長雨の水だ。
 ほどなく厨房の中は湯気だらけになり、窓という窓、屋根でも壁でも隙間という隙間から湯気が外に流れ出て行った。

せいろ(C).png
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