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2-4 メンヘラ [精神と言葉]

ネットで「メンヘラ」という言葉をよく見かける。
それは精神障害などを軽く表現する時に使う言葉のようだ。私の解釈では、精神に揺らぎがあることを他人に感じさせる人、あるいは自覚している人という感じかなと思った。
今はメンヘラの時代なんだな、と思う。
今年、50本ほどのアメリカ映画をDVDで見たけれど、ほとんどがメンヘラチックな話だった。
一番すごかったのは、「ハサミを持って突っ走る」という映画だった。
これは実話を元にしたコメディー映画で、日本では未公開だったようだ。あるゲイの青年が書いた自伝がベストセラーになったようだ。この青年の母親がメンヘラで、ある精神科医にかかるようになるのだが、この精神科医の家族がすごい。皆メンヘラだし、メンヘラが集まってくる。その精神科医の家で生活を共にした、不思議な世界が描かれていた。

「ポーラーエクスプレス」は、まさに、パラノイアの人たちが作ったようなアニメで、さらにぶっとんでいた。フルCGアニメなのだけれど、子どもが変にリアルすぎてかえって不自然さが目立って気持ちが悪いのだ。実在の俳優がモデルになっている車掌さんの目が泳いでいるようなところも、怖くて、びっくりした。
全体にすごくテンションが高いのに、クリスマスの経験がないという、線の細い生きているんだかいないんだかわからないような男の子がやけにかよわく消え入りそうで、暗く静かで、歌がしみじみしすぎていて、かわいそうすぎて、泣けてしまった。
この子にこの1回のクリスマスの時にだけプレゼントをあげて、いったい何になるのだ?
皆の所にいつもサンタクロースからプレゼントが届くなんて、嘘っぱちなのに。
これがファンタジーなの?
仮に現実に、サンタクロースのプレゼントが届かない子がこれを見たら、この映画をどうとらえればいいのだろうか???
何が描きたかったのか、私にはわからなかった。
クリスマス、クリスマスってわいわいやっているだけだ。私には支離滅裂に見えた。
どーかしているって思った。
アメリカはすごい。
こういうものがすべてエンターティンメントで成り立っている。
メンヘラの人達が自覚し合って、メンヘラを擁護し、ある時はメンヘラを筋書上の悪者に仕立てて叩き、仕事上では盛り上がり支え合ってエンターティンメントという世界を作っているのか?????とさえ思ってしまった。

昔見た、「メリーに首ったけ」という映画では、身体的な「障害」を超えて笑いに昇華させていて、びっくりした。
日本だったらタブーに近い世界だ。
だって、テレビじゃないのだ。映画館という限られた場所で上映されるのだ。映画は見たい人が選べるんだもの、見たくない人は見なくていいわけだから、描ける世界にほとんどタブーは無くなっているのかも?? とも思った。

それぞれの個人の「欠陥」は、単に個人個人の違いであり、普通じゃないから意味がある。
世間にさらされることによって、今自分がいる「普通だと思っていた」世界から続いている世界だったんだ~と気づかされる。
そこに谷間なんかなかったんだ。
あるいは、あったとしても、易々と超えられる人がいるんだ~。
まてよ、超えられるんだ。人間てものは。

だけどこのハイテンションのエンターティンメントの世界で生き続けることができず、自死を選んだ人がいた。
ご冥福をお祈りします。
また、最近顔が激変した女優さん。数人いる。演技も容姿もすばらしく、世界から評価され、巨額の富を得、実生活だって充実していそうなものだけど、いったいなにが足りなくてそんなことをする必要があるのか、理解不能だ。
一時、かわいくて輝いていてコメディエンヌとして人気のトップを走っていた女優さん。「戦火の勇気」あたりで進路を迷い出した感じがして、「イン・ザ・カット」で完全に迷っちゃった感じがする。いったい何がどれだけ必要なのだろう。残念でならない。
でも、そんなこと単なる一観客のばあさんなんかに、とやかく言われるような筋合いのもんでもないよね。彼女たちは自分たちのやり方で心の平穏を守り、自分の立ち位置をしっかりさせるために、実行したことなのだろうし、大騒ぎすることでもないのかな。
それに、しわも体型も隠すことなく、自然にステキに年を取って、現役で仕事をして要の役をきっちりこなしている俳優さんだってたくさんいる。
走り続けながら、自分の生きざまを晒して生き続けるということが、アメリカのエンターティンメント界を生きるプロの仕事なのかなとも思い、それはそれで、ある意味すごいなあと思った。

