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気まぐれ番外編:年金 [精神と言葉]

もうすぐ年金の受給が始まる。
前に入った会社で厚生年金基金ってのに入っていたらしくて、その厚生年金基金というものももらえるらしい。だけど、厚生年金基金はこの5月で廃止になり、その後国の年金機構に引き継がれるらしい。
年金相談会に行ったら、年金基金の請求書を送ってくれるように連絡しろ、というアドバイスを受けたので、電話した。
そうしたら、ていねいに受け答えてくれ、数日後に、請求書類一式が送られてきた。
そして、必要書類の中に、「基金加入員証書」というものがあり、この「基金加入員証書」というものの存在がまったくわからない。いつもらったのであろうか。
前の会社を退職する時に、この年金基金のしおりというものをもらっており、その時点で入員証書ももらっているらしいのだが、しおりについている証書入れというポケットのような保管場所には証書は入っていない。
必要がありそうな書類は一応まとめてあるけれど、これを見た覚えもない。引っ越しの時にわからなくなってしまった。

電話しているんだし、本人確認できているんだし、基金が出るってことをお知らせいただいているんだし、それだけで充分じゃね? 引っ越しの時に住所変更はした。その住所変更ができたんだから、本人が確認できているんじゃね?

しばらくその証書を探した後、なんというのか…倦怠感に襲われた。
でも、また電話してそのことを伝えた。
結局、再発行手続きを申請できるので、それを請求書と一緒に送ることになった。でも厚生年金の裁定以降でないと請求ができない。裁定の前に請求するには、見込書という書類の発行をしてもらわなければならない。
5月末に年金基金が解散するまであと一月。私の誕生日が3月28日。年金の裁定をしてもらって4月の1か月間で年金基金自体から分配金が送られてくるのは1か月分か?
お知らせを見ると「基金の若干の上乗せ部分を除いて国に引き継がれ」とある。この「若干の上乗せ部分」っていくらなのかな? 計算してもらえば数値としてはっきり言ってもらえるのだろうか? でも、このお知らせで彼らが強調したいことは「従って、ご損になることはありません」ということみたいだ。ただし、若干の上乗せ部分を除けばね。
 説明の順序、言葉の綾ってすごいな。

東急ハンズでジャンプ傘を買った時、3回使って開かなくなった。
もう、レシートを捨ててしまったけれど、ダメ元で電話したら、レシートなしで新しい傘と交換してくれた。簡単だった。それが、商売をする人のホスピタリティーってやつだと思った。お店からしたら当然のことだったかもしれないけれど、簡単に交換してくれたことに感謝したし、そのことでお店を信用することができる。
それに比べて、お役所の「仕事」って認識はどうかしている。国民にホスピタリティーを示すっていう意志が感じられない。たぶん、役所の人に直接お金を払っているわけではないから、国民からお金をもらっているという実感を持つのは難しいのだろう。

85歳の母の所に厚生年金が増えるかもしれないという通知が来て、昔昔母が17歳当時数か月働いていた会社で厚生年金を払っていた可能性があると、調べてくれて、そして連絡乞う、みたいな書類が送られてきた。
で、その会社の名前を書いて返送しなければならないのだけれど、母は覚えていないと言う。
年金事務所ではどうやってその過去の記録がわかったんですか? どうして教えてきたんですか? 忘れてしまったらどうすればいいんですか?
弟が電話すると言っていたけれど、こういう電話はだいたいすごく待たされて時間がかかって、お昼休みが終わってしまうとのこと。障害者枠で働いている弟は勤務時間に私用電話ができない。20分までしか休憩ができない。それ以上の休憩は10分ごとに違約金が取られる。
しゃーない、私が電話する。時間休も有給で取ることができる。
それに弟にはこういう事態に対処できる精神の強さと解決能力がない。
最近、弟と私は精神的に強い部分が違うのだということがわかってきた。弟は複雑な思考をしようとする時に、ストレスがかかってしまう。私は精神障害を背負わなくてラッキーだった。多少倦怠感を覚えても電話できる。
それにかかる電話代だけが消えていくだけなのかもしれないけど、電話する。そこであきらめて、ないがしろにすると、それはたまって身を穢してくるから、徹底的にその問題の発生場所にコンタクトした方がいいのだ。
そう自分を励まして電話した。
そうしたら、書類を見てくれて、その会社の所在地が九州だという。じゃあ、母が働いていたということはあり得ない。
いったい、何だったのだろうか? 九州に同姓同名、同じ年に生まれた女性がいたということだったのだろうか???? 訳がわからない。
とにかく、その年金記録が本人のものではないということを書類に書いて、返送しろとのこと。「わかりました~」と、電話を切ってから思ったことには、その九州の会社が東京に支店を持っていなかったかどうかということだけど、まあ、あり得なくもないけど、時代的にはあり得ないかな。でも、もう電話する気にはなれなかった。
やっぱり、このイライラのやりとりの時間と電話代が消えただけだった。
でもまあいいや、予想はできたことだったし、こうやって書いておけば、一応腹の虫は治まる。

