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気まぐれ番外編:レ・ミゼラブル [精神と言葉]

幸せって、究極のご都合主義的思考を手に入れるってことなのかな?
最近、もう本当に、超ご都合主義になっちゃって、
ほとんどのことはど~~~でもよくて、
とにかく死ぬまでになんとか、自分で考えられる範囲で人に迷惑かけないでいこ~~って思うだけになってます。

最近、国の主導者がおマヌケに見えてしまって、なんかミゼラブル~~。
でも、そのマ~さんって、マ~さんなりに幸せの追及してるんだよね、たぶん。
国の主導者って、会社の社長っていうのと似ているのか????
だけど、かのお方は中小企業の社長さんという感じではない。
自分で汗水たらしてお金を稼ぐ算段をどうにか模索してるって感じはしない。
私にはただの「いいとこのぼんぼん」って風に見える。
お育ちが良い、人の良さみたいなものは感じられる気がする。
佐藤優氏の「ポエム体質」っていう分析が言い得て妙で、受けた。
マ~さんは、迷いがないほど精神が強く見えるかっていうと、そうでもない。
ご自分でご自分に何かスペルマジックしてらっしゃるみたいに見えます。
政治の問題は政治家に解決してもらわなきゃしょうがないと思うし、そのために税金を払っているのだと思う。
だけど、その政治の中枢は金で根腐れ起こしちゃっていて、ぐちゃぐちゃ。その取り巻きの中でなんか勝手に輝いちゃって? る? 女性の方の発言、参拝パフォーマンスには、ただただびっくらこいた。理解不能な世界です。男と女以上の暗くて深い溝を感じざるを得ませんでした。
思考的乖離とでも申しましょうか。

レ・ミゼラブルで、ジャンバルジャンはものすごい波乱万丈なドラマドラマな生涯を生き、コゼットという、かけがえのない存在を得た。
コゼットとは娘の象徴であり、自分が自分の命をかけて守りたいという物の象徴だと思う。
(「物」、って書いたのは、世の中見てると、どうやら「人」でなくても良さそうな感じだから)
で、ヴィクトル・ユーゴーがどういう人にコゼットを託したかったかっていうと、「成人後困窮生活を経て、一時反体制として政治改革に目覚め失敗したいいとこのぼんぼん」。マリユス。
映画の「レ・ミゼラブル」の中で、私の心が寄り添っていたのは、テナルディエ家の娘、エポニーヌ。
映画の中では彼女が絶望の中で亡くなってしまったので、私も絶望してしまいました。
つまり、これがヴィクトル・ユーゴーが描くところの「世の中」「人生」、ってことでは、確かにすごくミゼラブルな気分にさせてくれる映画でした。

絶望っていうのは、もしかしたら、絶命に近い感覚を生むのかもしれない。だけど、山ほど絶望したって、絶命できないこともあるのだ。
ま、しょ~がないよね~。人生「いろいろあるから」ってことなんだろうね? だけど国の中心での腐った物が目に入ってきて、耳に入ってくるから、絶望を通り越して、ヤケクソになるしかない。

売国とか言うけど、精神論みたいなものは下らなすぎる。
結局、国ってただの場所だし、そこに帰属していたいかいたくないかは本人の自由。
お金をたんまり稼いでも、この国の政治に金をつぎ込みたくない、つまり税金を払いたくない人は、国外に行く。お金さえあれば住む場所は自由に選べる。
私がなぜこの国にいるかっていえば、ただここに生まれたから。もちろん「好き」だし、好きでい続けたい。何にも阻害されず、自分が自分のままでどうにかやっていける場所であり続けてくれることを祈るしかない。
それに外国のお友だちの娘がこの国に興味を持って、そして実際この国で何かしようって思ってくれているという現実は、素直にうれしい。だから、少なくともその娘が愛想つかさないように、少しでもいい国であって欲しいと切に思う。
でも目に見える「この国」、耳に聞こえてくる「この国」がどうしようもなく居づらい場所になったとしたら逃げたい。まあ、金がないからそう簡単に逃亡もできないけど、行動できるかどうかは、あとは切実さと金との優先順位によると思う。

かのマ~さん、どこまで走って行く気なのかしら。
自由で民主的と名乗っているわりと強固な「界」においては、いろいろな方面からマ~さんを守り、言論をどうにか統制しようとしていることは、そこかしこで目に見えてきている。その外側でそれが見えてしまって危機感を覚える方は、それぞれの場で発言はしていらっしゃる。
だけど、がんばってラジオで発言しても、「目に見える場所」では「太鼓持ち」にならざるを得ない人も出て来ているみたいだ。げ~の~って、言葉のひびきが汚いけど、その「界」を守るためには、それを動かしているさらに大きい上の「界」にはひとまず飲み込まれなければならないってこのなのだろうと思う。発言者は自分で築いてしまった組織に続く個人の「生活」を守ったってことかね?
さらにその下の下の「界」があり、アリさん階級にいる私から見えるこの発言者の姿は、なんか、ミゼラブルだった。
とほほ。気の毒。
これも、目くらましの一つの方法ではあったのだろう。

まあどうでもいい。
結局、人は超個人となり、超ご都合主義的な考えになるしかない。
そうなれないと、何かでバランスをくずし、統合失調を起こした時に、低迷期から抜けられなくなってしまうのではないだろうか。
そのどこかの時点で何かの基準から「狂っている」と見なされれば、病院に放り込まれる。超個人の中で世間一般との基準が狂い、その狂いが発散されることなく、個人の中で育ってしまうと、何かのきっかけでとんでもない行動を起こしかねない。
はい、起こしたのは私です。
個人対個人レベルのこととはいえ、私の起こした行動=「けんかを売る」ということはテロに通じるものがあったな、と反省しています。
今ほぼ普通の生活を送れていることを、本当に幸せに思っています。
どうぞこのままこの平穏が続きますように。

ああ、ミゼラブル。。。。。。。
人生パラド~~ックス。。。。。。




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