今、自分がメンヘラだ、と思っている若いネット人間たちは、自分たちで精神分析をし合っているようだ。息子が言ってた。
「先輩などで、精神的に行っちゃっている人がいるけど
 皆、金もないし、病院に行けば何かの診断名は付くだろうけど、だからなんなのか」
みたいなことを。
そういう人たちはだいたい双極性の揺れに振り回されていて、周囲から見ると「躁」の方が性質が悪いと。
まさにその通りだと思い、うなずくしかなかった。
私も初めて就職した頃から次の職場に移る頃までは、この揺れに悩まされたことがあった。本人にとってはテンションが上向きの方が調子がいいから(これは現在もだけど)、人に迷惑をかけていても気が付きにくい。たぶん、このテンション高めの間に人にいっぱい迷惑をかけているし、傷つけてもいるし、イラッとされて嫌われるのだな、と今になって思いつくことがいくつかある。
それは単に「若気の至り」という言葉で表される類のことなのかもしれないけど?
気分が落ちている時には体感的には辛いけれど、行動は落ち着いているのかもしれない。
メンヘラの自覚のある今の若い人達は、経済様の支配する世の中に生きているという自覚もあるみたいだけど、経済様に振り回されないで、自分の生きる部分を抑えないで、隙間に根を張って、発散し続けながらやって行こうと思っているみたいだ。

今も昔も、メンヘラ女子というものは嫌われ者の存在のようだけれど、私もまさにメンヘラ女子のかまってちゃんだったのだな、と思った。ただ、私は自意識が強すぎたから、それを人前に晒すのが恥ずかしくて、人に見つからないようにコソコソしていた。だから人から叩かれず、叩きそうな気配の人には必要以上には近づかず、ある時からは叩かれても対抗できるようになってきて、不思議と孤立することもなく、疎外されることもなくやってきたのかなと思った。
やっと楽になった。ただ年を取ってきて良かった。年を取るということがこんなに平穏で安心できることだとは思ってもみなかった。

精神の揺らぎ、歪みって、性格というものにかなり近いと思う。法律に触れるような大きな迷惑を起こさず、自分とどうにかつきあって行けるようであれば、病気として抱えずにやっていけるものなのだろうと思う。時には自分の周りに何かの高い囲いを作ってその中に入り込んでしまうのも一つの方法だと思われる。その囲いは金でも結婚でも、家庭でも、ゲームや好きな物、応援したい物、人、周りにある見える物触れるもの触れない物、ありとあらゆるもの、なんでもいい。そういう囲いに守られ、捕まって、だけど捕まりすぎず、時には捕まる所を変えたりして、なんとか妥協点を見つけてやっていければいいのかな。
たくさん捕まる所があると、戻って来やすいような気がする。
精神が不安定になって、体感に違和感を抱き助けが必要になった時には薬の服用も有用だろう。
自分のことをメンヘラだと疑ったことのない人がいるのなら、それはそれでいいと思う。自分はメンヘラじゃないってことで、きっちり線引きできて、自分の信じられる「正常」や「普通」を保っていられるなら、それに越したことはない。

私は人間をやっているということに、やっと慣れてきたのだな、きっと。そして、誰もが人間なのだから、しょうがないと心から思えるようになったのだと思う。
(ヤケクソとか開き直りという状態にかなり近いような気もするけど…?)
大きな差があるように見えても、近づいてみると意外に大したことはなかったりする。どこか共鳴できて一緒に泣き笑い楽しむ人がいてくれれば、それだけで充分だ。今まで得られたそういう一瞬を思い出すことができて、これからもまたそういう一瞬が来るのかなと思い描ければ、それだけでハッピーだ。その一瞬を得るために時間を惜しまず、労力を惜しまず、テキト~に最善を尽くしたい。それは今まで接して来た人達が私にしてきてくれたことだから、真似して行きたい。
アナ雪で歌われているように、「ありの~ままに~♪」行きたい。アナの気持ちもエルサの気持ちもわかるけど、私はオラフみたいになりたい。つららが胸を突き刺して、頭と胴体がばらけちゃっても、「あれ~刺さっちゃった~」デヘヘって、笑っていられるようになりたい。
いい年になったのだから、もう暴走はやめたい。
「足るを知る」を知りたい。
「ばあさん」を楽しみたい。
私は、まちがいなく生粋の東京人、新宿果汁100%で日本人のナルシスト。だけど感性の多くの部分はアメリカのエンターティンメントに育てられたんだな。びっくりした。
とりあえずは、今日眠ることと、明日の朝を迎えることが楽しみ。


とりあえず2部はおしまい。
3部があるかどうかは不明。
頭、爆発しちゃいました。




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