捨てる写真③ 両親(1)結婚前?? [古い記憶の整理]
アルバムの1ページ目にあったのは、この建物なんですが…。
けっこう大きな写真で、一枚、どんと貼ってありました。
いったいどこ??
もしかして、老神温泉なのかな??
私が3歳の頃、父は父の弟(私の叔父さん)と私だけを連れて
老神温泉に行くことがあり
今思うと、誰かと会いに行っていたようです。
私は旅館の中居さんに預けられました。
好きな人でもいたのでしょうか??
謎です。
以下の写真は、結婚前後ではっきりした日時はわかりません。
これは、母の実家のお蕎麦屋さんの中なのではないかな??
これはやはり母の実家の庭に面した廊下
ふすまに纏の柄が貼ってあります。
この庭に物置小屋があって
弟とケンカした時に、大叔母のぺんぺんに手足を縛られて
放り込まれたことがあります。
私はぐずでのろまだってことでは、始終叱られていたのですが
弟とのケンカでは、私から仕掛けることはほとんどなくて
ケンカは嫌いだったので、私の言い分も聞かずに両成敗されたことは
子ども心にすごく不服だったので、やけにはっきり覚えています。
庭の出入り口からお蕎麦屋さんの裏口に入ることができて
いつも扉が開いてて、職人さんがおそばを作っていました。
これは母の実家の玄関前。
家の中の写真がないのが残念です。
お蕎麦屋さんの看板が見えます!!
「もり かけ 二十五圓」だって、すご~~~い。
お店の名前は「月勝(つきかつ)」と言って、昔は銀座通りにあり
なんでも、家族の放蕩でつぶれたということで
新宿に流れてきたようです。
店の名前は、「つきのかっちゃんだから」とか言っていました。
曾祖父がかっちゃんなのかな??
おそばを「つく」のが上手だったとか言うことだったけれど
「つく」って何???
意味不明。
店の前の道は靖国通り。
この店の後ろに家がありました。
父が言うには、
昔はなんでも相撲の番付でランキング的なことを決めたらしいのですが
お蕎麦屋さんのランキングでは、「月勝は東の大関」と雑誌に掲載されたとのこと。
だけど、なんの雑誌かわからないし、
父はほら吹き男爵のような人で、どこまでが本当の話かわからないのですが
母です。
結婚したのが25歳だから、その前後だと思いますが
もう、まったく私には「無い」雰囲気です。
爪も伸ばしてマニュキアしていたり、
K子おばさんとイニシャル入りのおそろいのシャツとかコンビの靴を作った
とか言っていて、おしゃれだったようです。
セパレーツの水着
(これもしかして死語?
昔はおへそが出るのがビキニで、おへそがかくれるのをセパレーツ
と言っていたのですが…)
これを自分で着たくて作って着たと言っていました。
だけど、残されていた写真の腹部は万年筆でぐじゅぐじゅと消してあって
その後捨ててしまったようです。
ばっちりお化粧しています。
私がお化粧し始めたのは40歳過ぎです
それも、最初は化粧品を両親に買って来てもらっていました。
ハハハ。
(2)に続きます。
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