生活に余裕がないと、こういうがんじがらめの意地悪な通知とかに麻痺してしまう。
でも、電話の向こうで働いている人も時給で働いている普通の国民なんだ。その事務の人を恨んでもしょうがない。腹立ててもしょうがない。ただ、脱力するしかない。このズルズルの無意味な書類の山とそれにかかる浪費、末端で働いている人の関係を放ったらかしにして、どこか抜けてるパフォーマンスと言葉遊びに明け暮れている政治家の顔が憎たらしい。その政治家の手先になって働かざるを得ない現実が憎たらしい。

昔やった自分のいたずらに似ているなと思った。
ラジオ局のふりして、友達に電話をかける。
「おめでとうございます! あなたが当選しました! 賞金がもらえます!」
で、名前を聞き、住所を聞き、最後に言う
「では、キーワードを答えて下さい!」
当然、友達はそんなことわからない。
そんな人を食ったいたずらをしていたから、今、私はバチが当たっているのだ。世の中なめていたから、神様に罰を与えられているのだ。
年金ってなんなのか、ただのシャレとか、いたずら、あるいは詐欺だったのかな?

「はてしない物語」の中で、主人公のバスチアンが読んでいる本の中にある想像の国、ファンタージェンが消えて行く。映画を見た後に本も読んだけれど、よく覚えていない。映画では、ファンタージェンの崩壊を止めるために、確かバスチアンがだれかの名前を実際に叫ばなければならなかった。だけど、バスチアンは名前を思いつかない。主演のバレット・オリバー君はなんか叫んでいたな。なんだったけ? お母さんの名前だったような気もするけれど、もう忘れちゃったよ。もし「お母さん」がキーワードになっているのだとしたら、母性本能とかが幻想ではなかった時代に作られた話だったのだろう。
今地球上のファンタージェン、金とか経済という架空価値で回っているように見えていた幻想の世界も消えようとしている。そんな気がしてならない。数日前の朝、ラジオを聞いていて鳥肌が立った。「はてしない物語」の作者、ミヒャエル・エンデは1994年にNHKの番組でお金とマネーということについて警鐘を鳴らし、それが一時すごく話題になったそうだ。経済評論家の方がおっしゃっていた。ネットで調べたら、その後「エンデの遺言」という本にもなっているようだ。

私たちは経済とか金を武器に人間をたぶらかす仮想大魔王にうまいこと乗せられて、リアルを失いそうになっている。
でも、仮想大魔王を操作することによって現ナマというリアルを得ているという実感を持っている人は、この仮想大魔王と、それによって築かれている自分の城、それを守っている組織、それを信じて動いているシステムを守るだろう。
どうぞ、守って下さい。
だって、結局仮想大魔王帝国に生きている私は、そこに乗っかっているしかない。泥の船かもしれないけれど、私にはどうしようもできない。結局お金がなければ、泥の船から降りることもできない。
確か、このシステムを昔は資本主義と呼んだ。
これはまさにバーチャルゲームを生んだ思考、感覚にピッタリくることなんだろうと思う。投資って、カジノでルーレットの番号を選んで賭けることと同じようなからくりに見える。その上手なやり方を評論家が説明しているけれど、結局「運」ということに尽きるような気がする。
「ゲーム」という単語の意味の中に、「狩猟鳥獣」とか「食料に使われる野生動物の肉」と書かれている。以前は食というリアルにつながっていたものが、ただの遊びとしての狩りになってしまったというような気がしてならない。
仮想大魔王帝国が崩壊すると、どの程度かわからないけれど、何かしらの痛手を蒙るのかしらね? そこで連想される「死」は自分のリアルな「死」につながっており、生き残るために「殺す」行為は自分のリアルな「殺す」つながっている、という感じがする。でも、それは単につながっているだけだ。行動を起こすか起こさないかは最終的には自分の判断、自分のリアルにかかっている。

英語と日本語とを分けて考えて、元の意味を探るっていうのも、何かを知ろうとする方法としてはいいかもだね。






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